第6章:紅蓮の女獅子は静かなる兆しの中で暁を抱く
第1話 俺に会えて嬉しいんだろ
ふわふわする。あたたかい。からだにちからがはいらない。きもちいい。
そろそろ起きなければ、とは、思っている。眠りは浅くなったし、まぶたは外の明るさを感じている。おそらくこれ以上の睡眠は必要ない。
でも、起きたくない。ずっとまどろんでいたい。ずっとずっと夢と現実を行ったり来たりしながらごろごろし続けていたい。
すべて、何もかも、あらゆることを忘れ去ってこのままでいたい。
ただ、体がどうも収まりの悪さのようなものを訴えている。むずむずするのだ。全身の血管が体に動けと言っている気がする。
どうやら自分は今右半身を下にして寝ているらしい。
あおむけになりたい。
左半身を倒して、背中を下につけようと思った。
体が動いた瞬間、全身が一気に強張った。
左肩に痛みを感じた。強烈な痛みだった。鋭い、今まさに刺されたかのような激痛であった。
まぶたを開けたが視界が回っていて自分が今どこにいるのかも分からない。
重力に抗えなくなって背中が倒れた。
望みどおりあおむけになれたというのに、今度は背中が苦痛を訴えた。傷口に直接触れられているような痛みだ。こらえたつもりだったが細く小さな悲鳴が口から漏れ出た。
ユングヴィはようやく自分が怪我をしていることに気づいた。
目が覚めた。
現実のすべてを思い出した。
自分はウルミーヤで撃たれた挙句斬られたのだ。
今は戦争をしているところだ。こんなふうに寝ている場合ではない。
起きなければならない。
分かっているのに体にうまく力が入らない。
「おい、バカ」
誰かがユングヴィの背中と寝台の敷布の間に手を差し入れた。左の肩甲骨の辺りを押してふたたび右半身を下にする寝方に直してくれた。一瞬だけ背中が引きつれて小さな痛みを感じたが、起こしてくれたおかげですぐに治まった。
腰に枕を当てられた。これで後ろに寄り掛かることができる。
後ろから腹を抱えるように腕をまわされた。引き寄せられた。
背中が、後ろで、今自分がとっているのと同じ体勢の誰かの胸に、触れている。
温かい。
腹にまわされた腕はたくましく、脇腹に触れる手は大きく力強く、心の奥底から安心を覚えた。
「じっとしてろ」
懐かしい声が――たった三ヶ月だというのにはるかかなた昔のものになった気がしていた声が聞こえてきた。
「……サヴァシュ?」
首だけで振り向き、眼球をせいいっぱい横に動かして後ろを見た。
案の定、そこにサヴァシュがいた。
体を横向きにして、ユングヴィの背中に胸をつけて寝転がっている。
いつもどおりの愛想のない顔だ。一緒に寝ていたのか、普段はひとつに束ねている無数の三つ編みを垂らしたままにしていて、
目を開ける前に感じていたあたたかさは、どうやらサヴァシュの体温だったらしい。
来る日も来る日も寄り添い合った、遠くへ行ってしまったと思っていたあの穏やかな秋の日々が、すぐ傍に戻ってきてくれた気がした。
ユングヴィは笑った。笑わないといけないと思った。笑って、ここまで来てくれたこと、自分の傍にいてくれることについて礼を言わないといけないと思ったのだ。
だが、次の時、涙がこぼれた。
こらえようと、こらえなければと思ったのに、次から次へと涙が溢れ出た。
「あれれ……なんで私泣いてんだろ……」
サヴァシュがユングヴィの目元に口づけた。涙を吸い取ってしまった。
「俺に会えて嬉しいんだろ」
「どうやったらそんな自意識過剰になれるんだよ」
「お前だんだん俺へのツッコミが厳しくなってないか?」
ユングヴィは前を向いた。サヴァシュの顔が見えなくなった。
代わりに、右肘を動かして、サヴァシュの胸に自分の背中を押しつけた。
からだとからだが触れ合った。
安心する。
サヴァシュの腕が、よりいっそう強くユングヴィの体を抱いた。
ユングヴィはしばらくの間黙って泣き続けた。
どれくらい経った頃だろう。
思う存分泣けてすっきりしたのか、少しずつ頭の中身が回転し出した。
涙が自然と減っていく。心も落ち着いていく。
自分は、今、タウリス城であてがわれた部屋にいる。本来は空軍の幹部にあてられる部屋だという。さほど広くはないが清潔で、品の良い彩色が施されている机と棚が備え付けられており、壁にはアルヤの古い民族衣装をまとったいにしえの美女の
タウリス城は、アルヤ王国がサータム帝国の一部になるまで、西部州を治めていたアルヤ人代官の住まいでもあったらしい。
タウリスに辿り着いた時、空軍の副長は、ユングヴィにはタウリスから追い出された代官の姫君の部屋を、と言った。花柄で統一された、可愛らしい、非常に魅力的な部屋であった。しかし場所が場所だ。城の奥深く、つまりいわゆる後宮に当たるところである。そのまま閉じ込められてしまいそうな気がして、ユングヴィは怖くなって丁重に断った。
赤軍兵士の皆と雑魚寝でいいと主張したユングヴィを、赤軍の副長がたしなめた。兵士たちから隔離され、「おとなしくどこかにこもってろ」と言われた。ユングヴィは、副長を、冷たいと、こんな状況になっても赤軍の兵士たちは自分と親しくしたくないのかと思った。とても寂しくて悔しいと感じていた。
自分の記憶が確かなら、どうやら自分は赤軍の皆にとってお姫様だったらしい。
ひょっとしたら、副長も自分たちの将軍をあの花柄の部屋に閉じ込めておきたかったのかもしれない。
今になって少しだけ申し訳なく思う。それならそうと言ってくれればもうちょっと考えたのに、とユングヴィは思うのだ。
今、サヴァシュの大きな手が、ユングヴィの頭をゆっくり撫でている。これはきっと弱い女の子の扱いだ。
だが、悪くない。むしろとても気持ちがいい。
今だけだ。今だけは弱っているから仕方がない。傷がよくなって吐き気が取れたらまた戦場に戻るのだ。自分は女の子であると同時に兵士なのである。
お姫様でも戦えるのなら戦った方がいい。
ただ、今、本当にたった今だけは、弱い女の子でいてもいい、と思った。守られるだけのお姫様でもいいと、男たちにすべてをゆだねてここに閉じ込められていてもいいと思った。
本当に、相当弱っているらしい。
たくさん泣いたからもう大丈夫だ。きっともっと強くなれる。今度こそ、ちゃんと戦おう。
そのために、今すべきことは、何だろう。
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