第15話 優先順位

 蒼宮殿の正門、正面から見て左で、門番とは別の白軍兵士が数名、蒼い柱を取り囲んでいる。

 彼らはテイムルたちが近づいてきたのにすぐ気づいたようだ。顔を上げ、黙って敬礼をした。

 彼らが柱から離れたので分かった。

 一人の少年が柱に背をつけて座り込んでいた。膝を抱え、その膝に顔を埋めて小さく丸くなっていた。

 テイムルは驚いた。縮こまっているその姿がソウェイルに見えたからだ。

 まばゆい朝日に照らされて、少年の金の髪が日輪のように輝いていた。

 フェイフューだ。

 フェイフューはソウェイルよりずっと大きい気がしていた。どんなことがあっても自信満々で胸を張って堂々と振る舞えるのだと思い込んでいた。

 フェイフューもこちらに気づいたようだ。顔を上げた。

 その、蒼い瞳に浮かぶ感情は、何だろう。怯えだろうか、悲しみだろうか。いずれにせよけして強いものではない。ただ、深い。テイムルにはすべて読み取ることができないほど、深く複雑な何かを抱えている。

 フェイフューが立ち上がった。

 珍しく戸惑いを見せた。一歩だけ踏み出したがすぐに立ち止まった。

「おけがを……!?」

 フェイフューの視線の先を辿った。テイムルのすぐ傍、テイムルと並んで歩いてきたソウェイルを見ているのが分かった。

 ソウェイルは、顔から胸まで、赤黒い液体を浴びていた。手ぬぐいがなかったので、テイムルの上着の袖で顔だけ軽く拭いてみたのだが、テイムルの軍服も重くなるほど濡れていたため、逆に塗りたくることになってしまったのだ。諦めてそのまま帰ってきた。

 ソウェイルの顔に表情はなかった。疲労と血液がべっとりと張り付いていて他のものを表に出す余裕はなさそうだった。蒼い瞳はどこにも焦点を結ばない。

 それでも、ソウェイルは口を開いた。

「だいじょうぶ」

 小さな、とても小さな声だった。

「げんき」

 フェイフューの視線がさまよった。さすがの彼もこれを信用してはいけないことぐらいは察しているようだ。

 しばらくの間みんな沈黙していた。

 どれくらい経ってからだろうか。そのうち突然フェイフューの視点が定まった。

 フェイフューの蒼い瞳に光が宿った。強い感情が燈った。

 眉根を寄せ、目を吊り上げているように見えた。

 きっと怒りを表現しようとしている。

 フェイフューの腕が伸びた。ソウェイルの胸倉をつかんだ。

 ソウェイルは抵抗しなかった。

 フェイフューが彼自身の方へとソウェイルを引きずった。

「見損ないました」

 至近距離で言葉をぶつける。

「ぼくは兄さまはもっと責任感のある方なのだと思っていました。周りのことをよくお分かりになっているのだと。ぼくよりずっと思慮深くて周りのことをおもんぱかれるひとだと思っていましたよ」

 ソウェイルはなおも沈黙している。

「ご覧になりましたか、兄さまの軽はずみな行動でどれだけの人が血を流したか。どれだけの人が汗や涙を流したか、どれだけの人が苦しんだか」

 何も答えない。

「世のならいを理解していない人々とばかり交流してご自分のお立場を考えないからこういうことになるのです。すべて兄さまの視野が狭いせいです。兄さまが何もわかっていないから!」

 「聞いていますか」と怒鳴るフェイフューに声を掛ける者はない。

「……何とかおっしゃったらどうですか」

 フェイフューが口を閉ざすと、辺りは静寂に包まれた。冬の朝は本当に静かで、市井の人々は誰一人活動していないかのようだった。

「……ごめん」

 少し間を置いてから、ソウェイルが呟くように言った。

「フェイフューの言うとおりだと思う。おれが、悪かった」

 フェイフューが手を離した。表情からして満足しているわけではなさそうだったが、とりあえず、言いたいことは言って聞きたいことは聞けたのだろう。

 それまで、実は、フェイフューの力に体を支えられていたのかもしれない。ソウェイルはその場に膝をついてしまった。

 歩み出てくる者があった。小柄な、白い女官服の女性だった。シーリーンだ。泣き腫らした目をしている。

「よかった」

 彼女は、血に汚れたソウェイルを、何のためらいもなく抱き締めた。

「よかった……! よくぞお戻りになられました」

 ソウェイルはまったく動かなかった。シーリーンの腕の中で凍りついていた。

「それで、本当に、お怪我は――」

「ないよ、大丈夫」

 ソウェイルとシーリーンに歩み寄り、ソウェイルの代わりに答える。

 シーリーンが顔を上げる。涙に濡れた目で見つめてくる。

 彼女を安心させたくて、テイムルは笑みを作った。

 彼女の表情が安らぎに変わることはなかった。

 当然だ。今のテイムルは全身返り血で血みどろなのだ。

 今の自分からはどんな臭いがするだろう。

「お体は、無事だ」

 あえて、体の部分を強調した。言わなくても分かっているだろうが、身体には本当に傷はないことだけは伝えておかねばなるまい。

「さようですか」

 シーリーンが、頷いた。

「では、お風呂に入りましょう。きれいにしましょうね。今支度をさせますからね」

 ソウェイルは何の反応も見せない。

「洗ったらすぐに休みましょう。ぐっすり寝て、いろんなことは起きてからゆっくり考えましょう。大丈夫です、シーリーンがずっとついておりますから。ね?」

 視界の端で動く者があった。金の髪はフェイフューのものだ。

 フェイフューは、するりと、黙ってその場を離れた。何も言わず門の内へと入っていった。

 テイムルにはその背を見送ることしかできなかった。

 叱ることも慰めることもできない。フェイフューも何か暗い感情を抱えていると分かったのに、何の対処もできない。フェイフューがひとりになるのを止めることができない。

 悲しい、と思った。自分は非力だ。

 すべて大事、は危険だ。物事には優先順位がある。すべて抱え込んでソウェイルとフェイフューを共倒れさせるくらいだったら、手離せるところは手離して、一番守りたいソウェイルを守り抜くことに専念した方がいい。

 ソウェイルの体は強張っていて解ける気配がない。

「行きましょう」

 シーリーンが言うと、ソウェイルが立ち上がった。

 シーリーンから離れた。

 自ら門へ向かって歩き出した。

「殿下」

「だいじょうぶ。ひとりで歩ける」

 周りから他の兵士たちや女官たちが近づいてくる。

 ソウェイルは彼ら彼女らを拒まなかった。大勢の人々に囲まれて宮殿の中へ入っていった。

 シーリーンがソウェイルを追い掛けようとした。

「シーリーン」

 そんな彼女を、テイムルは呼び止めた。

 シーリーンが立ち止まる。

 振り向く。

 そのからだを、抱き締める。

 強く、強く、抱き締める。

「びっくりした?」

 シーリーンが「何がですか」と訊ねてきた。テイムルは笑って、「こんな状態で帰ってきて」と答えた。

 彼女は首を横に振った。

「三年前もそうでした」

 言われて、思い出した。三年前のいつかも、一夜で何十人というサータム兵を斬って帰ってきたテイムルを、何も言わずに受け入れてくれた。

「この先もこんなことばかりかもしれないね」

 テイムルは苦笑した。

「ソウェイル殿下は、僕に人を斬らせたくないようだけど。僕は、この先も、殿下にバレないよう、こっそりこういうことを繰り返すかもしれないね。殿下を守るために必要だと判断したら、僕は、ためらわないと思う。女性やこどもでも、関係なく」

 シーリーンもまた、苦笑した。

「それが、白将軍ですから。太陽のための剣ですから。仕方がありませんね」

「たとえば、」

 言う前から、返事は分かっていたのかもしれない。シーリーンならこう答えると、テイムルも分かっていたのかもしれない。

 それでも確認したくて――彼女の口から聞き出したくて、言った。

「もし、殿下の邪魔になると判断したら。僕は、君や君のご実家の家族も斬ってしまうかもしれないね」

 シーリーンは、頷いた。

「私は、そういうあなただから選ぼうと思いました」

 「私にとってこの世で一番大事なのはソウェイル殿下ですから」と、述べる言葉によどみはない。

「何よりも殿下を大切にしてくださるあなたを、愛しています」

 朝日が、辺りを照らしている。

「一生涯、死ぬまで。ともに、ソウェイル殿下をお守りして生きていきましょう。ずっと」

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