第14話 白将軍のなす善

 回廊の外側に小さな炎が並んでいる。西洋趣味の油灯ランプの炎だ。硝子ガラスの箱に収められた火がいくつもいくつも瞬いている。


 空がほの白く見える。灯りがたくさんあるからだろうか。それとも、自分が興奮しているからだろうか。あるいは、夜明けが近いのだろうか。


 今のテイムルには時間の感覚がなかった。自分が異常に興奮していて普段なら些細に思うであろう刺激にも過敏になっているのは分かる。

 しかし疲労感はない。自分がどれくらいの時間こんな状態でいるのかが分からなかった。

 敵と味方の足音の違いも聞き分けることができる――しかし後ろを遠巻きについてくる白軍兵士たちを振り向くことはない。


 白将軍はひとりだ。白軍兵士はただの部下、十神剣とははりぼての弟たち、親兄弟でさえ血がつながっているだけの存在だ。白将軍を理解できるのは白将軍をやっていた亡者たちのみだ。


 だが理解者など必要ない。

 白将軍に必要なのは太陽ただ一人だけだ。

 白将軍は、ただ太陽のみを尊崇し、敬拝し、盲従していればいい。

 国や都でさえ必要ない。


 最初からこうすればよかった。


 白銀の刃が囁く。

 白将軍から太陽を奪うすべてのものを滅ぼせ。


 大きな扉を肩で押し開けた。右手に神剣を、左手に荷物を持っていたので手は使えなかった。扉は重かったがさほど苦でもなかった。この向こう側に自分の太陽がいると思えば何のこともなかった。


 広い講堂の中、数名の男たちが片隅で身を寄せ合っている。


 うち何名かが持っていた手燭の明かりで表情が分かった。誰も彼もが引きつった、強張った顔をしていた。

 だから何だと言うのだろう。太陽に手を出した彼らが悪いのだ。


 うち一人が、震える声を振り絞った。


「なぜ、直接おいでに? 学長は、貴公らの訪問を拒まれたはずです」


 言葉遣いは丁寧であった。違和感のないエスファーナの共通語だ。


 このアルヤ語が詩の言葉であるなら、サータム語は契約書の言葉だという。サータム語を離れてもサータム人は交渉と契約と信仰の告白を重んじる。


 それに応じる気はない。

 太陽を奉ずるアルヤ人が善で太陽を害するサータム人が悪だ。理屈は介在しない。


 テイムルは、左手に持っていた荷物を、彼らの足元に放り投げた。

 蝋燭の炎に、それが照らし出された。

 あごひげをたくわえた、痩せた白髪の男性の首であった。

 サータム人たちが声を詰まらせた。

 エスファーナ大学学長のなれのはてだ。


 たとえ世界中が白将軍を悪とそしってもこれが白将軍のなす善だ。


 手燭の炎に浮かび上がるテイムルの姿は、彼らの目にはどんなふうに映っているのだろう。白い軍服を真っ赤に染め、感情を捨てた顔をして、恐ろしく見えるだろうか。きっとそうだ。ここに辿り着くまでに斬ったサータム人たちはそんな反応だった。


 何人も斬った。男も女も、老人も子供も、テイムルの前に立った人間はすべて斬り捨てた。

 けれど白い神剣は刃こぼれひとつ起こさず純銀の光を放っているのだ。

 まだ斬れる。


 男たちのうちの一人が、手燭を机の上に置き、腰の剣を抜いた。

 それを皮切りに、男たちは次々と剣を構えてテイムルに向き合った。


 男たちが動くと、彼らの中心に蒼い光が見えた。

 ソウェイルだ。

 蒼い瞳を大きく丸くして、唇を引き結んでこちらを見ている。


 ソウェイルを抱く腕がある。腕の主は、青年と呼ぶにはまだ少し早い、エルナーズと同じか少し下くらいに見える少年だ。ソウェイルをしっかりと抱き締めている。

 ソウェイルをとられた。

 早くこの腕に抱かなければならない。


 一人が叫びながら突進してきた。だが軽くかわして前につんのめった背中を斬り裂いた。


 間を置かず二人同時に向かってきた。

 まず一人に対して下から斜めに斬り上げ肘を斬った。剣を握ったままの腕が飛んだ。血しぶきが噴き上げテイムルはまた全身にそれを浴びた。

 胸に刃を突き立てた。

 そしてその体を振るようにもう一人へぶつけた。放り投げた。衝突した男はその体とともどもに床へ転がった。

 床へ転がったまだ息のある方の男の顔、眼窩を狙って突き刺した。眼球が潰れる感触、柔らかな脳髄に埋まる感触を味わった。

 すぐ引き抜いた。


 一足飛びで踏み込み、左から右へ大きく薙いで、二人分の首を刎ね飛ばした。

 紅い噴水が上がった。


 手燭が二つ、床に転がった。いずれの炎も石の床の上であっと言う間に消えた。


 残った一人の肩から胸にかけて刃をめり込ませた。すぐに崩れ落ちた。


 最初の男が机の上に置いた蝋燭がひとつと、窓から入る星明かりだけが、部屋の中を照らしている。


 窓が開いていた。寒い。砂漠に囲まれたエスファーナの冬の夜はとても冷える。早くソウェイルを温かな布団に包んで温めなければならない。


「う、動くな」


 見ると、ソウェイルを抱いていた少年が右手に短剣を握っていた。サータムの成人男性なら誰もが腰に携える短剣ジャンビーヤだ。最後の一振りなのだ。


 鈍く光る刃が、ソウェイルの喉元に突きつけられている。

 その切っ先は震えていて、とても誰かを刺したり斬ったりできるとは思えなかったが、ソウェイルに刃を向けているという事実がすべてだ。


「こいつがどうなっても――」


 大きく一歩、前に出た。

 神剣の先で突くように手首を撫でた。

 短剣を握っている手が床に落ちた。

 紅い血液が噴き出し、ソウェイルの顔面を濡らした。


 少年が叫びながらソウェイルを離した。


 誰であろうと、ソウェイルに刃を向けた者に与える情けはない。


 少年の喉を裂いた。

 少年が沈黙した。

 首は皮一枚でまだつながっているようだが、喉に大きく口を開けて血を飛び散らせている。


 少年の体が、後ろに崩れ落ちた。


 ソウェイルがその場で膝をついた。そのまま膝を折って尻を床につけてしまった。

 大きく見開かれた蒼い瞳には何にも映っていないように見えた。


 静かだった。

 明るい星々と暗い炎がソウェイルとテイムルを照らしている。他に誰もいない気がした。

 他に誰も必要ない気がした。


 テイムルは、手首を返して神剣を振り刃についた血を軽く払うと、そのまま鞘に納めた。


 そして、ソウェイルの前に膝をついた。


 自然と言葉が流れ出た。


「人涙していまだ土砂乾かず

 君まさにいまだ其の土癒えざるを憂へんとす

 あに君の煩ふこと多きを知らんや

 臣まさに陽高く昇ることのみを願はんとす」


 ずっと、ずっとずっと、ソウェイルに捧げたいと思って考えていた詩だった。


 ソウェイルはしばらくの間反応しなかった。できるだけ簡単な言葉を選んだつもりだったが、やはりまだ雅語は難しかっただろうか。


 一度手離した感情が戻ってくる。ソウェイルに対して、再会による安堵や詩を捧げられた喜び、血や死体を見せてしまった悔しさやひとりになろうと思わせてしまった悲しみが一気に湧き上がってくる。


 けれどそれでもソウェイルから何か言ってほしくて待った。ただただひたすら、ソウェイルの反応を待った。


 どれくらい経ったことだろう。


「おれが今すごくたいへんなの、テイムルは、知ってたんだ」


 テイムルは大きく頷いた。


「申し訳ございません。それなのに、テイムルには何もできませんね。殿下に、笑顔になっていただけるようなことは、何も。どんなことをしても、こんな結果で――殿下に、悲しい思いを、させてばかり」


 ソウェイルの声が、震えた。


「もし、おれが、よけいなこと、しなかったら。テイムルは、ひとを、きらなかった?」


 少し悩んだ。どんな言葉を口にすればソウェイルは安心してくれるのかしばし考えた。

 でも、今ばかりは泣いてほしいとも思った。


「はい」


 ソウェイルの瞳が涙で歪んだ。


「テイムルの剣は、殿下のためにあるものですから。殿下がご無事で、健やかであらせられるのであれば。殿下がただ、テイムルの王で、太陽でいてくださるのであれば。テイムルはもう、人を斬りません」


 ソウェイルが腕を伸ばしてきた。縋りついてきた。テイムルは一瞬ソウェイルが血で汚れてしまうのではないかと心配したが、ソウェイルがそうしたいのであればそうさせるべきだと思って、黙って受け入れた。第一、ソウェイルの顔は今、少年の血で真っ赤だ。いまさらだった。


 風呂に入れよう、と思った。ソウェイルを洗ってやらねばならない。風呂は楽しい、二人だけの幸福の時間だ。きっと何もかもが癒える。


 テイムルにしがみついて、テイムルの胸でソウェイルが声を上げて泣き始めた。テイムルは、しばらくの間、その頭を黙って撫で続けた。






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