第13話 ソウェイルがいない
テイムルが異変を知ったのはすでに日が暮れてからであった。
「兄さまがどこにもいらっしゃいません」
蒼宮殿の中央、中庭の噴水のほとりで、侍従官や白軍兵士もあわせて二十人ほどの男たちが立ちすくんでいた。
その真ん中、かがり火に照らされてフェイフューの顔が浮かび上がる。蒼い瞳には怒りとも焦りともつかない感情が燈っている。
「どこにも、とは」
「蒼宮殿にはいらっしゃらないということです」
冗談だと思いたかった。
「ユングヴィの家は――」
「もう行きました」
フェイフューの声ははっきりとしていてよどみがない。
「ぼくがこの目で確かめてきました。外から錠前がかかっていたので中に閉じこもっているとは考えられません」
蒼宮殿は広い。国家の中枢に必要な機関がすべて集中しているので、子供が隠れられる場所などいくらでもある。だが、蒼宮殿に精通している侍従官たちや人探しに慣れている白軍兵士たちを根こそぎ動員して日が暮れるまで捜しても見つからない、と言われると胸の奥から不安がせり上がってくる。
三年前を思い出した。
あの時、テイムルは三日三晩蒼宮殿をさまよい歩いた。
王も父である先代の白将軍もみんな宮殿前広場で物言わぬ肉塊になったが、テイムルはまったく気にならなかった。そんなことよりソウェイルの姿が見えないことの方がつらかった。ソウェイルの顔を見れば安心できると信じて歩き続けた。
宮殿の地下で第一王妃の干からびた遺体が出てきた時、我に返ったテイムルが直面したのは、フェイフューを守るために投降したナーヒドと重傷を負った状態で失踪したユングヴィの後始末だった。
テイムルは、死んだ父親に代わって、白将軍として――アルヤ王国軍の責任者として、アルヤ王国の敗北を認めた。
敗戦の受諾を申し入れてから、徹底抗戦の構えを見せていたサヴァシュに膝を折るよう頼んだ。
サヴァシュは笑って両手をあげてくれた。
――それで今生きている奴が生き残れる確率が上がるんなら俺はいい。
あの時は口を利くだけでせいいっぱいでサヴァシュの気持ちなど考えていなかった。数ヵ月経ってからあのサヴァシュに敗者の烙印を押したのは自分であることに気づいた。
地獄だ。
三年前の失敗を繰り返してはならない。
自分に落ち着けと言い聞かせた。
今度こそ冷静でいなければならない。周りにいる人々の状況をつぶさに把握して最大多数の人間を助けなければならない。
フェイフューが強張った表情でテイムルを見上げている。
フェイフューの傍らにシーリーンが立っていた。かがり火に照らされた彼女の顔は蒼白く見えた。夕空が暗いから、ではなかろう。
普段は何事にも悠然と構えている彼女が震えている。
「申し訳ございません」
いつもはまろく甘い声が今は固い。
「私がお傍を離れなかったら――殿下をおひとりにしなかったら――」
言葉はそこで途切れた。代わりに涙が漏れ出た。
テイムルは拳を握り締めた。けれどそれを誰にも見せまいと背に隠した。
自分が怒りや焦りを撒き散らしてはならない。自分はこの場にいるもっとも立場が上の人間で、女性であるシーリーンや子供であるフェイフューを庇うべき成人男性だ。そういう感情をぶつけていい先はどこにもない。強いて言えば、自分がぶつけられる先であるべきだ。
意識して、大きく息を吸い、吐いた。
「シーリーンのせいじゃないよ。殿下に信頼していただけない僕が悪いんだ」
誰も否定しなかった。それでいい、とテイムルは一人で頷いた。
「三年――いや、九年かけてやり直す。殿下がお戻りになられたらね」
シーリーンがうなされたように言う。
「お戻りに、なられるでしょうか」
三年前、絶望で心を真っ黒に塗り潰されたのは、テイムルだけではなかった。
「もう一度お世話をさせていただいたこの半年の方が夢だったのではないでしょうか」
「そういうことを言ってはなりません!」
フェイフューが怒鳴り散らす。
「これだから女はいやなのです! すぐ弱気なことを言って面倒でふゆかいです、もうお黙りなさい!」
「申し訳ございません」
テイムルは苦笑して首を横に振った。
「いい勉強になった。ユングヴィといいソウェイル殿下といい、普段大人しく言うことを聞くいい子ほど根の深い騒動を起こすんだと学んだよ。もう少し手を離して一人で活動なさるよう仕向けるべきだと思っていたけどやめた。もっと分かりやすい反抗期が来て一から十まで反発するまで僕とシーリーンでべたべたに甘やかそう」
シーリーンが二度も頷いた。
周りの兵士たちに命じる。
「白軍の総力を挙げて捜索する。子供の足でこの短時間ではそう遠くまでは行っていないはずだ、すべての業務より優先して捜索に当たれ。ただしソウェイル殿下が失踪されたことはけしておおやけにするな、これ以上混乱を広げてはならない」
兵士たちはすぐさま返事をしてその場を離れた。
「大人がからんでいるかもしれません」
フェイフューの声が唸り声に聞こえる。
「だれかが兄さまを連れ出したのかもしれません。兄さまがご自身で出ていくなど、そんなばかげたことがあってたまりますか」
指摘に胸が冷える。
何か言って抵抗したくなったがフェイフューは悪くない。言えることがあるとすれば、ソウェイルにも意思や感情がある以上そんな馬鹿げたこともしでかすかもしれない、ということと、悪いのはそんな馬鹿げたことをさせてしまう周囲の大人たちの方だ、ということだ。しかしそれを今フェイフューに語り聞かせる余裕はない。
間を置かず、数人の白軍兵士たちが駆け寄ってきた。
「テイムル将軍に火急の報せです」
すぐさま「何だ」と応え、彼らの方を向いた。この状況で急ぎということはソウェイルに関連することに違いないと思ったのだ。
予感は的中した。
「エスファーナ大学からです」
どす黒いものが胸の中を滲むように広がっていく。
「大学が、何と?」
声が、震える。
「ソウェイル殿下が大学にいらっしゃるとのことです。サータム人官僚たちが、今ソウェイル殿下が交渉に当たってくださっているので、アルヤ軍はこれから出される殿下の御沙汰に全面的に従うように、と要求しています」
シーリーンが「どうしてそんなところに」と問い掛けた。兵士が「そこまではまだ調べ切れていません」と答えた。
テイムルは気にならなかった。
生きていることが分かれば充分だ。
安堵の息を吐いた。
「すぐに連れ戻すべきです」
フェイフューが言う。
「もちろんです。どこで何をなさっているのかさえ分かれば対応のしようがあります」
「どう対応するのです?」
それには答えなかった。フェイフューに聞かせられることではないと判断したからだ。フェイフューの健全な成長を守らなければならないと思う程度の分別は残っていた。
しかし、それだけだ。だからと言って考え直すことはない。
今テイムルがしようと思っていることはけして最善の策ではないだろう。ソウェイルを保護するために取る行動としては最悪の手かもしれない。
だが、気持ちを晴らしたい。今のテイムルの気持ちを天下に知らしめてすっきりしたい。
「僕は今から大学に行く」
シーリーンはすぐさま「行ってらっしゃいませ」と言ってくれた。その表情は硬く何か覚悟のようなものを感じられた。彼女はきっと今からテイムルが何をしようとしているのか察している。それでも送り出してくれる彼女を頼もしく思った。
フェイフューが「ぼくも」と口走った。だが、目が合うと、テイムルが口を開く前にうつむき、「やはりいいです」と言った。
「いたずらに動き回って事を大きくするのはよろしくありませんね。ぼくは宮殿で兄さまのお帰りを待ちます」
「さすがフェイフュー殿下」
「念のために言っておきますが、ぼくもふだんからあなたたちの言うことを聞いてあげられるだけの分別のある人間ですよ。反抗期ではないですし一から十まで反発したおぼえはありません。ぼくもいい子なので留守番をしてあげるのですからね」
「はいはい」
手を伸ばし、フェイフューの頭を撫でようとした。ソウェイルなら目を細めて受け入れてくれるところだったが、フェイフューは払い除けて「こどもあつかいするのもたいがいになさい」と怒った。
「とっととお行きなさい、ぼくがシーリーンを見ていてあげますから。女は何をするかわからないので男のぼくが守ってあげますよ」
「ありがとうございます」
久しぶりにシーリーンが笑った。テイムルはその笑みに安心して、これでソウェイルの奪還に専念できると思った。
「必ず兄さまをお連れしなさい」
「承知いたしました」
世界の
最初からこうすればよかった。
太陽を守るために人を斬るのが白将軍の仕事だ。
みんな殺そう。
ソウェイルを奪われないようにするには、それが一番手っ取り早い。
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