第12話 神は彼らに慈悲を与えたまうか

 真冬の空は夜が早く太陽はすでに沈もうとしていた。本来は蒼い石片タイルで覆われた柱が夕陽の陰で黒く塗り潰されている。

 足早に進むサータム人の少年の後ろを、ソウェイルが小走りで追い掛けている。少年は焦っていてソウェイルが追いついていないことに気がついていない。

 ある扉の前に辿り着いてようやく、ソウェイルが自分の真後ろにいないことに気づいた。

 彼が「王子?」と呟いて振り向いた時、ソウェイルは数歩分後ろで立ち止まっていた。

 回廊の縁に女性が座り込んでいる。全身を真っ黒な布で包んだ女性だ。アルヤ人女性の着るチャードルとは少し様子が異なり、顔まで鼻から下を布で覆い隠している。

 ソウェイルが彼女の顔を覗き込んだ。彼女がソウェイルに気づいて顔を上げた。

 女性の膝の上に、緑の布に包まれた赤ん坊がいた。

 赤ん坊は身じろぎひとつしなかった。

「赤ちゃん、どうしたんだ? ねているのか?」

 女性は首を横に振った。

 顔を覆う布が濡れていた。

「死んでしまったのよ」

「死んでいるのか」

 ソウェイルの表情が強張る。

「どうして……?」

 女性がうめくような泣き声を上げ始めた。ソウェイルはそんな彼女を黙って見つめた。

 少年が二人に歩み寄り、ソウェイルの肩をつかんだ。

「行きましょう」

「でも、赤ちゃんが――」

「もう三日も前の話です」

 ソウェイルの蒼い瞳が丸くなる。少年の表情が険しくなる。

「お乳が出なくなったんだそうです。女性の部屋でのことなので、俺も詳しいことは分からないのですが」

「お乳が? なんでだ?」

「たぶん、ずっとここにいるから、じゃないでしょうか」

 二人の視線が戻ってきても、女性は何も言わずただ泣き続けていた。

「男も女も緊張していて、空気がぎすぎすして、みんなとても疲れています。最初は協力してくれていた学生たちもいつの間にか寄りつかなくなってきて、食事も足りなくなりました」

「男も……女も……? 女の人が、たくさんいる?」

「はい。十九人の男たちと、その家族の女や子供、老人。全部で六十二人いま――した」

 「限界です」と、吐き出した。

「アルヤ王国はこの世の楽園だって、川が流れていて水も果物もたくさんあるって聞いて、家族をみんな連れて砂漠を越えて来たのに。ウマル総督が亡くなってからというもの――」

 一人、首を横に振る。

「いえ。俺は、まだ、大丈夫です。『蒼き太陽』にお会いできましたからね。きっと、まだ、やり直せます」

 少年が女性から目を背けて扉の方を向いた。ソウェイルも、後ろ髪を引かれるのか顔は女性の背中を見ていたが、少年の傍に歩み寄った。

 少年が扉を開けた。

 扉の向こうは広い講義室になっていた。部屋を埋め尽くすように木製の椅子と机が並べられており、部屋の正面に白墨チョークで字を書ける大きな石板が掲げられている。

 部屋の後方、机の上に、数人の男性が座り込んでいる。いずれもクーフィーヤをかぶっていて短剣ジャンビーヤを腰に差していた。目の周囲は黒く落ち窪み、ひげは整えられず伸ばし放題になっている。

 全員の視線が少年とソウェイルに注がれた。

『ただいま』

 少年に応える者はなかった。全員が唖然とした表情で固まっていた。

 しばらく経ってからうち一人が口を開いた。

『お前、その子はどうしたんだ。『蒼き太陽』じゃないか』

 それを皮切りに一同は一斉に二人へ歩み寄った。

 ソウェイルは緊張するのか少年の後ろに隠れようとした。けれどややしてクーフィーヤの男性が少年の胸倉をつかんだので、慌てた顔をして三歩下がった。

『どうしてこんなことを!? 死にたいのか!?』

『こんなことって――俺はただこの子がいてくれればアルヤ人に話を聞いてもらえるかもしれないと思っただけで――』

『馬鹿野郎! サータム人をこどもを盾に脅迫してくる連中だと思わせたいのか! まして『蒼き太陽』を人質に取ったと思われたら取り返しがつかないぞ!?』

『俺は何もしてない! この子がついてきてくれたんだ!』

『そんな理屈が通用するなら俺たちは今頃こんなところにいない!』

 男たちの中の一人がサータム語で言い争いをする二人にアルヤ語で「よせ、やめろ」と話し掛けた。

「王子が怯えている。たぶんサータム語が分からないんだ。冷静になれ、おとなの男が異国の言葉で怒鳴り合っていたら怖いとは思わないか」

 少年の胸倉をつかんでいた手が離れた。

「申し訳ございません、王子」

 優しい微苦笑を浮かべる。

 ソウェイルが一歩前に出た。

「お兄さんたちはみんなアルヤ語がしゃべれる……?」

 うち一人が「はい」と答えた。

「俺たちは好きでアルヤ属州に来た人間ですからね。世界の半分、砂漠に咲く一輪の薔薇、奇跡の川に守られた楽園、エスファーナ――この都に住みたくて勉強したんです」

 他の一人が、「俺はちょっと違います」と言う。

「俺は母親がアルヤ系なんです。小さい頃からアルヤ語とサータム語両方を聞いて育ちました。アルヤは俺にとって第二の故郷で、いつか帰るべき場所だと信じていました」

 また別の誰かも、「女たちも」と付け足すように言った。

「詩の言葉、愛の歌を歌うためにあることばアルヤ語――大陸で一番の商業国アルヤの、とても華やかなことば――憧れの――」

 ソウェイルの顔がくしゃりと歪んだ。

「みんな……、せっかく、せっかくいろいろ考えて、とてもたくさんのことをおもってここまで来てくれたのに……こんなことに……」

 「ごめんなさい」とこぼしたソウェイルを、ある男が「いけません」とたしなめた。

「王子が謝るということは、アルヤ人みんなが謝るということです。王子は勝手にひとに謝ってはいけませんよ」

 ソウェイルは首を横に振って「ごめんなさい」と繰り返した。

 誰かがソウェイルの蒼い頭を撫でた。ソウェイルはそれを黙って受け入れた。

「誰か何か白将軍と話をつけてあるのか? 白将軍はここに王子がいらっしゃることを知っているのか」

「いや、何も。学長が協力の要請を拒否した一件以来何の連絡もないはずだ」

「まずいな。誘拐したと言われても反論できないぞ。しかも、フェイフュー第二王子ならまだしも、ソウェイル第一王子だ。あの、『蒼き太陽』だ」

「憶えているか? 半年前、フェイフュー第二王子を王位継承者として認めるといってやったあの式典のこと。ふだんは上品なアルヤ紳士たちがみんな一斉に剣を抜いた――」

「今度こそ全アルヤ民族が敵に回るかもしれない」

「最悪だ」

 ソウェイルをここまで連れてきた少年が、「どうしよう」と泣きそうな声を上げた。

「宮殿に戻してくる……?」

「いや、」

 一人が窓の外を見た。

 太陽は完全に消えて空に夜のとばりが下りていた。

「日没だ。この時間まで子供が家に帰らないとなったら、親は何を考えると思う?」

 「開き直るか」と、誰かが呟いた。

「この子を盾にして都を出るか。この子は都を出てから返すか、最悪、帝都に連れて帰ろう」

 ソウェイルが弾かれたように顔を上げた。

 サータム人の男たちは、悲痛な表情を浮かべて、哀しい目でソウェイルを見つめていた。

「やむを得ない。これ以上待っていたら俺たちが死ぬ。犬死にするくらいだったら、何か、しよう」

「この子を交渉材料に使わせていただこう」

「この子がいれば、アルヤ人たちを動かすことが、できる――はずだ」

 男の大きな手がソウェイルの腕をつかんだ。戸惑った目のソウェイルの華奢な体を引きずった。

「神が俺たちに『蒼き太陽』をお貸しくださったんだと信じようか」

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