第11話 エスファーナで生きる

 宮殿の外に出てすぐ、ソウェイルは三人の少女たちの手で宮殿の女官に借りたチャードルをかぶせられた。まったく抵抗しなかった。むしろ率先して着るそぶりも見せた。表情こそあまり変わらなかったが、途中で一言だけ、「ユングヴィともこうして出かけたんだ」と、小さくぽつりと呟いた。

 支度が済み次第四人は何食わぬ顔で市場に向かった。

 道中は何事もなかった。四人に声を掛ける者はなかった。誰もが無言で通り過ぎていく都市の風景がそこにあった。

 彫り物市場通りに入ると、少女たちがある店舗の前で足を止めた。

 ソウェイルも一緒に立ち止まり、店頭、軒下の棚に並べられている品物を眺めた。

 さまざまな形の小さな箱が、棚や絨毯に所狭しと並べられている。いずれもふたには緻密な筆致の絵が描かれており、その絵の周囲や箱の側面には幾何学模様の装飾が施されていた。色のない白の部分がきらきらと輝いている。

 少女のうちの一人が、ソウェイルが箱の表面の絵に見入っていることに気づいて、「綺麗だよね」と微笑んだ。

象嵌ぞうがん細工、って言うんだって」

「これがぞうがんかあ……」

 少女たちを見上げて、「さわってもいい?」と問い掛けた。少女たちが無邪気だが無責任な笑顔で「大丈夫」と答える。

 ソウェイルの小さな手が、その両手に収まる程度の大きさの箱を掲げた。

「見るの初めて?」

「ううん、おれの部屋にもある。けどおれはさわらないようにしている」

「どうして? 王子様のじゃないの?」

「母上の形見なんだ」

 箱を手にしたままうつむく。

「でも、おれ、母上あんまりよく知らない人だから……知らない人のものにさわるのはえんりょするだろ」

「王子様のお母さんなんじゃないの?」

 ソウェイルは首を横に振った。

 ややしてから、弾かれたように顔を上げた。

「そうだ、ユングヴィはどうだろ。ユングヴィにあげたい。ユングヴィ、こういうきらきらしたものが好きなんだ」

「金は持ってるのか?」

 不意に少年の声が割って入ってきた。ソウェイルも少女たちも声のした方へ目を向けた。

 少女たちより少し年上の少年が一人、商品の並べられた棚に寄り掛かるようにして立っていた。白く汚れた作業着はアルヤ人らしい服装だが、日に焼けた肌に釣り目がちの目元はチュルカ人のそれだ。

 少女たちが相好を崩して手を振った。少年がのそりと体を起こした。

「お兄さんはこのお店の人?」

「ああ、ここの店主の弟子だ。お前が持ってるそれは俺が作ったものだ」

 少女たちが口々に「最近知り合ったの」「絵がすごくうまいんだ」と説明を始める。少年ははにかんで「よせや」と手を振った。

「お兄さんはエスファーナの人……?」

 ソウェイルのその問い掛けには、少年は少し不機嫌そうに顔をしかめながらも「ああ」と頷いて見せた。

「俺はエスファーナ生まれエスファーナ育ちのアルヤ人だ」

 ソウェイルが蒼い瞳を瞬かせた。

「で、今日はどうした」

「ううん、特に、こう、っていう用事はないんだけど、この子をちょっと散歩に連れ出してあげたくて」

「どこの子だ? ヤクプ族の子じゃないだろ」

「今お世話になってる人のところの子」

「ね、あんたもこの子と仲良くしてあげてよ」

「仲良くったって、小さくても女は女だろ。アルヤ女は身持ちが固いんだぜ、チュルカ系となんか仲良くするかよ」

「それが、女の子じゃないの」

 少女のうちの一人が、唇の前で人差し指を立てた。

 別のもう一人が、ソウェイルの額の辺りの布を少しだけ持ち上げた。ソウェイルの蒼い前髪が一瞬外気に晒された。

 少年が硬直した。次の時口を開いて何かを言いかけた。その少年の口を、また別の少女が手を伸ばして塞いだ。

「仲良くしてあげてよ」

 少年が目を見開いたまま首を横に振る。

「まずいだろ! お前ら殺されるぞ」

「大丈夫、日が暮れる前には宮殿に帰すから」

「ったって――」

 ソウェイルが、箱をもとに戻して、少年に向き直って自ら「お願いだ」と言った。

「おれもお兄さんとおしゃべりしたい」

 少年はしばらく悩むそぶりを見せた。眉根を寄せて、ソウェイルと少女たちを順繰りに眺めた。

 ややして、「殿下がそうおっしゃるのなら」と答えた。

 店の奥を指して「お上がりください」と言う。

「汚い作業場ですが……殿下が外にお出になられているのは、ちょっと、あれ、ですから……今、お茶をおいれしますので……」

 ソウェイルは一瞬不安げな表情を浮かべたが、少女たちがソウェイルの肩をつかんで押しつつ「お邪魔しまーす!」と言って入り始めたので、そのまま流されてしまった。


 店の奥は工房になっていた。木製の作業台と椅子が二組並べられており、床には木くずが飛び散っていた。金属の桶に張られた水は白く濁っている。そこかしこに置かれた箱からは貝殻や動物の骨がはみ出ていた。

 中に入った途端、ソウェイルは「わあ」と声を上げた。作業台に駆け寄り、彩色中の絵を眺める。

「興味がおありですか」

 少年が訊ねると、ソウェイルは振り向いて頷いた。

「いいなあ、おれもしょくにんの仕事をしてみたい」

「何をおおせですか! 殿下は『蒼き太陽』でいらっしゃる、悠久のアルヤ王国のあるじ、王の中の王ですよ」

 少年がその場にひざまずく。一緒に入ってきた少女たちの方が驚いた顔をする。

「『蒼き太陽』ってそんなすごいものなの?」

「王様だって手に職をつけていないと王様を辞めた時大変でしょ」

「バカかお前ら! 『蒼き太陽』がアルヤ王を辞めるなんてあってたまるかよ!」

 チャードルの頭の部分を払って蒼い髪を掻いた。

「おれが王さまをやっていないと、エスファーナの人たちはたいへん?」

 ソウェイルの問い掛けに、少年は戸惑ったらしい。すぐには答えなかった。だいぶ間を置いてから頷いた。

「市場の様子をご覧になりましたか」

「表通りは歩いてきたけど……」

「表通りは今までどおりです。アルヤ商人はしたたかですからこの中央市場を留守になんかしません」

 拳を握り締め、「でも裏通りは違う」と悔しそうに言う。

「外国人商人は次々と逃げ出しています。アルヤはもう危ないと思ってやがるんです」

「がいこくじん?」

「西洋人や大華たいか人です。あいつらさんざん戦後のエスファーナで儲けておきながら帝国軍がもう一回進軍したと聞いた途端慌てて出ていきやがった」

 ソウェイルは戸惑った顔で「でも」と口を尖らせた。

「お兄さんもアルヤ人じゃなくない? チュルカ人じゃない……?」

 少年は、今度はすぐに首を横に振った。

「俺は、両親はチュルカ人ですが、アルヤ人です。しがない職人ですから、殿下が宮殿に戻られたらもうお目にかかることはないかもしれないですけど、気持ちはずっと殿下にお仕えしているつもりです」

「お父さんとお母さんはチュルカ人なのに、お兄さんはアルヤ人なのか」

「二人とも北チュルカ出身で、親父は黒軍兵士で今サヴァシュ将軍と一緒にタウリスへ行ったんですけど。でも、俺は戦士じゃないです」

 「職人なんです」と繰り返した。

「俺は、アルヤの工芸品が好きです。アルヤの象嵌細工、アルヤの細密画――アルヤの絵は全部綺麗でしょう? 絨毯だって硝子ガラス細工だって、詩や音楽もそうだ、アルヤの芸術は何だって世界に誇れるものです。俺は、そういうものを受け継いで、守っていきたいんです。だから、アルヤ人として生きると決めたんです」

 ソウェイルは、また、瞬いた。

「そりゃ、不満もありますよ。チュルカ人のくせに、って言われます。ぶっちゃけ、俺は今のそういうアルヤのちゃんとした連中は好きじゃないです。アルヤの何もかもが世界で一番すごいと思ってて、他の民族を二流三流に見てる。俺はアルヤ人のそういうところには腹が立ちます」

 少年の汚れた手がソウェイルの手をつかむ。

「でも、俺はこのエスファーナで生きていくって決めました」

 「あなた様がいらっしゃるから」と言う声に迷いはない。

「次の時代が来るんです。あなた様の時代が来たら、きっとみんな変わるんです」

 ソウェイルが口を開きかけた。

 その時だった。

 店の方から足音が聞こえてきた。

「おい、ちょっといいか? 何度も申し訳ないけど、また頼みたいことが出てきて――」

 無遠慮に入ってきたのは、店の少年と同じくらいの年頃の少年だ。

 少女たちと店の少年が、「あ」と呟いてソウェイルに身を寄せた。

 入ってきた少年が、目を、真ん丸にした。

「『蒼き太陽』」

 慌ててチャードルをかぶり直したが時すでに遅い。

 入ってきた少年もまた、ソウェイルの前でひざまずいた。

「どうして『蒼き太陽』がここに」

 少女たちが「わたしたちが連れてきたの」「ちょっとお散歩のつもりで」としどろもどろで説明する。

「ちょうどいいところでお会いできた……!」

 店の少年が離したソウェイルの手を、今度はやって来た少年がつかんだ。

「神はやはり俺たちを見捨ててなかった……! 神が助けてくださったんだ」

「かみ?」

 繰り返したソウェイルに向かって、彼は涙を浮かべながら笑みを見せた。

「どうぞお助けください、アルヤの神。俺たちの神をお許しください」

 せきを切ったように「俺はサータム人です」と告白する。

「今俺の家族はエスファーナ大学で暮らしています。母や妹たちまで大学から出られなくなって困っています」

 ソウェイルが目を丸く見開いた。

「どうか助けてください。とにかく、俺と一緒に大学へ来て状況をご覧になってください……!」

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