第10話 手紙が来ない

 タウリスから戦況を報じるナーヒドの手の書簡が届いてひと安心したテイムルは、息抜きがてらソウェイルとフェイフューの兄弟喧嘩と向き合うことにした。

 シーリーンによれば、ソウェイルとフェイフューは公衆の面前で取っ組み合って以来一度も口を利いていないらしい。すでに十日近く前の話になり、二人とも顔の痣が消えたというのに、だ。

 フェイフュー専属の侍従官とシーリーンを使って、双子を宮殿中庭の噴水の前に呼び出した。

 二人とも、互いの顔を見ようとしない。

 こどもの兄弟喧嘩など一晩寝たら忘れるものだと思い込んでいた。テイムルは双子を似ていないと思い込んでいたが、二人とも臍を曲げるととてつもなく頑固なのは共通しているらしい。

 テイムルが本題を切り出す前に、フェイフューが口を開いた。

「ぼくはあやまりませんからね。兄さまがおのれの過ちを認めて方向転換すべきです」

 ソウェイルが顔をしかめる。

「これだけはおれもゆるさないからな。おれだけじゃなくて、サヴァシュやチュルカ人のみんなのメーヨにかかわることだからな」

 フェイフューは鼻で笑った。

「何が名誉ですか、未開の野蛮人ですよ。詩のひとつも詠めない人の名誉など大したものではないです」

 一瞬、ソウェイルが「詩」と呟いて固まった。テイムルの方を見る。

「詩って、そんなにみんな、よめるもの?」

「まあ……アルヤ紳士のたしなみですからねえ……。アルヤのおとなの男ならたいていの人は詠めるのでは?」

 ここだけの話、従兄弟で幼馴染のテイムルもナーヒドが作詩をしている場面に出会ったことはなかった。しかしフェイフューもそらんじたあの『蒼将軍家は武門の誉れ』で始まる叙事詩を朗唱するところには何度も居合わせている。初代ソウェイル王の時代、最初の蒼将軍の戦いを謳った、建国神話と重なる内容の胸躍る軍記だ。朗々と謳い上げるナーヒドはかっこよく見えるかもしれない。

 ソウェイルがうつむいた。

「あれって、フォルザーニーのおじさんとか、お金持ちの一部がやることなんじゃないのか……」

「ええ、フォルザーニー卿は特に詩の名手として名を馳せているお方ではありますが――」

「テイムルも詩をよめる?」

 返答に悩み黙っていると、脇からシーリーンが「とても情熱的な詩を詠まれますよ」と言い出した。昔密かに送った恋文の話をされるのか、もしくは今即興で何か詠めと言われるのではないか、と慌てふためいた。

 ソウェイルはそっけなく「ふうん」と呟いた。

「おれ、詩、あんまりきょうみない……」

 それはそれで困る。テイムルはアルヤ紳士の規範として何か詠んでみせるべきかと思った。ソウェイルにはもっとアルヤ人男性としての作法を教えるべきかもしれない。

 テイムルが一人腕組みをして考え込んでいたところに、宮殿の回廊の方から新たに一人の白軍兵士が近づいてきた。伝令兵の少年だ。

「テイムル将軍」

「何かあった?」

「将軍あてにナーヒド将軍から追加で極秘の密書が届きました。くれぐれも十神剣の外に漏らさないようにとおおせだったとお聞きしています」

 差し出された手紙を受け取りつつ、顔をしかめた。

 十神剣の中だけで共有したいということは、軍事とは直接関係のない、十神剣の誰かの個人的な問題の話かもしれない。

 一瞬、またサヴァシュと揉めたのだろうか、というのもよぎった。ソウェイルとフェイフューがサヴァシュとナーヒドのどちらが強いかで揉めている今その二人にやらかされたら困る。

 伝令兵はもう一通手紙を持っていた。「こちらはラームテイン将軍からフェイフュー殿下に」と言ってフェイフューに差し出した。フェイフューの顔いっぱいに笑みが広がった。

 ソウェイルは黙ってその様子を眺めていた。

 手紙を開いた。ナーヒドらしい、尖ってはいるが力強く丁寧な文字がつづられていた。

 読み始めて、テイムルは目を丸く見開いた。

 書かれていたのは、まるっきり、想定の範囲外の話であった。

 思わず途中でシーリーンの顔を見てしまった。ついこの間シーリーンとそんな話をしたばかりであった。これが女の勘というものか。

「どうかいたしましたか」

「いや――」

 ナーヒドの言うとおり、この件は当人たちが戻ってくるまで胸にしまっておいた方がいいかもしれない。いくらソウェイルの乳母代わりであり近い将来自分の妻になるシーリーンといえど十神剣ではないのだ、避けた方がいいかもしれない。

 それに、ここには今、ソウェイルがいる。

 ソウェイルはまだ九歳だ。こういうことは何にも知らないのだ。今ユングヴィの身の上に起こっていることについてどう説明すればいいだろう。

 というより、まず、テイムルが説明されたい。いつどういう流れでそういうことになったのか、テイムルにはまったく想像できない。

 ナーヒドは当人たちが口を割らないと書いている。こういうことを探り出すのは不器用なナーヒドには期待しない。強いて言えば、こういう話題が得意なのはベルカナだが、ベルカナは経験者としてユングヴィに不利なことは話さない気もする。

 フェイフューが場違いに明るい声を上げた。

「すごいですー! ラームがタウリスの話をたくさん書いてくれました。タウリスがいにしえのアルヤ帝国の都だった頃の皇帝と町人の交流の話だそうです。面白いです、行ってみたいですー!」

 ソウェイルから、小さな、消え入りそうなほど小さな声が聞こえてきた。

「おれ、ちょっとひとりになりたい……」

 シーリーンがテイムルに「いかがいたします」と投げ掛けた。ナーヒドからの手紙で頭がいっぱいだったテイムルは、ろくにソウェイルの顔を見ることもなく「おおせのままにして」と言ってしまった。

 ソウェイルが小走りでその場を離れていった。

 そのあとを追い掛ける者はなかった。


 正堂と正門をつなぐ前庭の真ん中、植えられた低木樹の茂みから、蒼い尻尾がはみ出していた。

「あら、王子様」

 まだ十代前半とおぼしきヤクプ族の少女たちが三人通りがかる。茂みの中を覗き込み、膝を抱えて座り込んでいるソウェイルの姿を見つける。

「どうしたの? 泣いてるの?」

「泣いてなんかない」

 少女たちが顔を見合わせた。

「元気がないね」

「何か嫌なことがあったの?」

「何でもない」

「ちょっと気分転換する?」

 ソウェイルが顔を上げた。

「わたしたち、これから中央市場にお出掛けしようと思ってるんだけど。王子様も行く?」

「え……、いいのか?」

「うん、わたしたちはぜんぜん平気」

 少女たちは、裏表のない、無邪気な笑顔を浮かべていた。

「落ち込むことがあった時はお散歩でもして外の空気を吸うと気分が変わるよ」

「でも、めいわくじゃない……?」

「わたしたち、王子様のおかげでここにいられるんだもの。恩返ししたいなあ」

「王子様に元気でいてもらいたいから。一緒に遊びに行こう」

 ソウェイルは立ち上がり少女たちに歩み寄った。

「うれしいけど、おれ、勝手に外に出たらいけない気がする。たぶんおおさわぎになってしまう。みんな、おれを見たらびっくりするから……おれもみんなにおおさわぎされたくないし……」

 少女たちは頷き合った。

「そうだね、王子様のその髪、とっても目立つもん」

「けどさ、せっかくだから――」

 うち一人が、自分の上着を脱いだ。

 そして、それを、ソウェイルに頭からかぶせた。

「これでごまかせないかな?」

 少女たちの首元の銀細工が、しゃらり、しゃらりと鳴った。

 ソウェイルは笑みを浮かべて大きく頷いた。

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