第9話 チュルカの戦士と白軍兵士
数日前、蒼宮殿の中庭、日が当たって暖かい辺りに古びた絨毯を敷いた。
以来、そこがヤクプ族の女性たちとソウェイルの憩いの場になった。
ソウェイルは今日もヤクプ族の女性たちに囲まれている。
今日はある若い女性が赤ん坊を抱いてやって来た。聞けば北部からエスファーナに移動する最中に生まれてまだ一ヶ月らしい。
みんなこの子を守りたかったのだろうか。この子が生まれるまでは戦わないと決めて南下したのだろうか。
そう言えば、戦士たちは戦わない武人であるテイムルを大変だと言っていた。産み月の女性を守って戦いを避けた日々は他ならぬ彼らにとって大変な道のりだったのかもしれない。
母親が赤ん坊を差し出した。
ソウェイルは最初戸惑った様子を見せた。視線をさまよわせて周りの他の女性たちの顔色を窺った。
別の女性が背後から抱くようにしてソウェイルの腕をつかんだ。赤ん坊へ向かって手を伸ばすよう仕向けた。
ソウェイルの腕が、赤ん坊を抱いた。
「まあ、嬉しいこと」
ヤクプ族の女性たちが、チュルカ訛りの強い、少したどたどしいアルヤ語でソウェイルに語り掛ける。
「この子、幸せ。アルヤの王子様、この子、抱っこした。とても素晴らしい」
「この子、泣かない。きっと抱っこが嬉しいね」
「この子、強い戦士になるよ。大きくなったらアルヤに恩返しをする。戦士の子は恩を裏切らない」
赤ん坊を抱いたまま、ソウェイルは何度も頷いた。
テイムルとシーリーンは、そんなソウェイルを眺めて、ほっと息をついた。
「よく彼らを受け入れることにしましたね」
「拒んで恨まれでもしたら困るからね。一番厄介なのは敵を増やすことだ。今回は自分から助けを求めて来たんだから、多少お金がかかってでも関係を維持しないと」
シーリーンが穏やかな笑顔で頷いた。
「それにね、大事なのは、誰を助けるかじゃない、誰が助けたところを見ているかだ。アルヤの王族は女子供を抱えて遠路はるばる旅をしてきた人々に冷たいと思われるのが一番の損失だ」
「おっしゃるとおりです」
「それこそ、フェイフュー殿下のおっしゃるとおり、いくらチュルカ人と言ってもたかだか数百人、白軍がまるまる温存されている現状で衝突してもこちら側がどうかなるわけがない。その程度の危険なら異民族に優しいところを演出すべきだと思った」
「そうですね。仮にその数百人がみんなサヴァシュ将軍だったら別ですが、さすがにそんなむちゃくちゃはないでしょうし」
「数百人どころかあの場にいた戦士が全員サヴァシュだった時点で蒼宮殿陥落だよ、その場合はもう持てるものすべてを差し出して命乞いをするよ」
溜息をつきつつその場にしゃがみ込んだ。
目線の先では、相変わらず、ソウェイルが女たちにあれこれと話し掛けられながら赤ん坊をあやしている。
しかし――テイムルは少し落ち込んだ。
ソウェイルはサヴァシュを、フェイフューはナーヒドを推して一歩も引かなかった。
どちらもテイムルが強いとは言わないのである。
分かってはいる。白将軍など戦わない方がいい。白将軍が剣を抜く時は太陽に危機が迫っている時だ、太陽は白将軍がいかに強いかなど知らない方がいいのだ。
それでも気になる。
ソウェイルはいったいサヴァシュのどこにそこまで惹かれたのだろう。なぜサヴァシュであってテイムルではないのか。
テイムルはテイムルなりに気を使ってきた。毎日洗った服に着替え、丁寧にひげを剃り、言葉遣いや立ち振る舞いにも慎重にやってきた。それもこれもみんな清潔で物腰穏やかな方が子供に好かれると思っているからだ。
だが、実際に選ばれているのは、アルヤ人ではまず見掛けない髪形で、不愛想で口の悪いサヴァシュの方である。
自信をなくしそうだ。
「僕、殿下はずっとユングヴィと一緒にいたから女性が好きなんだと、男に対しては一律で人見知りのような態度を取るんだとばかり思っていたんだよ。でも、白軍兵士はだめでチュルカの戦士はいいんだね。殿下の中ではどんな違いがあるんだろうなあ」
「あながち間違っていないかもしれませんよ」
シーリーンが唇を尖らせる。
「殿下はユングヴィ将軍の好きな人を好きになるのかもしれません」
「サヴァシュとユングヴィって仲が良かったかな」
「剣術の稽古をされていた時に何度かご様子を見に行ったことがありまして、その時の話になりますが、だいぶ親しそうでしたね」
「ユングヴィって表面的にはわりと誰とでも親しくしない? サヴァシュが特別だとは思わないけど」
「まあ、言われてみれば、そうかもしれません。私はユングヴィ将軍をあまり深く存じ上げませんから。ですが、それならそうで逆に気をつけた方がいいですよ」
彼女は澄ました顔でユングヴィの真似をした。
「わー、サヴァシュすごーい! ほんとに何でもできるんだね! いつもありがとう! 私嬉しいよ! わーいもっとやってー!」
「似てる……」
「これをすべての男性に対してやるのだとしたらやめさせた方がいいです。こんな態度を取られたら並みの男性は気分が良くなるに決まっています。そのうちみんなユングヴィ将軍が好きになってしまいますよ」
テイムルの心臓が凍りついた。
「あんな、男の子の母親になるために生まれたようなお人、放置していてはいけません。いつか世の男性を手玉に取って刃傷沙汰を起こさせるようになるかもしれません」
「僕は今初めてユングヴィという人間の何が恐ろしいのかを知った」
「赤軍だって、ユングヴィ将軍がそういうことを無自覚でやるお方だからうまくいかないのではありません? きっとみんなユングヴィ母さんの気を引こうとして勝手なことをするのですよ。お母さんに他の兵士より注目されたいのです」
正面から「そうか……」という呟きが聞こえてきた。
はっとして前を向くと、いつの間にかソウェイルがテイムルの真向かいにしゃがみ込んでいた。
「あら殿下、赤ちゃんはもういいのです?」
「赤ちゃんねちゃったんだ。だから今日はもう終わりだ」
シーリーンもかがんでソウェイルと目線を合わせた。
「すごいですね、殿下、赤ちゃんを寝かしつけたのですか。よほど殿下の腕の中が安心だったのですね」
ソウェイルが機嫌良さそうに笑う。こんな笑顔を見ていると、テイムルは、心から、あのチュルカ人たちをここにとどめ置いてよかった、と思う。
「なあ、テイムルとシーリーンって、なかよし?」
テイムルとシーリーンが顔を見合わせた。
「そう見えますか?」
「うん、たくさん話をしてるし、いっしょにいてほっとするかな、と思った」
反応に困ったテイムルをよそに、シーリーンが笑みを絶やすことなく「そうですねえ、そうかもしれませんねえ」などと言う。
ソウェイルが「なあ」と繰り返す。
「二人にお願いしたいことがあるんだけど、言ってもいい?」
甘えてくれることが嬉しくて、テイムルはすぐ「はい、何でもどうぞ」と答えてしまった。
次の時、テイムルだけでなくシーリーンも硬直した。
「けっこんして赤ちゃんを作ってくれ」
二人が絶句したのを見て、ソウェイルが途端に不安げな顔をした。
「だめだった? だめならいい」
「あの、ちょーっとだけ、ちょおーっとだけお待ちください、心の準備が」
「どうしてそんなお話に? なんだか急すぎてシーリーンはとてもびっくりしました」
「え……近くに赤ちゃんがいて毎日見れたら楽しいと思ったんだけど……シーリーンが赤ちゃんをうんだらおれ毎日お世話できるかな、って……テイムルなら年も近いしなかよしだし、この前かみの毛見たからちょうどいいかな、って思った……」
ソウェイルとしては想定外の反応だったのだろうか。彼はすぐさま「ごめんなさい」と言ってうつむいた。
「念のためにお訊きしますが、殿下はどうやったら赤ん坊ができるのかご存知なんですか?」
「けっこんしたらできるもの――じゃ、ない、んだよな、たぶん……けっこんしたらできるんだと思ってた……けど……テイムルとシーリーンがそういう顔をするってことは、なんか、ちがうんだな……ごめんなさい……」
そこで、シーリーンがソウェイルの手をつかんだ。
「いいえ、いいのですよ、殿下」
ソウェイルが弾かれたように顔を上げる。
「殿下が、赤ちゃんをお望みなのですね」
「え? え、でも――」
「太陽がお望みなら、それを叶えて差し上げるのが白将軍の務めではございませんか。ねえ、将軍?」
テイムルは耳まで熱くなるのを感じた。
「殿下のためですもの、シーリーンは頑張ってテイムル将軍の赤ちゃんを産みますね」
「ほんとか? だめならだめでいいんだぞ」
「そうだよ、君はどうやって子供を作るか知らないわけではないでしょうに」
「あら、テイムル将軍はシーリーンと子供を作るのが嫌なのです? だからいつまで経っても結婚式を挙げてくださらないのですね」
ソウェイルが「けっこんしき!?」と声を裏返した。
「おれけっこんしき見たい! けっこんしきしてくれ!」
「ほら。太陽がこうおおせですよ」
テイムルにはもはや逃げられそうになかった。
「じゃあ、僕と結婚して、子供を作ってくれますか?」
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