第8話 いいぞやれやれ!
「しばしお時間をいただきたい。こちらもいろいろと事情があって即答できかねます」
チュルカの男たちにそう告げた。
何人かは「ああ!?」「テメエナメてんのか」と声を荒げた。だが同時に、別の何人かは双子を眺めつつ、「仕方ないな」「待っていてやるよ」と笑った。
「何だ、あいつ、軍人かと思ったが違うのか」
「あれが噂の子守将軍だ。あれは戦の時に王子様と都で留守番をするのが仕事なんだ」
「大変だな。並みの武人だったらこんな情勢で王子様のおもりなど耐えられんだろうに」
心の中で、聞こえないように言うか分からないようにチュルカ語で喋ってくれ、と叫んだが、白将軍であるテイムルが下品な振る舞いを表に出すのは許されない。
右手でフェイフューの左手首を、左手でソウェイルの右手首をつかんだ。肩を傷めないよう、ゆっくり、だがしっかりと引いた。
二人とも二、三歩ほどテイムルの方へ近づき、テイムルにまっすぐ向き合った。
テイムルはその場に膝をついた。双子に目線を合わせた。
「少しお話しましょう。三人で話し合って彼らをどうするか決めましょう」
実はこの時テイムルの腹はすでに決まっていた。双子が何をどう言おうと、テイムルは白将軍として――蒼宮殿の管理者の一人としてひとつの結論を出していた。
だが、大人の結論を押しつけるのは教育ではない。
二人も春が来ればもう十歳になる身だ。相手の意見を聞き、かつ自分の意見を言う――つまり、議論の仕方を学ばせなければならない。互いに満足するまで話ができたと思わせた上で、テイムルの意見に同調するよう説得するのだ。
「まずは、先に彼らと話をしたソウェイル殿下にお訊きしますね」
ソウェイルが頷く。
「どのような経緯でこちらへおいでになられましたか。確か朝はお部屋にいらっしゃったと記憶していますが」
しどろもどろではあったが、ソウェイルは何とか自分の口で説明した。
「みんなが、がちゃがちゃしてて……。みんなって、女官とか、白軍兵士とか……。いっぱい人が――チュルカ人が来てて、おもしろいから見に行くって言ってて――おれ、やだったんだ。なんか、チュルカ人がおもしろいからってじろじろ見るの、そんなのさらしものだって思ったんだ。だから、みんな殿下は来ちゃだめって言ったけど――」
「周りに止められたのを振り切って、いらしてしまったんですね」
「……さいしょは、ここにいるとイジワルなアルヤ人のせいでやな思いするから、早く帰って、って言うつもりだった。すぐ終わるはずだったんだ。そしたら、みんな、それでもいいからきゅうでんに入りたい、って言うから……話を、って……」
「分かりました」
テイムルはそこでひとつ頷いて見せた。
「この前、エスファーナ大学でサータム人の立てこもりが発生した時、そのサータム人たちを助けてあげたらひいきになって、最後はソウェイル殿下が困ることになるかもしれない、という話をしたのは憶えておいでですか」
「ああ」
「今回は、チュルカ人の、それもヤクプ族の人たちをひいきすることになるとは思いませんでしたか」
フェイフューが声を荒げた。
「そうですよ! 他の部族の面倒まで見るはめになったら――」
「フェイフュー殿下」
テイムルは首を横に振った。
「まだソウェイル殿下がお話になる番です。我慢できませんか」
フェイフューが黙った。面白くなさそうな顔をしているが一応我慢はできるらしい。
ソウェイルがふたたび口を開いた。
「お金がほしいとは言ってない。ううん、生活にはお金がかかるけど……、でもその分はたらくって言っている」
そしてうつむく。
「みんなの言うとおり、サヴァシュが戦争に出かけて不安なのも本当だ。もし、サータム人とけんかになっても、チュルカ人がたくさんいたら、安心だ」
「なるほど」
「それに、おれ、チュルカ人のみんながエスファーナなら安全だと思ってくれたのがうれしい。エスファーナはみんなを守ってくれるし、みんなもエスファーナを守ってくれるんだ」
いろいろ言いたいことはできたが一度呑み込んだ。今はとにかく双子に喋らせることを優先したい。テイムルの意見はあとでいい。
フェイフューの顔を見た。
自分の番が来たことを悟ってか、フェイフューはすぐに話し始めた。
「サヴァシュが何ですか。このまま帰ってこないで結構ですよ、あんな野蛮人」
ソウェイルが目を真ん丸にした。
「黒軍はもともと戦場でしか役に立たない部隊です、平時は日がな一日酒を飲んで寝ている連中です。白軍はまるまる残っているではありませんか、白軍なら安心です、選ばれた精鋭の中の精鋭、何があっても守ってくれます。白軍さえいれば安心なのです」
テイムルは自分の額を押さえた。白軍が褒められるのは嬉しいが、こんな話題で引き合いに出されるのは本意ではない。
「サヴァシュも、普段はろくに仕事をせずその辺でうろうろしています。アルヤの国の決まり事は守らないし式典には出ないしだらしない男です。チュルカ人はみんなそう、肉を食べて酒を飲んでその辺を馬で駆け回る、アルヤ民族の財産を略奪する連中です」
ソウェイルが何かを言い掛けた。だがフェイフューはソウェイルに発言を許さなかった。
「いいですか、ああいう人がいるから、エスファーナは悪くなるのですよ。ああいう人のせいで、エスファーナがくさっていくのです。兄さまもあんなやつとは付き合わない方がいいです」
ソウェイルが拳を握り締めた。
「軍隊のことは全部ナーヒドがやってくれます。サヴァシュはいりません」
ソウェイルの肩が震えた。
「何が最強ですか、ナーヒドの方が強いに決まって――」
その途中であった。
ソウェイルが拳を振り上げた。
ソウェイルの拳がまっすぐ空気を裂いた。
フェイフューの頬にめり込んだ。
フェイフューがよろけたところを、ソウェイルはその胸を押して突き飛ばした。フェイフューは尻餅をついた。
一拍遅れて、傍で見ていた女官が悲鳴を上げた。
「十神剣最強はサヴァシュだ!」
ソウェイルからそんな大きな声が出るとは思っていなかった。
「サヴァシュはすごく強くてかっこいいんだ! お前なんかが何か言ったってサヴァシュが最強なのは変わらないんだからな!」
フェイフューはすぐさま立ち上がった。赤く腫れた頬には触れずソウェイルを睨んだ。
「十神剣最強はナーヒドです。蒼将軍家は武門の誉れ、国の興りし時より戦い続けて過ぎる年月は幾星霜――チュルカの蛮族とは格が違うのですよ」
ソウェイルがフェイフューの胸倉をつかむ。ソウェイルの白い指がフェイフューの服の襟に食い込む。
「十神剣最強はサヴァシュだ」
「いいえナーヒドです」
「サヴァシュだ!」
「ナーヒドです!」
ソウェイルはフェイフューを引きずり倒した。フェイフューの腹の上に馬乗りになった。もう一度殴ろうとした。
周りにいるチュルカの男たちが指笛を吹いた。
「おっ、兄弟喧嘩か!?」
「いいぞ! やれやれ!」
だがソウェイルが優位に立てたのはそこまでだ。
フェイフューは次のソウェイルの拳をかわした。
フェイフューが身をよじるだけでソウェイルの体が地面に崩れた。
入れ替わり、フェイフューがソウェイルの胸倉をつかんだ。
ソウェイルの体はいとも簡単にフェイフューの方へと引きずられた。もがいたが逃れられない。
フェイフューがソウェイルの頬を殴った。
ソウェイルは軽く吹っ飛んだ。
地面にうつ伏せで転がったままのソウェイルの脇腹を、フェイフューが思い切り蹴り上げた。ソウェイルの体が反転して上を向いた。
ソウェイルの腹を踏みつける。ソウェイルが呻き声を上げる。
「あやまってください」
唇の端から血を流しつつ、冷たい声で言う。
「訂正してください。最強はナーヒドです」
しかし、ソウェイルはなおも鋭い眼光で答えた。
「いやだ! サヴァシュのことをバカにするのはゆるさないんだからな!」
テイムルはシーリーンの髪を見た時のことを思い出した。あの時もソウェイルはテイムルに対して怒りをあらわにした。シーリーンが辱めを受けたと思ったからだ。
ソウェイルは、自分の周りの誰かが貶められた時にだけ、本気で怒るのだ。
ソウェイルがフェイフューの足をつかんで引いた。フェイフューは一度体勢を崩した。しかし動じなかった。ソウェイルの手を蹴り上げた。ソウェイルが手を離し顔をしかめた。
フェイフューがふたたびソウェイルの服の襟をつかんだ。ソウェイルを引きずってあえてもう一度立たせた。
拳を握り締める。
振り上げる。
そこで、テイムルは手を出した。
左手でフェイフューの拳を受け止めた。右手でソウェイルの服の襟、フェイフューが握っていたすぐ上をつかみ、強引に離させた。
「終わりです」
ソウェイルもフェイフューも、周りで見ていたチュルカの男たちも、「えーっ」と不満の声を上げた。
「喧嘩はだめとおっしゃったのはソウェイル殿下ですよ。そう言ったソウェイル殿下が、ひとを殴るんですか」
どんな理由があろうとも先に手をあげたのはソウェイルだ。そう思い、テイムルはまずソウェイルをたしなめた。
ソウェイルは鼻血を出したままテイムルを睨みつけた。
「おれは『蒼き太陽』だからいいんだ」
「こういう都合の悪い時ばかりだめです」
次の反応は待たない。
右腕でソウェイルを、左腕でフェイフューを抱え込んだ。
そのまま、持ち上げた。
「ぎゃーっ!!」
双子をそれぞれの脇に抱えた状態で、テイムルは溜息をついた。
「誰か」
周りで呆然と見ていた兵士たちが我に返って歩み出る。
「ヤクプ族に宮殿前大広場で
チュルカ人たちから歓声が上がった。
男たちが何やら声を掛けてきた。テイムルはそれに取り合わなかった。まずは双子を落ち着かせなければならない。双子を宮殿の奥へ運び始めた。
「やぁだーっ、おーろーせーっ!」
「何をするのですっ、ぼくにこんなことをしてゆるされると思っているのですかーっ」
双子が揃って暴れる。こういう動きはとてもよく似ている。
「はいはい、とりあえず手当てをしましょうね」
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