第7話 ヤクプ族

 珈琲コーヒーを飲みつつ、テイムルは溜息をついた。

 目の前、机の上に一通の書簡が広げられている。

 エスファーナ大学の学長からの返事だ。

 大学に逃げ込んだサータム人官僚たちの引き渡しには応じられない。なぜなら彼らは三年間エスファーナ大学の学問に投資した人々であった。彼らは真理の探究のために私財を提供してくれた。俗世の政治に負けて恩を仇で返すわけにいかない。大学は彼らを保護する。

 大学に国境はない。学長も、すでに三十年はエスファーナ大学にいるそうだが、もとはサータム帝国出身だ。だが、彼が同郷のよしみで学問に関係のない人間を融通しているとは思えない。あくまで学問の保護者の保護者なのである。神経質そうな文面からは彼の高潔な意志が滲み出ている気がした。

 さて、どうしたものか。

 扉を叩く音が聞こえてきた。

「すみません」

 フェイフューの声だ。

 驚いて顔を上げた。

 わざわざこの執務室まで出向くとは、何かあったのだろうか。

 急いで立ち上がってテイムルの方から扉を開けた。

 フェイフューが三人の白軍兵士に守られつつそこに立っていた。

「お仕事中ですか? お忙しいですか?」

 テイムルは笑顔を作って「いいえ」と答えた。

「テイムルの一番の仕事は王子お二人をお守りすることですから、フェイフュー殿下がお求めならどんな仕事も後回しですよ」

 嘘ではない。むしろ最近ソウェイルばかりを優先してフェイフューをないがしろにしがちの自分を恥じる。白軍は王族を守るためにある。一番はやはり太陽だが、太陽が損をしない限りは他の王子や王女にも気を配るべきだ。

 今はソウェイルは一緒でないらしい。フェイフューは一人で部屋に入ってきた。

「テイムルに相談があって来ました」

 フェイフューが大きな瞳でテイムルを見上げながら言う。ソウェイルと同じ色の瞳だ。並んでいると似ていないように感じてしまうが、こうして別々に見るとやはり兄弟で、顔を構成する部分部分が同じだと思う。

「はい、どのような?」

「学校が閉鎖になります」

 恐れていた事態になった。

「今週いっぱいで一度終わりだそうです」

 もはや子供たちを集めることも危険であると判断されるほどエスファーナの治安が悪化しているということだ。貴族は次々とアルヤ国を見捨ててラクータ帝国に亡命している、児童が足りず学級が成り立たなくなった可能性もある。

「先生が親に事情を説明したいのだそうです。そういう時、ぼくは誰に来てもらうべきなのかと思って。ナーヒドがいればナーヒドに頼むのですが」

「テイムルであっていますよ。白将軍家は王家第一のお傍付き、護衛だけでなく身の回りのお世話すべてを申しつけていただくためにいる家臣ですから。一般家庭で父親がやることはテイムルが代行させていただきます」

「よかったです。お願いしますね」

 フェイフューが笑みを見せた。

 テイムルは、つい、思ってしまうのだった。

 ソウェイルもこれくらい気軽に頼みごとをしてくれたらどんなにいいだろう。

「あと、もう一個訊きたいことが」

「何でしょう」

「親が国を出ると言っていて困っている友達が三人ほどいます」

 フェイフューは本当に痛いところを突いてくる。

「みんなアルヤを離れたくないと言っています、ぼくも離れたくない友達です。それに、どいつの家も、大きな貴族の家で、彼らが財産を持ってまるごと国外に出てはアルヤにとっては大きな損失になると思います。何とかして引き留めたいです」

 テイムルは一人腕組みをした。

「しばらくの間彼らを蒼宮殿に滞在させることはできませんでしょうか?」

「う、うーん」

 困ったテイムルが唸った時、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。

「テイムル将軍!」

 若い白軍兵士の声だ。

「どうした、入れ」

 廊下に向かって呼び掛けると、扉が少し乱暴に開けられた。

「ソウェイル殿下が……!」

 一瞬心臓が止まった。


 蒼宮殿の正門に群衆が押し寄せている。

 いずれも細かな刺繍の入った民族衣装を着ている人々であった。女性は全身に銀細工の飾りをつけ、男性は髪を編み込んで頭に帽子を載せている。そして、おそらく家財道具一式を、荷馬車に積んで引きずるように運んできている。

 チュルカ人だ。

 チュルカ人の団体、それもいくつかの氏族、ひょっとしたらひとつの部族まるごとかもしれない数百人ほどの人数が、宮殿の中へ入ろうと押し合いへし合いして詰めかけている。

 外側の大きな門と宮殿の南の正堂へをつなぐ道の真ん中に、ソウェイルと三名の白軍兵士が立っている。そして、周りを、屈強なチュルカの戦士の男十数名が囲んでいる。

 傍で見守っていた女官たちが「将軍」と救いを求める声を上げた。

 掻き分けてソウェイルの前に出た。腰に携えた白銀の神剣の柄に手をかけながらソウェイルの前に立った。

 テイムルがすぐにでも抜剣できる体勢で現れたのに反応して、チュルカの戦士たちもめいめい腰の刀へ手を伸ばした。

「テイムル」

 後ろからソウェイルの声がする。

「だいじょうぶだから、けんかはだめだ」

 そう言うソウェイルの声は落ち着いて聞こえた。

 剣のつかを握ったまま、ソウェイルの方を振り向いた。

 ソウェイルは大きな瞳を悲しそうに曇らせてテイムルを見上げていた。

「喧嘩はだめだそうだ、白将軍」

 正面、黒地に銀糸の刺繍の入った上着デールを着て髪を一本の太い三つ編みにした、顔じゅうがひげで覆われている男が言う。その態度には余裕さえ見て取れる。

 彼は刀から手を離して両の手の平を見せた。少なくとも敵意はないようだ。攻め込んできたわけではないらしい。

「俺はヤクプ族族長、ギョクハンの息子のヌライの息子のベルケルの息子のケレベクの次男のドゥマンだ。以後よろしく頼む」

 神剣から手を離しつつ、テイムルも応えた。

「アルヤ王国近衛隊隊長、白将軍テイムル・メフラザーディです」

 ヤクプ族の族長は目を細め口角を上げて笑顔を作って見せた。総じて不愛想で感情を表に出そうとしないチュルカ人にしては珍しい。

「ヤクプ族の戦士の長とお見受けしますが、どんなご用でおいでに? アルヤ語を解する貴殿が我らにとって『蒼き太陽』がどれほどの意味をもつのかご存知ないとは思いませんが」

「単刀直入に言う。蒼宮殿に入れていただきたい」

 チュルカの戦士というやつはだいたいこうして自分の事情を押しつけてくる。

「我らヤクプ族はアルヤ北部州の西の方で遊牧生活をしている部族。タウリスが戦場になりこのままでは我らの生活も危ぶまれると判断した。だが、南下すればまだ安全なところが残っていると思ってな」

「それで、宮殿に避難したいと?」

「いざ来てみたらエスファーナも荒れ放題で驚いた。人手が足りないんだろう。黒軍が西部に出ていったと聞いた、俺たちが代わりをやってやる。女たちもよく働く、掃除なり洗濯なり使ってもらって構わない」

「それはまあ、悪くはないお申し出ですが――」

「結構です。お帰りください」

 ぎょっとして下を見ると、いつの間にか追い掛けてきたらしいフェイフューがヤクプ族の族長を睨んでいた。

「あなたがたがそういう勝手なことをするからエスファーナの治安が悪くなるのです」

 戦士のうちの一人が「何だこのガキ」と唸った。族長が「やめろ、フェイフュー第二王子だ」と押さえた。

「自分たちの生活が心配なら草原に帰ったらどうです? こんな時にまで甘えてこられても困ります、面倒を見切れません」

「ちょっと、フェイフュー殿下、落ち着いてくださ――」

「お引き取りください」

 族長が微笑む。

「威勢がいいのは結構だが、あんたがそう言ってもなあ。俺たちが交渉している相手は『蒼き太陽』だ」

 フェイフューを押し退けるようにしてソウェイルが一歩前に出た。

「おれはいいと思う。きゅうでんに入ってくれ」

 ソウェイルははっきりとした声音で言った。意外だ。こわもての異民族に囲まれておびえているに違いないと思っていたのだ。

 チュルカの戦士たちが、「ほら、『蒼き太陽』はこう言っている」とはやし立てた。

「いけません! どこのどいつとも知らぬ異民族を簡単に宮殿へ入れるなど!」

「どこのどいつって、北部でゆーぼく生活をしていたヤクプ族って、ちゃんと名乗っているのに」

「ぼくは兄さまのために言っているのですよ?」

「べつに、きゅうでんは広いから、これくらいじゃきゅーくつでもないし。おれのねる部屋がとられたらこまるけど……」

 フェイフューがテイムルを振り返った。

「テイムル、兄さまを止めてください!」

 ソウェイルもテイムルを振り返った。

「テイムル、みんなを入れてくれ」

 テイムルはいよいよ言葉に詰まった。

「ねえテイムル」

「なあテイムル」

「テイムル!」

 二人の呼ぶ声が重なった。

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