第4話 詩人たちの政治

 ソウェイルを部屋に閉じ込めておきたいという願望と、ソウェイルを外で活動させなければならないという使命感が、テイムルの中で幾日にもわたって死闘を繰り広げた。葛藤はやがてソウェイルの健やかな成長を願う気持ちに傾き、今日、ソウェイルを宮殿の南へ連れ出すに至った。

 蒼宮殿は大きく分けて五つの区画から成り立っている。政治の中枢――玉座をはじめとして中央の正堂や文官の執務室を擁する南、国会議事堂である東、最高裁判所である西、王族の住まいである北、そして、アルヤ軍のうち中央に駐屯する部隊の活動拠点として利用されている周縁だ。

 今、南の主はいない。本来はアルヤ王国に君臨するアルヤ王の政治の拠点であり、サータム帝国の属国である今は帝国から派遣された総督がいるはずであった。現在はそのどちらも空席だ。

 テイムルはこの穴をソウェイルが埋めてくれると信じている。少なくともテイムルにとってはソウェイルはすでにアルヤ王だ。ただ今はまだ小さい。ソウェイルが玉座に座るにはあともう何年か必要だ。それでもソウェイルのものであることが確かである以上は出入りしても問題はあるまい。

 正堂の手前、赤い絨毯の敷かれた広い廊下の真ん中で、数名の男性が何やら議論をしている。みんなテイムルにとっては見慣れた顔だ。いずれも代々アルヤの富と権力を牛耳っている大貴族の当主たちである。ある者は文官として、またある者は貴族院議員として先の王に仕えていた者たちだ。

 どうも不穏だ。全員表情が険しい。何か面白くないことがあったらしい。

 とはいえ、殴り合いをしているわけではない。語調もさほど荒々しくはない。強いて止めるほどではないように見える。

 むしろ――少し考える。

 誰も彼もきちんとした身分の人間だ。将来はみんな公私にわたってソウェイル王の傍近くで活動してもらうことになる。

 ソウェイルへ挨拶をさせて、ソウェイルに彼らの顔と名前を覚えさせるべきだ。

 テイムルはソウェイルの手を引いて彼らに歩み寄った。

「失礼つかまつります」

 声を掛けると一同が振り向いた。

 ソウェイルの頭を見た途端、全員がひざまずいた。

 ソウェイルは緊張するらしくテイムルの体に身を寄せて硬直した。

「おお、我らが『蒼き太陽』」

「お会いできて光栄にござりまする」

 次々と挨拶の言葉を口にした。

 みんな饒舌だった。言葉によどみがない。まるであらかじめ用意していたかのようだ。

 聞いていると逆に不安になってくる。

 これは、ソウェイルに対するおそれが足りないのではないか。

 どいつもこいつも系譜をたどると王家と姻戚関係をもったことのある家の当主だ。王族を自分たちに近しい人間と勘違いしているのかもしれない。このお方は貴様らとはまったく異なる神聖で尊いお方だと言ってやりたい。

 だが、我慢だ。文官と揉め事を起こさないよう調整するのも武官筆頭の白将軍の務めだ。

 ソウェイルの許可を待たずに立ち上がった者がある。

 短く整えた蜜色の髪に金糸の刺繍の入った帽子を載せている、武官と見まごうほどたくましい体躯の壮年の男――アルヤ王国でもっとも豊かだったといわれる貴族の中の貴族、三年前ウマルが閉鎖するまで貴族院議長を務めていたフォルザーニー卿である。

「おや、殿下、前髪をお切りになりましたね? 殿下のとびきりお可愛らしいご尊顔を拝謁できて恐悦至極に存じますよ」

 慇懃無礼とは彼のことを言うのだ。

「やあ、テイムルくん。今日はどうしたんだい? ソウェイル殿下がお部屋の外に出られるなど珍しいではないか」

 テイムルはひとつ咳払いした。

「あなたがたはこのようなところで何を? 何かお困りのことがございましたらお気軽に白軍までどうぞ」

 社交辞令のつもりであった。

 こんな言葉がフォルザーニー卿の後ろから飛び出してきた。

「そうだ、白軍に武力で解決してもらおうではないか」

 いきなり物騒な話になった。

「何事です?」

 フォルザーニー卿が「まさか知らないとは言わせないよ」と不敵に笑ってから言う。

「なんでも、アルヤの学問の象徴たるエスファーナ大学が今サータム人の手中に落ちているとか」

 忘れていたわけではなかった。だが、テイムルが手をつけずにいたのも確かだ。さすがのテイムルもソウェイルがそうと望んだからとは言えない。

「大袈裟です。十九人のサータム人が大学の研究棟のひとつに不当に滞在しているという程度の話です、白軍で慎重に推移を見守っているところです」

 フォルザーニー卿の左右から一人ずつ二人が一歩前に出てきた。

「サータム人どもに好き勝手させるわけにはいかぬのだ、ここはアルヤの威信を示すために強制的に除かねばならぬ。都が弱腰では戦火に見舞われている西部の者たちに示しがつかぬのであろう、そもそもサータム人どもにいいようにされて黙って見過ごすなど、最高学府が敵の手に落ちるとは言語道断で――」

「大学に立てこもったのは皆もとはこの宮殿に勤めていたサータム帝国の官僚たちであったと聞く、いずれも帝国に戻ればそこそこの身分のある者たちであるぞ。ここは捕らえて人質として有効活用すべきだ、もしくは多少の譲歩を許しても帝国との交渉役として身内に引き入れておいてよろしいのでは――」

 いずれにせよ彼らは大学に足を踏み入れてサータム人たちを引きずり出したいらしい。それをどう実行するかが争点になっているようだ。

 二人はその後も長々と演説をし、ひととおり主張し終えてから、最後に、フォルザーニー卿を見た。

「して、貴殿はいかように思われます?」

 フォルザーニー卿は一度遠くを見て何かを考えた。

 ややして、口を開いた。

の光 いまだいとけなし

 世のならひ とどめおかれたし

 土くれの さわぎ小さし

 まろからざる ひとぞ口惜し」

 ここで即興の詩をつくるとはさすがフォルザーニー卿である。

 彼の言うとおりだ。ソウェイルがまだこどもである以上は性急に事を進めるべきではない。まして今は地方が戦場になっているのだ、こんなところで争っている場合ではない。静観を決めたテイムルの判断は正しいと暗に言ってくれているのではないかとも思った。

 どう反応しようか考えあぐねていると、後ろからそれまでになかった声が聞こえてきた。

「話はわかりましたよ」

 テイムルはぎょっとした。ソウェイルも驚いたらしくテイムルにぴったりと身を寄せた。

 振り向いた。

 すぐそこに、白軍兵士たちと侍童たちを数名ずつ引き連れたフェイフューが立っていた。

「フェイフュー殿下!? どうしてここに!?」

「帰ったら兄さまが北にいなかったので。シーリーンが兄さまはこちらだと言うので追いかけてきました」

 ソウェイルが「べつにおれフェイフューに用ないけど」と呟くと、フェイフューは「ぼくにはあるのです」とソウェイルを睨んだ。

 貴族の男たちが相好を崩した。

「今日も学校に行っておいでだったのですかね。いやあ、フェイフュー殿下は毎日お元気で実によろしい。聞きましたぞ、教室で一番かけっこが速いそうではございませんか」

「学校ではいつもうちの息子がお世話になっておりまして。フェイフュー殿下とお近づきになれてたいそう喜んでおりますよ」

「うちの息子とも遊んでやってくださいませ。そうだ、いつかうちにも遊びにおいでませ。ミールザー卿のご子息ばかりずるいかと存じます」

 テイムルは不愉快だった。ソウェイルに対しては儀礼的なうわべだけの挨拶を口にした連中が、フェイフューに対してはフェイフューの生活に即した挨拶をするのである。

 フェイフューが応える。

「ぼくの学校のことはいいのです。それより、あなたたち、ほまれ多きアルヤの貴人たちが、それも『蒼き太陽』のおん前で、声を大きくして。はずかしいとは思わないのですか」

 貴族たちが顔を見合わせる。

「これは今のあなたたちが議論すべきことではありません。議会がきのうしていてあなたたちに権限があるのであれば別ですが、今の状況ではあなたたちに責任の取れることではないでしょう? フォルザーニー氏の言うとおりです、法の番人たる白軍に任せてだまっているのがいいと思います」

「いやはや、まさしく……」

「フェイフュー殿下のおっしゃるとおり……」

 フォルザーニー卿が身をかがめてフェイフューと視線を合わせた。

「しかし、そうはおおせになられましても、殿下。本来その権限をもっていたはずのサータム人たちが逃げ出しているのです。そのあたりはどう思われますか」

 フェイフューは毅然とした態度で答えた。

「ぼくもゆーりょするところです。ですがいずれにせよ今大学に手を出すのは得策ではありません。大学は自治の里です、アルヤ国だけでなく世界的にそうなのです、学問という聖域に世俗の外交を理由にして手を出そうものなら世界がアルヤに白い眼を向けることでしょう。ましてエスファーナ大学の独立は代々のアルヤ王が認めてきたものです、これ以上アルヤ王の印象を悪くしてはなりません」

 そこで、フォルザーニー卿が手を叩いた。

「ひとの世は 暮るるものとぞ

 知りながら 土なほ遠けれ

 ひとはみな 仰がまほしけれど

 影ばかり 照りて明るけれ」

 感動したらしく他の貴族たちも手を叩いた。

 テイムルははらわたが煮えくり返るのを感じた。

 仰ぐべき『蒼き太陽』がぱっとせずフェイフューばかりが明るいと言いたいらしい。

 だが、それが、ここにいる全員の総意なのだ。

 フェイフューが言った。

「ひかん的になることはありません。今だけです。アルヤ王国が復活したあかつきにはまたあなたたちに議会を切り盛りしていただくことになるのですから」

 フェイフューには詩の意味が分かっているようだ。

 ソウェイルを見た。ぽかんとしていた。だめだ、分かっていない。

「――と、フェイフュー殿下がおおせだ。みんな、これでいいね」

 そう言うと、フォルザーニー卿は歩き出した。

「解散。ご機嫌よう」

 代表格のフォルザーニー卿に逆らえないらしい。全員が納得したわけではなさそうだが、皆ぽつりぽつりとその場から離れ始めた。

 最後に、双子と三人で残されたテイムルは、大きな、本当に大きな溜息をついた。

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