第3話 事件発生
扉を開け、一歩分だけ廊下へ出た。
すぐそこを今まさに白軍の若い将校が通り過ぎようとしていた。
若いと言っても年はテイムルより少し上だが、彼はテイムルの顔を見るやいなや深く礼をしてかしこまった。
「どうした」
将校が答える。
「たった今帰着した者たちからの報せです。サータム人十数名がエスファーナ大学に立てこもったとのよし」
いつの間に部屋から出てきたのだろうか、斜め下からソウェイルの声がした。
「たてこもるってなに?」
見ると、ソウェイルがテイムルの軍服の袖をつかんできょとんとしている。
ソウェイルの前髪は、真ん中でふたつに分けられ、左右それぞれを女性向けの髪留めで留められていた。整った愛くるしい顔立ちもあいまって少女に見える。
あまりの可愛さに言葉を失ったテイムルのすぐ傍で、将校がひざまずいて
さて、いざ問われると返答に窮した。立てこもる――蒼宮殿周辺の警邏としても活動する白軍ではよく使う言葉である。他の言葉に置き換えてみようと思ったことはない。籠城、と言うのはおかしい。城ではなく大学にこもっているのだし、そもそもソウェイルに籠城と言って想像できるのだろうか。
ややして、将校が説明を始めた。
「建物の中に入ったまま出てこないことでございます。外に出るように言っても言うことを聞きません」
テイムルの服をつかんだまま、ソウェイルが囁くような声で問いを重ねる。
「出ないといけないのか?」
「中から、他の人間が入ってこれないようにしております。大学は彼らの家ではありません、大学を使う他のみんなが設備を使えなくてとても困っています。まして彼らは武器を持って入っています、そこらの人々を攻撃するようなことがあってはたいへん危険です」
テイムルは、この将校の給料を増やそう、と思った。
「なんでたてこもったんだ?」
「お金を要求するためです」
ぎょっとして「金銭を要求しているのか」と訊ねる。将校が態度を改めてテイムルの方を向く。
「帝都に帰るための旅費と護衛を提供するよう主張している模様で」
ソウェイルがまた小声で「ていとってどこ」と訊いてきた。テイムルは微笑んで答えた。
「サータム帝国の都のことです」
「遠いのか?」
「はい、とても。馬でひと月はかかりますね」
「そんなにか……。いっぱいおとまりしないといけないな。お金がないと帰れないな……」
何か考え始めたようだ。真面目な顔で、唇を尖らせて黙った。その唇をつまみたい衝動と戦いつつ、テイムルも無言で次の反応を待った。
「おうちに帰りたいだけなら、帰してあげたらいいんじゃ? だれか送ってあげたら……?」
苦笑して否定した。
「そういうわけにはまいりません。エスファーナにはサータム人がたくさんおります。その全員に対応していたらきりがありませんし、アルヤの王子様はわがままを聞いてくれると知れ渡ったらみんな宮殿に来ますよ」
「ええ……それはこまる……」
わざとソウェイルに「いかがいたしましょう」と問い掛けた。政治について考えるいい機会だ。王になればいずれこういうことにも対応してもらわねばならなくなる、今のうちから考えることに慣れてほしい。
うつむいてさんざん悩んだ様子を見せてから、ソウェイルは上目遣いで将校を見た。
「もう何かあぶないことをしたのか?」
将校は「いいえ、まだ何も」と答えた。
「じゃあ、ほっとけば……? おうちに帰れなくてイライラしてるんだろ。ほんとに帰りたくなったら、きっと出てくると思う」
テイムルもしばし考えた。
どんな規模でもエスファーナに武装した勢力があるなら宮殿を守るために排除するのが近衛隊である白軍の務めだ。もっと複雑な手順をとって対応しなければならない案件である。
しかし――
「――と、ソウェイル殿下はおおせだ。そのように対応するように」
そこまで緊迫している気配はない。まともに対応をしては先ほどソウェイルに説明したとおりサータム人たちをつけ上がらせる。まして現場は大学だ、安易に介入するわけにはいかない。いつかは飢えるか何かして焦れて降伏するだろう。
何より、ソウェイルがそうと言っているのだ。
「承知いたしました。『蒼き太陽』のお裁きのとおりに」
将校がそう言ってもう一度首を垂れると、ソウェイルの頬がほんのり赤く染まった。心なしか口元も緩んだように見える。きっと喜んでいる。
よかった、と思った。ソウェイルが意見を述べることに自信を持ってくれることが一番だ。
「下がるように」
将校は「失礼致します」と言って礼をしたのち場を離れていった。
後で詳細を確認しようとは思うが、テイムルは今満足感でいっぱいだ。
「テイムル」
ソウェイルがテイムルを見上げる。
「はい?」
「だいがくってなに? 何をするところ?」
「学問をするところですよ」
「学問をする……? 学校……?」
「学校、ではありませんね。学校は、教師がいて、生徒がいて、学問を一方的に教えるところです。大学は、自分で選んだ学問についてもっともっと詳しくなるため、あるいは新しいことを見つけるために、先生や他の学生と、議論をしたり、実験をしたり――とにかく、自分から勉強をしたいと思った人間が行くところですよ」
「がくもんのぎろん……」
まるで外国語のように言うので伝わらないかと心配してしまった。
「フェイフューとラームがやってたようなの……?」
言われてから、テイムルは考えた。
「そうかもしれません、ラームのものの考え方は大学生みたいなところがありますね。勉強の仕方が、お坊さんみたい、とでも言いますか。テイムルも大学は行ったことがないのでそうとは断言できませんが」
「ちょっとわかった」
伝わったと思い胸を撫で下ろしたところで、「おれにはむずかしいからいい」と言われてしまった。
「ラーム、むずかしいことばっかりで、何を言ってるのか、おれにはよくわからない」
「お訊ねになるといいですよ。ラームは本当に頭がいいので、ソウェイル殿下に分からないことがおありなら、分かるように説明し直してくれますよ」
言いながら、はっとした。
そのラームテインに、フェイフューはついていけるのである。
あるいは、ラームテインは、フェイフューには分かる言葉で話しているのかもしれない。
十四歳という年頃は難しい言葉を使いたがるものだが、人一倍賢いラームテインのことだ、きっとそれだけではないのだろう。フェイフューには理解できる程度の言葉を選んでいる――となれば、ソウェイルはラームテインではなくフェイフューについていけていないということになる。
テイムルとソウェイルの眼前に大きな壁が立ちはだかった。
「ラーム、こわい。美人だし、頭がいいし、すごいいっぱいしゃべるし、なんか、えっと、うまく言えないけど、おれの今までのじんせーにいなかったかんじ……」
「何をおおせですか、ラームも十神剣です、すべての将軍が『蒼き太陽』のためにいるのです、殿下がお求めならふたたび
「あいがんってなに……なんかすごいやなかんじするからいい……」
ソウェイルが消え入りそうな声で「十神剣みんなすきにしてほしい」と呟いたとほぼ同時に、廊下の奥からふたたびテイムルを呼ぶ声が聞こえてきた。
「将軍!」
「ここだ」
「フェイフュー殿下がお戻りです」
テイムルは自分の額を押さえた。
いよいよ本格的に今日のテイムルとソウェイルの甘い時間が終わってしまった。
早く明日になればいい。
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