第16話 英雄《ヒーロー》は遅れてやってくる

 銃口の上、銃身に取り付けられた筒から、細い棒を取り出す。その棒を銃口から突っ込んで弾と火薬を筒の奥深くに押し込める。

「すぐそこにいるサータム兵を薙ぎ倒せればいい。この子が外に出られる隙さえ作れれば充分だ」

 一拍間があった。

 赤軍兵士たちの視線が仲間内の中の一人に注がれた。確かこの中でも小隊長と呼ばれていた男だ。

 彼はしばらくの間ユングヴィを見つめていた。何かもの言いたげだ。不満があるらしい。

 ユングヴィは折れなかった。睨むように鋭い目つきで彼を見つめ返した。

「やってくれるよね?」

 少しの間、沈黙が続いた。

 ややしてから、小隊長の方が折れて溜息をついた。

「しょうがねーな」

 その言葉を合図に、赤軍兵士たちがそれぞれに銃を持ち上げた。

「将軍がやれってんならやるんだ。お前ら、ぬかるんじゃねーぞ」

 しぶしぶといった様子で、全員が壁に向かった。崩れてエルナーズの胸ほどまでしかない壁だ。その壁の上に銃口を並べた。

 壁の向こうにサータム兵たちの姿があった。十人にも満たない数のようだ。頭をしきりに動かして辺りを見回している。何かを探しているように見える。きっとユングヴィを探しているのだろう。まさかそのユングヴィが自分たちに向かって銃を構えているとは思うまい。

「行きな」

 チュルカ娘は大きく頷くと裏手に向かって駆け出した。

「エル、あんたはできるだけ身を低くして。あと、耳、押さえてた方がいいかもよ」

 銃撃戦に慣れないエルナーズは素直に「分かった」と言って神剣を抱き直し体を縮め込ませた。

「用意」

 かちゃり、という、金属音がした。赤軍の一同が撃鉄を持ち上げた音だ。

 始まる。

 エルナーズは目を閉じた。

「撃て!!」

 轟音が響き渡った。

 大きなものが――きっとサータム兵たちが――倒れる音がした。

「やった?」

 エルナーズが体を起こそうとした。

 ユングヴィが「だめ!」と怒鳴った。

 もう一度、雷が落ちた、気がした。

 目を丸く見開いた。

 赤軍兵士たちの体が吹っ飛んだ。後ろの壁に激突した。

 その腹や胸から赤い液体が滲み出した。

「っああ!!」

 エルナーズの頬にも雫が散った。

 ユングヴィが左肩を押さえてうずくまった。

 その手の隙間から血が流れていた。よく見れば肩に穴が開いている。

 撃ち返された。

 奴らも銃を持っているのだ。

 けれどユングヴィは肩を押さえたまま立ち上がって号令した。

「今だ! 次を装填する前に殺せ!!」

 まだ立っていた赤軍兵士たちが銃を放り投げて剣を抜いた。駆け出し、壁を乗り越えた。

 エルナーズも壁から顔を出して外を見た。

 こちらに突進してくるサータム兵の姿があった。地面に転がった同胞の死体を踏みつけて来る。その後方には先ほどユングヴィがしていたように弾込めをしている兵士数人の姿も見える。

 赤軍兵士たちは、ユングヴィは、彼らが次を撃つまでの時間で、剣で突撃して決めようとしているのだ。

 無茶だ。

 ユングヴィが神剣を抜いた。紅蓮の燐光が辺りに散った。その光はまるでユングヴィの生気を吸い取っているかのようだった。ユングヴィの肩から流れ出た液体がその紅いつかに伝う。同じ色をしている。

「やめなさい!」

 思わず叫んだ。

「負けを認めなさい! これ以上やったら本当に死ぬ! 投降して捕虜なり何なり――」

「やめない!!」

 ユングヴィも兵士たちに続いて壁を乗り越えた。

「私は負けない! 戦える限り戦い続けるって決めたんだ!!」

 赤軍兵士たちの刃とサータム兵たちの刃がかち合った。

 サータム兵が何かを叫んでいる。サータム語なので聞き取れない。だがユングヴィを指差しているのは分かる。きっとユングヴィの話をしている。

 ユングヴィがサータム兵に見つかった。

 このままユングヴィの首が獲られたら終わりだ。

 ユングヴィが構えた神剣の刃にサータム兵の湾曲剣がぶつかった。左腕に力が入らないらしいユングヴィの剣がぶれた。

 すぐ傍にもう一人サータム兵が近づいてきた。

 もう一人のサータム兵の剣の切っ先がユングヴィの背中に触れた。

 まずい。

 エルナーズも駆け出した。壁を踏み越えた。

 神剣を抜いた。

 太陽の威光にまつろう色、山のにかかる柔らかな空の色の光が、辺りに輝いた。清廉と高潔の神剣、孔雀青くじゃくあお御剣みつるぎの色だ。

 使い方を分かっているわけではなかった。いつかそれでも念のためと言われて訓練させられた記憶だけが頼りだ。腕は伸び切っている。切っ先がぶれる。

「エル」

 今の自分はけしてかっこよくないだろう。

 だが、

「何もしないのはもっとかっこ悪いでしょ……!!」

 それでも空の神剣は目の前にいるサータム兵を刺し貫いた。

 嫌な感触だった。肉の重みだった。一生味わいたくなかった。

 けれど今やらなければやられるのは自分でありユングヴィだ。

 必死に振り払った。剣に突き刺さっていたサータム兵の体が地面に落ちた。助かった。抜けなかったらと思うと背中が寒くなる。

 ユングヴィのすぐ傍に、背中合わせに立った。

 息が荒い。肩や背中からも出血がある。彼女はあまり長くはもたないだろう。

 自分が代わりに戦わなければならない。

 ここで逃げるのはきっとかっこ悪い。そんな自分は見たくない。

 ユングヴィを見捨てたら一生後悔する。

 とはいえ今生まれて初めてひとに剣を向けた自分にこれ以上何が――

 そう思って剣を構えた、その、次の時だ。

 しゃらん、という、音がした。

 しゃらん、しゃらん、という、細かな銀細工の触れ合う音が、した。

 それから続いて馬のいななき、ひづめ、男たちの雄叫び、引き抜かれた剣の金属音――

 音の方を見た。

 エルナーズが視認するより彼らの方が速かった。エルナーズが彼らを何であるか理解するより彼らがここへ辿り着く方が先だった。

 影、だった。あるいは闇だった。漆黒を凝縮したような黒いかたまりが迫り来た。

 黒い軍馬の軍団だ。

 闇そのものの色をした禍々しい神剣がひらめいた。

 エルナーズとユングヴィを囲んでいたサータム兵たちの首を一刀のもとに刎ねた。

 サータム兵たちの間から悲鳴が上がった。

 一瞬、時間が止まった。

 先頭を来た男が、血に濡れた黒い刃を片手に持ったまま、馬をおりた。

「よお」

 しゃらん、という、涼やかな音が響いた。

「助けに来てやったぞ」

 片方の手で頭を覆っていたかぶとを外す。首の後ろでひとつに束ねられたいくつもの細かな三つ編みが揺れる。

 まるで何事もなかったかのようにいつものひょうひょうとした顔で笑っている。

「お前ら、俺に会いたかっただろ」

「サヴァシュ!!」

 ユングヴィが神剣を放り出した。今までの彼女からは想像もできないような声で泣き叫んだ。

「会い、た、か――」

 嗚咽にまみれた声はそれ以上言葉にならなかった。

 サヴァシュが、兜を馬の背にのせ、黒い神剣を地面に突き立てた。そして、腕を伸ばした。

 腕の中に飛び込んできたユングヴィをしっかりと抱き留めた。

 それから、片腕でユングヴィを抱えたまま、もう片方の手をエルナーズに向かって伸ばした。

「お前も来ていいぞ」

 エルナーズは笑ってしまった。「バカじゃないの」と答えた。

 口先では、の話だ。

 本当は嬉しい。

 たまには素直になってやろうではないか。

 エルナーズも神剣を地面に突き刺してサヴァシュに駆け寄った。

 勢いよく飛びついた。

 サヴァシュはそんなエルナーズをも強く抱き締めた。

「二人ともよく頑張ったな」

 心の底から安堵した。

 これで助かる。

 大陸最強の男が来たのだ。

 サヴァシュの肩に額をすり寄せて大きく息を吐いた。

「よくここが分かったわね」

「途中でお前らの居場所を知っているという娘を保護した」

「あの子ちゃんと合流できたのね!?」

「よ、よかっ、た……」

 ユングヴィが突然くずおれた。膝から力が抜けてしまったらしい、地面に膝をついた。そして、サヴァシュの脚にもたれかかって目を閉じた。

「……あん? 何だこいつ」

 サヴァシュは、エルナーズを離して、ユングヴィを抱え起こそうとした。

 ユングヴィの背に触れた。

 サヴァシュの手が、真っ赤に染まった。

 サヴァシュが目を丸くした。

「殺す」

 意識を失っているユングヴィを抱き上げ、叫ぶ。

『サータム人どもを皆殺しにしろ!!』

 将軍の号令を待っていたのだろう、黒軍の獰猛な戦士たちは狂喜の声を上げてすぐに馬で駆け始めた。

『ひとの嫁をぼろぼろにしておいて生きて帰れると思うなよ』


 その日、ウルミーヤの町はチュルカの戦士たちに屠られたサータム兵たちの血で濡れた。

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