第14話 赤軍兵士たちのお姫様

 窓から炎が噴き出した。窓掛けが炎をまとって夜空を舞った。

 老婆は燃え盛る自宅を前にして地に膝をついた。そして幼子のように大声で泣きじゃくった。両脇に立っていた孫らしき少女たちも貰い涙でしゃくり上げ始めた。

 ごう、ごう、と噴き上がる。ぱち、ぱち、と爆ぜる。

 エルナーズは、ユングヴィの隣で、夜空を飾る煙と炎を黙って見ていた。

「太陽は私たちを救ってくださるんですよね」

 この家の主人だった女が、そう言ってユングヴィに縋りついた。マグナエがずれていて振り乱した髪を晒している。頬には幾筋もの涙が伝っている。

「必ずや、必ずや、サータムのいぬどもからこの世の春を取り戻してくださるんですよね!?」

 ユングヴィは答えなかった。女の服の襟元をつかんで押した。女は体勢を崩してその場に尻餅をついた。

「連れてきな」

 ユングヴィが合図をする。両脇から赤軍の兵士たちが現れる。

 兵士たちは女の肘をつかむと、彼女を引っ張るように立たせた。

 女が何かを叫んだが誰も聞かない。

「おら、来い! とっとと歩け!」

 老婆もまた兵士たちに抱え起こされた。後ろから背中を押される。老婆がよろける。少女たちが慌てた様子で歩み寄り、左右からそれぞれに老婆と腕を組んだ。

 赤軍兵士たちに囲まれたまま、一家が、山の方へ向かって歩き出す。

 一家を見送るユングヴィの目はひどく冷たい。

「言ってやっても、よかったんじゃないの」

 ユングヴィから目を逸らしつつ、エルナーズは溜息をついた。

「太陽のご加護があるから、って。太陽がサータム人どもを駆逐してアルヤの春を実現するから、って。言ってやったらよかったんじゃないの」

 ユングヴィは首を横に振った。

「できない約束はしない」

 エルナーズは驚いた。思わずふたたびユングヴィの顔を見てしまった。ソウェイルの世話をしてきた彼女なら肯定するだろうと思っていたのだ。

 ユングヴィはなおも女たちが消えていった夜の闇を見つめていた。

「あんたはソウェイル殿下ならどうにかできるって信じてるわけじゃないの」

「私に、ソウェイルにそんな重荷を背負わせられると思う? あの子、今まだたった九歳なんだよ?」

 夜の闇は深く暗く日が昇る気配はない。

「いや、ソウェイルならいつかやってくれるかもしれないよ。あの子はおとなの期待に応えようとする子だからね、いつかはみんなの望むとおりの王様になろうと思っているかもしれない」

 「でも」と言う目は冷静だ。

「それって私の仕事じゃない、ソウェイルの仕事だ。だから私がここで適当なことを言っちゃいけない、ソウェイルなら大丈夫だーなんて、簡単に約束しちゃいけないよ」

 自分とユングヴィとでは、根本的に、ソウェイルの見方が違うのだ。

 エルナーズにとってのソウェイルは『蒼き太陽』だが、ユングヴィにとってのソウェイルは、九歳のこどもなのだ。

 エルナーズはこれまで太陽をタウリスの闇で育ったエルナーズに何の恩恵も与えてくれない存在だと認識していた。軍神になり切れない自分が愛してくれない太陽を奉ずることはないと割り切っていた。

 ユングヴィにとっての太陽は、そもそも、無条件で恩恵を与えてくれる存在ではない。守るべき、愛すべき、そして、育つのを待つべき存在なのだ。

「今私にできることって、ソウェイルのために戦うことだけだから」

 そしてそれが同時に、国への愛であり、忠義になっている。

 太陽を神だと思わないことと王を信じて戦うことに矛盾がない。

 そんな考え方もあるのだ、ということに、エルナーズは初めて気づいた。

「私は、今、自分にできることだけ――」

 そこで、彼女は口元を押さえた。その場にしゃがみ込んだ。

 まただ。

 ユングヴィが胃の中のものをもどしてしまうのはこれで何度目だろう。聞けばエルナーズが気づいていなかっただけでタウリス城にいた時からずっと繰り返していたらしい。ここまでひどいものをどうやって隠してきたのか不思議だ、彼女の戦い抜く意思が強固であることを感じる。

「ごめ……、疲れてきたのかも」

 そんなことは分かっている。とっくに限界を超えているはずだ。むしろ、これでもまだ疲れ切っていることを認めない彼女の強情さに呆れる。

 ずっとユングヴィに黙って付き従ってきたチュルカ娘が、ユングヴィの背中を撫で、「そろそろタウリス城に帰りましょう」と囁いた。

「ウルミーヤで終わりです。もう大丈夫。将軍はおつとめを果たされました」

 ユングヴィが「ありがとう」と微笑む。

「そうだね、ひと晩この近くで休憩して、夜が明けたらタウリスに向かおう」

「はい」

 チュルカ娘が苦笑する。

「早く戻って、何か、召し上がられないと。もうずっと、きちんとしたお食事をなさっていないでしょう」

「うん……、ごめん、私がこんなじゃみんなも気を使うよね、帰ったらちゃんと食べるよ、だいじょーぶ」

 大きく息を吐いた。

「あー、なんか、果物食べたいなあ。無性に酸っぱいものが欲しい。青果市やってないかなあ」

「さすがにやってないかと……お探ししましょうか?」

 その時だった。

 大きな音が夜空を切り裂いた。

 雷鳴に似ていた。いつか聞いた爆発音にも似ていた。

 エルナーズには一瞬何の音か分からなかった。

 音は断続的に続いた。耳が壊れそうだ。

「何だ?」

 赤軍の兵士たちが囁き合う。

「まさか――」

 ユングヴィが、右手でエルナーズの腕を、左手でチュルカ娘の腕をつかんだ。

「大丈夫だからね」

 強い力で引き寄せられ、抱えるように抱き締められる。

「落ち着いて、私の指示に従って」

 その声は落ち着き払っている。まるで慣れているかのようだ。

 慣れているのだろう。彼女にとっては――赤軍兵士にとっては、聞き慣れた音なのだろう。

 銃声だ。

 銃声が響いている。

「ユングヴィ!」

 住宅の焼ける炎を明かりにして、何人かの男が馬で駆けつけてきた。全員その表情は険しい。事態が緊迫していることを突きつけられているように感じる。

 自然脈が早まる。

 先頭を来た男が――赤軍の副長が馬をおりた。ユングヴィと真正面から向き合った。

「夜討ちだ!」

 その声を掻き消すようにまた破裂音が響く。

「包囲された! 町の周りをサータム帝国の軍旗を掲げた連中が囲んでいる!」

 エルナーズにはそれが意味するところを想像できなかった。何が起こっているのだろう。分からない。

「数は」

「山から様子を見ていた斥候が言うにはざっと見積もって三千、北から西へ半円形に陣を張ってる」

 ユングヴィは笑った。けして楽しそうな笑い方ではなかった。

「やられたね」

 「こっちは三百がせいぜいだってのに」と吐き捨てる。

「どこでどの部隊が衝突した?」

「町の北の端だ。住民が山へ逃げようとしているところにぶっぱなしてきやがった。お前が連れてきたタウリスのチュルカ人たちが応戦してくれてる」

「すぐみんなに町中へ撤収するよう言って。今なら町に人がいない、連中を引きずり込んで町中で応戦するよ」

 副長が「おう」と応えた。

「それからすぐにタウリスにひとをやって空軍に援軍を要請して。ウルミーヤが落ちたら連中に湖を奪われることになる、それだけは絶対避けなきゃってラームが言ってた。予定が変わっちゃってラームにはちょっと申し訳ないけど何とか作戦を立て直してくれると信じる。全部ラームの言うとおりにして」

「分かった」

「赤軍兵士はみんな北のお寺に集合ね。私も行く」

 しかし副長はそれは了承しなかった。

「お前はこの辺にいろ」

「なんでよ」

「俺たちの大将はお前だ、お前の首が渡れば投了だ。お前が生きている限り俺たちは最後の一兵になっても戦い続ける、お前は気軽に戦死できる身分じゃねェということを分かれ」

 ユングヴィは「おいおい」と苦笑した。

「軍神様がいたら士気が上がるとか、そういうことは言ってくれないの?」

 副長が腕を伸ばした。ユングヴィの額を小突いた。

「お前でも分かるように言い直してやる」

「何さ」

「お前みたいなバカでブスでも俺たち赤軍兵士にとっちゃあお姫様なんだよ。安全なところで守ってやりたいに決まってんだろ」

 彼は「もう三年前みたいなのはごめんだ」と苦笑した。

「三年前どんだけ大変だったと思ってんだ、みんなお前がどっかで死んでるかもしれないと必死に捜したんだ。二度とやりたくない」

「嘘でしょ」

「だがお前の言うとおり今ここにいる兵士は掻き集めて三百、お前が連れてきたチュルカ人たちを入れても千二百がいいところだ。そのうちみんな死ぬかもな」

 「まあ気にすんな」と言う声は朗らかだ。

「そうなった時は今度こそ逃げろ。お前だけは何が何でも生きろ、生き恥を晒してでも生きろ。お前の一番の仕事はタウリスに帰って残った兵士たちを安心させてやることだ」

「副長……」

「あと、ないと思うけど、仮に捕虜になっても死のうとはすんなよ。どんなに乱暴な扱いを受けても自分からは死ぬなよ。いつか絶対誰かは助けに行くからな」

 最後に、副長は「貸せ」と言って傍に立っていた一般兵士から銃を取り上げた。そしてそれをユングヴィに突き出した。

「持ってろ」

 ユングヴィは、エルナーズを離すと、手を伸ばして銃身をつかんだ。

「お守りだ。赤軍兵士がひとつだって証拠だと思ってろ。使わなくても済むように祈ってる」

「ありがとう」

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