第12話 戦う理由をくれてやる

 炎の爆ぜる音がする。


「――は、――と――村へ」

「了解!」

「――村へは、――が。……ちょっと、返事! ちゃんと聞いてる!?」

「おう、聞いてる聞いてる! 続けろ!」


 タウリス城の裏手、裏門前の広場で、何十という松明の火が揺らめく。


「これで全部かな。名前呼ばれなかったってひといる!?」


 居並んだ男たちを見回しつつ、ユングヴィが叫ぶような大声で問い掛けた。男たちは笑いながら手を挙げ、「もう一回呼んでくれ!」「お前に名前を呼ばれたい!」とふざけた。ユングヴィも笑って「ばあか! 何回でも呼んでやるから名乗り出な!」と返した。


 夜の闇の中、赤軍兵士の小隊長たちが集合している。それぞれが手に松明を持ち、列を整えることもなく適当に座り込んで、一人立って指示を飛ばす彼らの将軍を眺めている。


 しかし月や炎の光の中に男たちの姿が浮かび上がることはない。男たちは皆一様に黒い装束を身につけている。明るいところで見れば揃いのものではないと分かるが、細く頼りない月のもとでは全員同じに見えた。


 エルナーズは驚いた。

 赤軍は都のごろつきが給金目当てに集まったならず者集団だと聞いていた。実際行儀は良くない。整列もできないし黙っていることもできない。将軍の名を呼び捨てにして軽々しい口を利く。空軍ではありえない態度だ。けれど結束はどこよりも固く見えた。全員が前に立つユングヴィを見つめていた。

 きっと彼らは将軍を愛しているのだ。


「ここからは別行動になるけど、余計なことしたら誰かが私にチクると思ってやりなよ」


 ユングヴィが真剣な目で言う。言葉遣いは平易というより乱暴で他の部隊の幹部が聞いたら卒倒しそうな俗語交じりだったが、赤軍の兵士たちにはその方が響くのだろう。


「ねえみんな、よく聞いて」


 赤軍の野郎どもが一度静まり返る。


「私らが今やろうとしていることはけしていいことじゃあない。下手すりゃ末代まで祟られるかもしれない。もし正義とか道徳とかそういう人間らしいものが好きなら今すぐ出ていきな。追い掛けることは私が許さないから安心して行きな」


 だが誰一人として立ち上がらなかった。


「私らの名前は、絶対歴史に残らない」


 女将軍が「私らは神の軍隊である蒼軍とも軍の花形である黒軍とも違う」と断言する。


「誰も私らのことを良く言いやしないよ。それでもやってやるって言う気概のある奴だけ立ちなさい」


 一斉に、全員が立ち上がった。ユングヴィが「よし!」と大きな声で言った。


「テメエらに戦う理由をくれてやる! テメエの命のためだ! どんだけかっこよく華々しくお綺麗に戦ったってアルヤという国が滅んじまったらアルヤの軍人のテメエらも死ぬ! 生きるために意地汚く戦え!」


 それこそ、ユングヴィが神剣を抜いてからのこの五年で辿り着いた真理なのだ。


「お国のために戦うっていうのはなあ、生きる場所を決めるってことなんだよ! テメエで選んだテメエの生きる場所を守るってことなんだよ!」


 エルナーズは震えた。

 ユングヴィは強くなったのだ。


「私は綺麗事は言わない! 乗り切れ! 戦が終わったら金も出る、女への土産話もできるぞ! 面白おかしい明日のために仕事をしろ! 生きて遊ぶために働け!」


 ユングヴィが拳を突き上げた。


「太陽はどんなクズの上にも輝く!!」


 兵士たちが勝ちどきを挙げた。

 赤軍はひとつだ。


 ユングヴィが「以上、解散」と言った。


 男たちがそれぞれ歩き始めた。ある者は城の方へ、またある者は馬にまたがって進み始める。いずれにせよさっそく自分の小隊をまとめて任務に取り掛かろうとしている。


 中からとりわけ大柄な男が出てきた。右目を縦断するような傷のある、白髪交じりの男だ。腕は太くたくましく、眼光も鋭い。

 赤軍の副長だ。


「行くぞ、ユングヴィ。お前は俺と来い」


 ユングヴィが「行くよ」と応じる。


「でもちょっと待ってて。先に行ってて、すぐに追い掛けるから」

「なんでだ、どうかしたか?」

「うっさいな、女には女の事情があんだよ」

「あー、だいたい分かった。早く支度しろ」


 副長が手を振りながら離れる。

 その背中を見送ることなく、ユングヴィは突然走り出した。


「ユングヴィ?」


 副長にああいう言い方をしたのだ、一応生物としては男性である自分も今は触れない方がいいのではないか、とも思った。

 だが、エルナーズは女所帯で育っていて、女の体の生理的な部分についてもある程度の知識はあるつもりだ。

 それに、何かが引っ掛かった。虫の知らせ、というのは、こういうことを言うのかもしれない。


 ユングヴィが壁際にしゃがみ込んだ。


 嫌な予感がした。


 エルナーズが声を掛ける前に、ユングヴィは肩を大きく震わせた。

 口を大きく開け、城壁の下部に向かって胃の中身をぶちまけた。


 激しく咳き込むユングヴィの背中を、おそるおそる撫でた。


「調子悪いの」


 ユングヴィが荒い息をしながら頷く。


「ちょっとね。でも大したことじゃない、気にしないで」


 かがり火で見える表情は険しい。とても大丈夫そうには見えない。


「仕事はできる、問題ないよ」

「生理なんじゃなかったの? それとももともと胃に来るひとなの?」

「生理ね、そんなものもあったっけね。そう言えばこの一、二ヶ月来てないな」


 エルナーズは目を丸くした。


 ユングヴィが振り向いた。彼女の黒い瞳はなおも強い輝きを燈していた。その鋭さはエルナーズに狩りへ赴く獣を連想させた。飢えのために仕方なく本気で戦うはめになった後のない獣の目だ。


「悔しい」


 吐き出すように言う。


「この程度のことでからだが参ってる。たかだかちょっと戦争になったくらいで何なの、普通の女の子じゃあるまいし!」


 エルナーズの肩をつかんだ。その手は震えていた。


「緊張してるだけだから。もしこの先情緒不安定なこと言い出してもまともに取り合わないでね。お願い」

「ちょっと、あんた、何言ってんのよ」

「大丈夫だから! しっかりしろって叱ってよ!」


 不意に目の前に革袋が差し出された。握った拳を二つ連ねたくらいの大きさの、丸い水筒だ。


 水筒を持つ手の持ち主を見た。

 いつかタウリスの中央市場で見た、あの夜に襲われて乱暴されかけていたチュルカ人の少女だった。

 彼女は、頭を刺繍の入った布で覆い、いつぞやの裾の長いアルヤ民族の服ではなく騎馬に適したチュルカ民族の衣装を着て、背には矢筒を負っていた。まるで定住していないチュルカの戦士の娘のように見えた。


「どうぞ、ただの水です、飲んでください。喉が焼けてしまいます」


 目を丸くしつつも、ユングヴィは「ありがとう」と言って水筒を受け取った。


「えーっと、あんたは……?」


 水を飲んでいるユングヴィに代わって、エルナーズが少女に問い掛ける。


「ユングヴィ将軍のお力になりたくて来ました。タウリスの人間ですが祖父は戦士でわたしも弓の心得があります。使ってください」


 水筒から口を離して、ユングヴィが「やめときなよ」と言う。


「お綺麗な仕事じゃないよ。戦場にかっこよく戦いに行くわけじゃない、ひとを追い出して建物を壊すために行くんだ。名誉なことなんてひとつもないよ、ひとに恨まれに行くようなもんだよ」


 しかし少女は大きく頷いた。


「わたしは両親ともチュルカ人やけどタウリス生まれタウリス育ちです。タウリスを離れるつもりはありません、タウリスを守るためやったら何でもします」

「でも――」

「それがお国のために戦う理由になるって言わはったのはユングヴィ将軍です。今のわたしやったらアルヤ軍と一緒に戦えます。将軍についていきます」


 ユングヴィは「そうだね」と苦笑した。


「面白くないことだらけだけどね。それに赤軍は見てのとおり荒くれだらけだよ、怖くない?」


 少女は素直に「怖いです」と答えた。


「今でもあの日のことを夢に見ます。アルヤの男の人を見ると嫌な気持ちになります。やけど、わたしはそれでもここで生きるて決めたんです。そのためにはユングヴィ将軍と一緒に戦うのが一番やと思たんです」


 ユングヴィが腕を伸ばした。少女の体を軽く抱き締めた。少女が笑った。


 エルナーズは苦々しく思った。


 一生懸命になることはかっこ悪いことだと思っていた。いつも涼やかに生きていたいと思っていた。けれどなんだかんだ言って必死に生きているユングヴィの方がこうして味方を増やしていくのだ。


 自分はいったい何をしているのだろう。


「お体の調子が悪いならなおさらです。わたし、余計なことはよう言いません。お傍に置いてください。せめて身の回りのお世話だけでもさせてくれはらしまへんやろか」

「分かった。ありがとう」


 体を離し、向かい合う。


「行くよ」



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