第11話 魔法の呪文
「私は、赤将軍ユングヴィ。タウリスの住民の避難誘導のために城下を巡回しています。あなたたちはこの辺に住んでいる人たち?」
男たちが目配せし合った。目線が時折ユングヴィの背中の赤い神剣に触れる。それはどんな言葉よりも雄弁に彼女が赤将軍であることを物語る。
「それやったらこっちの坊は空将軍エルナーズか」
今日はエルナーズも念のためとユングヴィに持たされて空の神剣を背負っていた。こんな形で身分証明をしたのは初めてかもしれない。背筋が粟立つ。
「俺たちはこのタウリスの西市場のチュルカ人街を取り仕切ってるもんや」
次々と乱暴な言葉を投げ掛けられた。
「せやから、何やて? 俺らがここらに住んでたらあかんのか」
「西市場のアルヤ人たちゃみぃんなお城に行ったわ、俺たちゃ俺たちでのびのびやらせてもろてるところや、邪魔すんのか」
「将軍だか何だか知らんけどアルヤ軍には大人の男はおらんのか? こんなトコまで女子供をやって恥ずかし思わんのか」
手は、細かく震えている。
それでも、彼女はやめなかった。
「みんな、お城に来て。ここは危ないから。みんな分かってるんでしょ、アルヤ軍の言うことを聞いて」
男たちが鼻で笑う。
「誰に向かって口利いてんのや」
「何が危ないって? 俺たちが、あんたらにとって、か?」
「お嬢ちゃんこそ早くお城に帰りや、危ないで」
肩で大きく息を吸い、吐く。
「もしかしたらみんな私より強い人たちなのかもしれない。でも、私は、強かろうが弱かろうがみんなを守りたいんだ。とにかく、どんな人でも戦場に置き去りにしたくないんだ」
そこで、彼女は、「お願いします」と言って頭を下げた。
「みんながばらばらのところでばらばらの行動を取っていたら助けられるものも助けられなくなるかもしれない。私にできることは限られてると思う、だから、今のうちに助けられてほしい。私に守られてほしい」
ユングヴィの言葉に驚いたのだろうか、男たちが一度口を閉ざして再度目配せし合った。
エルナーズも驚いた。まさかチュルカ人に頭を下げるアルヤ人がいるとは思っていなかった。いったい何がユングヴィにそこまでさせるのだろう。
「せやかてなぁ」
紺地の服の男が、幼女の頭を撫でながら言う。
「あんたら、三年前、俺らをここに置いていったやろ」
ユングヴィは弾かれたように顔を上げた。
「あの時は――」
「俺たちゃアルヤ軍が守ってくれはると思ってへんねん」
「ごめんなさい」
蒼い顔をして呟く。
「私、三年前の西部戦線のこと、よく、知らなくて」
「お嬢ちゃんが謝ることやない。あれは黒将軍サヴァシュの判断やったんやろ」
ユングヴィに握られたままの右腕を引いた。暗に引き返そうと告げたつもりだった。
アルヤ人とチュルカ人の溝も決定的で埋め合わせできるものではない。チュルカ人たちが自分たちアルヤ軍の人間の言葉を聞き入れるはずがない。
何を言っても無駄だ。
エルナーズが口を開きかけた、その時だった。
「ブ・メニング・ホティニム」
突然、ユングヴィが呪文のような言葉を唱え始めた。
「イルティモス・ウンガ・ヨルダム」
男たちがざわめき出した。
「もし、タウリスでチュルカ人たちと何かあったら、こう言うように、って。サヴァシュに言われました。私には意味が分かんないけど」
そこでうつむく。
「チュルカ語なんだよね。みんなには伝わるんだよね」
突如チュルカ語の言葉が飛び交い始めた。
ユングヴィもエルナーズも一瞬呼吸を止めた。男たちが何について話しているのか分からなかったからだ。自分たちの分からない言葉でおそらく何かよろしくないことを言われている――そう思い体を固くした。
紺地の服の男が一歩前に出た。
「それは、ほんまに、あの黒将軍サヴァシュが、嬢ちゃんに、言え、言わはったんやな」
ユングヴィが二度三度と頷く。
チュルカ人たちが興奮している。何事だろう。ユングヴィは、サヴァシュは、いったい、何を言ったのだろう。
『おい、聞いたか!? お前ら知ってたか!?』
『何やて? 聞き取れへんかった、もう一回言うてくれ』
『「
『なんや、黒将軍殿のかみさんやったんか!』
『分からへん、彼女は意味を知らんと言うてる、何や事情があるんかもしれへん』
ややして男たちが黙った。視線がユングヴィに集中した。
紺地の服の男が代表して口を開いた。
「もう一回確認させてくれ。ほんまに、黒将軍サヴァシュが、あんたに、言え、って言わはったんやな」
ユングヴィがまた頷いた。
次の時、紺地の服の男が、穏やかな手つきでユングヴィの腕を優しく叩いた。
「誤解してはるようやけど、俺たちゃ黒将軍サヴァシュに恨みはないで。むしろええ男やったと思てる。あの男は道理を通した。戦士として戦士の血を引く俺たちに礼を払っていったんや。きちんと俺たちに話をして、俺たちにタウリスを託していった。俺たちは、誇りをもって、アルヤ軍の人間としてやなく、アルヤ住まいの、タウリスっ子のチュルカ人としてサータム軍と戦うためにここへ残った。今となっちゃあええ思い出や」
ユングヴィの肩から力が抜けた。
「そっか、サヴァシュ、あの時そんなことまでしてたんだ」
「あの男は戦士の中の戦士や。あんたはあの男を信頼してええ」
赤地の服の男が紺地の服の男にチュルカ語で何かを耳打ちする。紺地の服の男が頷く。
「黒将軍サヴァシュがそう言わはるんやったら俺たちも筋を通す。ここにいる十七の氏族の男たち、家に帰って掻き集めても千にもならん数やけど、定住したとて魂は今も戦士や。何とか馬を用立てて、騎兵としてあんたの武力になってやろう」
ユングヴィが「えっ、そこまで?」とたじろいだ。
「ちょっと待ってよ、私何言わされたの?」
「心配せんとき、あんたが安心するなら女子供は城にやったるわ。やけど俺たちはあんたと一緒に三年前の続きをする、それが戦士の道義や」
男たちが笑みを見せる。
『嫁の前や、顔は立ててやれ』
『まあな、結婚祝いやと思えば』
『たまには愛のために戦うのも悪うない』
『どれ、若い二人のためにひと暴れしてやろう』
「えーっと、あの――」
「三日以内に支度をして城に上がる。待っとれや」
またユングヴィの肩を叩いてから、彼は「解散」と言って歩き出した。ユングヴィとエルナーズの脇を抜けて路地へ出ていく。それを皮切りに他の男たちも次々と動き出す。
最後、赤地の服の男が幼女を抱えて向かってきた。
すれ違った瞬間、機嫌の良さそうな顔をした幼女が、ユングヴィに大きく手を振った。
『またね、おくさん』
ユングヴィが眉間に皺を寄せた。
聞き取れなかったエルナーズは、ユングヴィに「あの子今何て?」と問い掛けた。彼女は「私が知りたい」と答えた。
男たちの出ていった方へ目を向けた。
よく見ると、壁の陰にラームテインが隠れていた。
「あ」
目が合う。ラームテインが気まずそうに顔を背ける。
「なんだ、いたの? 声掛けなよ」
「すみません、出ていける雰囲気ではない気がしてしまって……」
「いい度胸ね、俺たちにばっかりこんなことさせて」
ユングヴィは「別にいいよ、なんとかなりそうだし」と言ってから、「ところで」と真剣な顔で続けた。
「ラーム、チュルカ語分かる? ブ・メニング・ホティニム、イルティモス・ウンガ・ヨルダム、って、どういう意味か分かる?」
ラームテインは「分かりません」と言った。けれどその目は泳いでいる。彼は本当はきっと分かっている。ユングヴィに教えたくないのだ。
疑うことを知らないユングヴィは溜息をついてから「だよね、今度会ったらちゃんとサヴァシュに確認しよ」と言って大通りの方へ歩き出した。
「俺にはこっそり教えて」
「分からないと言っているじゃないですか。サヴァシュ本人に訊いたらどうです? 僕は知りませんよ」
ラームテインがユングヴィを追い掛ける。エルナーズも舌打ちをしてから足を進めた。
「ずっと一緒にエスファーナにいたのにぜんぜん気がつかなかった……僕もまだまだということですね」
「なによ、はっきり言いなさいよ。気になるじゃないの」
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