第10話 違う文化を背負って生きるということ

「城に避難してる人の数がね、想定よりも少ないんだ」


 三人それぞれ馬にまたがり、少し急ぎ足で下町をゆく。

 平生は子供たちが駆け回り老人たちが将棋に興ずる路地にも、今はひとけがない。


「特にチュルカ人。バハルがタウリスの住民は三人に一人くらいチュルカ人って言ってたけど、今城にいるのはほとんどがアルヤ人、チュルカ人はすごく少ない。割合がちょっとおかしいんだ」

「ほっとけば?」


 ユングヴィの馬と馬の鼻先を並べつつ、エルナーズが言う。


「どうせまたあの部族がいるなら行くとかこの部族がいるなら行かないとか言ってるのよ。チュルカ人っていっつもそう、自分の部族の利益が大事で外野からアルヤ人が何て言ったって聞きやしない。好きに自滅させてあげれば?」


 後ろから一馬身おいてついてきたラームテインが「そういうわけにはいきませんよ」と言ってきた。


「へたに残しておいて留守の住宅を荒らされたら困ります。あるいは帝国側に寝返るかもしれません。城で一元管理をした方がいい」


 ユングヴィが「うーん」と唸る。


「そういうもんかなあ。私は、チュルカ人のことも助けなきゃ、って思ってるんだけど」


 ラームテインは涼しい顔で「そうですね」と応じた。


「チュルカ人は労働力にも軍事力にもなりますからね。戦争が終わったあとのことを考えれば、これ以上人口が流出するのも困りものです」

「そういうのもなんかちょっとちがくて……、タウリスに住んでいる以上は、他の住民と一緒の扱いをしたい、っていうか――私甘いかな」

「甘いです。自分たちをアルヤ人とは違うと思っているのは向こうの方です」


 ユングヴィは小声で自信がなさそうに語った。


「だって、現に、違うし。でも、違うから、いいことって、あるんじゃないかな、とか、思ったり、思わなかったり。いろいろ面白いんだよ、自分たちの祖先を狼だと思ってるとか、植物をすごく神聖なものだと思ってるとか。私、そういう話聞くの好きだなあ」


 そんなユングヴィに対して、ラームテインは「そういう悠長な話は平和な時にどうぞ」と言った。ユングヴィはうなだれて「ごめん」と答えた。エルナーズは溜息をついた。


 これで話が終わるかと思っていた。


「でも――」


 誰かに反論するなど、今までのユングヴィからは考えられないことだった。


「私、最近、チュルカ人だけじゃなくて、サータム人も気になるんだ」


 ラームテインが「どういう意味で?」と突っ込んだ。声こそ弱々しかったが、ユングヴィは黙りまではしなかった。


「ウマル総督の死体が宮殿に運ばれてきた時さ、ソウェイルがさ、泣いてたんだ。最近人前ではあんまり泣かなくなってたんだけどね、久しぶりにね、ぼろぼろ涙をこぼして悲しんでた」

「王子が? ウマル総督のことを?」


 ユングヴィが苦笑する。


「子供の方が敏感なんだよね。大人はさあ、サータム人なんてみんな一緒だと思ってるじゃない? 私もサータム人だからウマル総督が嫌いだった。でも、なんでサータム人が嫌いなんだろう? なんで私、チュルカ人には優しくしようと思えるのに、サータム人はやっつけなきゃって思ってるんだろう。ソウェイルはたぶんそんなふうには思っていないんだ、って思うと――この違いって何なのかな」


 不意に金属のこすれ合う音が聞こえてきた。細かな細工がぶつかり合う音だ。

 音のする方に目を向けた。


 狭い小路こみちからまだ五、六歳とおぼしき幼女が二人、顔を出していた。二人とも、赤い石のついた、大きな金の細工の耳飾りをつけている。マグナエではなく刺繍の入った小さな帽子を頭にのせていた。

 チュルカ人だ。


 ユングヴィもラームテインも幼女らの方を見た。


 目が合った途端二人とも慌てた顔で路地の奥の方へ引っ込んでいってしまった。


「待って!」


 ユングヴィが馬からおりる。手綱を放り出して「ラームお願い」と叫ぶ。ラームテインが「えっ」と戸惑った声を出す。


 ユングヴィが駆け出した。

 これはどこで何をやらかすか分からない。誰かが見ていてやらねばなるまい。


 エルナーズも馬からおりた。あの狭い路地を馬で行くのは難しいと思ったのだ。


「ラーム、俺も行くわ。よろしく」


 ラームテインが「そんなあ」と頼りない声を上げる。エルナーズはこういう時だけ都合よく彼も十神剣の弟である以上姉や兄には従うべきだと思って無視した。


 ユングヴィの背中を追い掛ける。足の速いユングヴィには追いつけそうになかったが、通りに幼女たちとユングヴィ以外の姿がないので見失うことはなかった。


 幼女たちは角を二つ曲がった。規則性のない裏路地を迷わずに走っている。きっと地元育ちだ。この街には都市に住むことを当たり前に思って暮らすチュルカ人がいるのだ。


 二つ目の角を曲がった直後、ユングヴィが立ち止まった。


 出入り口となる部分こそ狭かったが、奥にはちょっとした空間が広がっていた。

 そしてそこに何人もの男たちが座り込んでいた。


 幼女のうちの片方は、赤地に金糸の刺繍の施された服を着ている青年の背後にまわった。肩につくほど長い黒髪は細かく編み込まれている。頬には大きな傷がある。腰の革帯には赤い石のついた金細工をつけていた。


 もう片方は、紺地に銀糸の刺繍の施された服を着ている中年男の背後にまわった。口元がひげで覆われている。短く切られた黒髪に小さな帽子がのっている。指には銀の指輪が輝いていた。


 この二人だけではなかった。誰も彼も筋骨隆々とした肩に鋭い目つきをしている。

 屈強なチュルカの男たちだ。


 男たちが立ち上がった。一人、二人と腰を上げ、最終的には全員が立ってユングヴィとエルナーズを舐め回すように睨み始めた。


 ユングヴィが一歩下がった。さすがの彼女も獰猛なチュルカの男たちに囲まれるとたじろいでしまうらしい。エルナーズもついユングヴィの背中に身を寄せてしまった。


 威圧感が並ではない。身長は皆ユングヴィと同じか少し高い程度のはずだが、たくましい体躯や複雑な髪形、帽子のせいで一回りも二回りも大きく感じる。


 幼女たちは恐れることなくそれぞれ男たちの脚へ腕を回してしがみついている。父親なのだろうか。愛らしい幼女たちといかつい男たちが頭の中で結びつかない。


 しかし――


「迷子か? ええ? アルヤ人の小僧ら」


 男から出てきた言葉は流暢なアルヤ語だった。それもこの国に住んでいなければ分からないような俗語で、しかも西部方言特有の抑揚がある。


「ここは坊たちが来るようなトコやないで」

「悪いことは言わん、帰りや」


 ユングヴィが後ろに左手を回してエルナーズの右手首をつかんだ。


「ちょっと、何の真似」


 小声で訊ねる。


「だ、大丈夫だからね、私がいるし、だいじょーぶ、だいじょーぶ」


 ユングヴィの声が震えている。


「あんたの方がぷるぷるしてんじゃないのよ」


 赤地の服の男が鼻で笑った。


「なんや、こっちは嬢ちゃんか。こんなところで逢引きか? お城の外は危ないって空軍のおじちゃんたちに教わってへんのか」


 斜め後ろから見ていても、ユングヴィが唾を飲んだのが分かった。






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