第4話 太陽が出れば影もできる

 西部の州都タウリスは三重の城壁に囲まれた城塞都市だ。千年以上も昔からアルヤ人とサータム人とチュルカ人が入り乱れて奪い合ってきた都市らしい。初代『蒼き太陽』がつくったアルヤ王国より二つ前の王朝、かつて東大陸の覇権を握ったアルヤ帝国の皇帝が占領して以来、この街の主な支配者は、アルヤ人、ということになっている。


 エルナーズは、城壁に背をつけ、座り込んで片膝を抱えた。


 空を見上げる。底抜けに蒼いアルヤの空は今日も虚しい。


「安全が確保されるまでは将軍を街の中に入れるわけにはいかん!」

「しかしタウリスのアルヤ系住民たちは皆将軍のご帰還を心待ちにして――」

「ならん、ならん! 将軍を危険に晒すわけにはいかんのだ」


 タウリスで待機していた小隊長に向かって、副長が怒鳴り散らしている。


「今の将軍は就任されてからいまだ三年。こんな短期間で死なせてしまっては空軍の沽券にかかわる」


 仕方がない。自分はもとをただせばただの男娼だ。武術もできないし特別知恵があるわけでもない。今の荒れたタウリスに放り込んだら何が起こるか分からない。

 それでも、神剣が抜ける以上は軍で守ってやらなければならない。


「――お荷物やて、はっきり言うたらええやん」


 思わず西部弁で呟いてしまった。誰に聞かせるわけでもないので素が出た。

 案の定、エルナーズの声を拾う者はない。


 タウリスでひとびとが待っているのは空将軍でありエルナーズではない。自分たちのために戦ってくれるアルヤの神が欲しいのであって実際のエルナーズが戦えるかはどうでもいい。


 それを思うたびエルナーズはユングヴィを思い出す。


 ユングヴィは強くなった。三年前はテイムルやナーヒドの影に隠れている印象の強かったユングヴィだが、今は赤軍の兵士たちに交じって活動しているという。


 馬鹿馬鹿しい。将軍に求められるのは強さではない。軍神として崇められるにふさわしい神秘性だ。彼女はわざわざ無駄な労力を割いている。


 赤軍のみんなに認められたいから、と言った彼女の笑顔が虚しい。


 エルナーズは空軍の面々に認められたいとは思わない。認められたところで見返りがないからだ。それでいてどうなっても死ぬまで軍にいなければならない掟に変わりはない。


 神剣は何を基準に主を選んでいるのだろう。なぜ空の剣は自分でなければならなかったのだろうか。将軍をやりたい人間などはいて捨てるほどいるのに、なぜ、タウリスの遊郭で埋没したかった自分が将軍に選ばれたのだろう。


 エルナーズはタウリスが好きだ。古めかしい建物、さまざまな民族が睨み合う市場、薄暗い路地、陰鬱で不健康な花の香り――エルナーズを育んだこの街の退廃を心から愛している。

 だが、この街のために戦う、ということがエルナーズにはどうもぴんと来ない。

 滅ぶなら滅べばいいと思う。この街と心中したい。


「何の騒ぎっすか」


 どこからともなくやってきたバハルが、副長に声を掛けた。副長はバハルに礼をして膝を折った。


「市場の各町でアルヤ系住民とサータム系住民が衝突しており治安の回復の見込みがないとの報告、将軍をお連れするわけにはまいるまいという判断に至りました」

「あちゃー」


 バハルが頭を掻く。


「サータム系住民が荒れてるのってあれでしょ、ウマル総督のことっすよね」

「お察しのとおり、アルヤ軍の陰謀だという根も葉もない噂が流れている様子。一部ではウマル総督がすでにアルヤ人の手によって殺害されているとの根拠のない話も流されている模様で」

「ん、んー。困っちまったなあ。なんか、今だと、もっともらしいっすもんね。やっぱ『蒼き太陽』効果っすよね……」


 アルヤ人は今、良くも悪くも活気づいている。自分たちの太陽が生きていることを知ったからだ。太陽が昇れば自分たちは自由を取り戻すと思い込んでいる。ソウェイル王子が王位につけば自分たちはこの世の楽園であるアルヤ王国からサータム人どもを追い出して自分たちの富と自由を独占できると思い込んでいるのだ。


 エルナーズはそれも馬鹿馬鹿しいと思っていた。


 タウリスの街角でサータム人やチュルカ人を相手にからだを売っていたエルナーズが太陽の恩恵を感じたことはない。エルナーズを養ったのはけして太陽などではないのだ。


 太陽が昇れば必ず影ができる。その影の中で生きる者たちにとって太陽は眩しいだけだ。腹が膨れるわけでもない、暑さをしのげるわけでもない。それなのになぜ太陽さえあればアルヤ王国が復活すると信じられるだろうか。


 たかだか髪が蒼いだけで国中に見守られて育つ王子に腹が立つ。

 彼はきっとどれだけ美しく育とうともアルヤ産の美少年として消費されることはない。めちゃくちゃに犯された挙句投げ捨てられることなど一生経験しないのだ。そんな存在にエルナーズの抱えるこの虚しさなど理解されないに違いない。

 まして争いの火種になる。太陽さえなければアルヤ人とサータム人が争うことなどないのではないかと思ってしまう。

 『蒼き太陽』が存在しているというだけで、王都から遠く離れたエルナーズの愛するタウリスが荒れてしまった。


「まあでも、なんとか城に辿り着きましょ。太陽が何だって騒ぐやからはだいたい軍神がいりゃあ安心するんすから、将軍がお帰りだから喧嘩はやめなさいって言えばちっとは落ち着くでしょ。西部守護隊がちゃあんと機能してるって知れたらサータム系の連中だって多少はびびるんすから」

「はあ……確かに」

「エル、ちょっと、長旅で疲れてるっぽいですし、早く休ませてやりたいんで。ましてこの先もっと荒れるようだったらこんなところでぼんやりさせてないで城で守ってやった方がいいんじゃないすかね。どうでしょ?」


 副長は一度押し黙り、ややしてから、「承知しました」と答えた。


「エルナーズ将軍」


 久しぶりに名前を呼ばれた。


 顔を上げた。

 副長と目が合った。

 すぐに逸らされた。


「これから城にお連れする手配を致します。ご自身のお荷物についてご確認されたい」


 つまり、自分の荷物は自分で管理しろということだ。


 立ち上がり、自分の服の砂を払いつつ「はいはい」と頷いた。


 私物に触られるのも癪なのでいいだろう。どうせこの後は荷物とともに馬で城へ運ばれるだけの身だ、少しくらいは働いておかないと体が鈍って仕方がない。


 荷馬車の方へ向かって歩き始めたエルナーズに、バハルが歩み寄ってきた。


「よかったな、城に入れるぜ」

「ほんと助かったわ、ありがと。バハルはいつもうまく言ってくれるから好きよ」

「俺も気ィ遣うんだけどなー、空軍のひとって基本俺の元上官だからさ。こんなの八年前の俺が知ったらションベンちびっちまうわ」

「その分内部事情を分かってくれてるということでしょ、あてにしてるわ。それに副長って三年前まで俺の客だったひとだからね、おかげで今あんまり目を合わせてくれないの。しかもこれ実は副長だけじゃなくてね、幹部の半分くらいは似たような反応なのよ」

「げっ、何それ! なんでそんな込み合った人間関係築いちゃうんだよ」

「知らない。俺を選んだ神剣が悪い」


 不意にバハルの手が伸びた。

 何かと思って固まっていると、頭を撫でられた。


「何かあったら俺には言えよ? 俺、できることはするからな」


 エルナーズは苦笑した。


「なんでそこまでしてくれるの、バハルは黄軍のひとで空軍はもう関係ないでしょ」


 バハルが「いいや」と首を横に振る。


「エルも俺にとっちゃあ大事な弟だからな」

「またまた」

「十神剣って、めんどくさいこともいっぱいあるけど、仲良くしといて損はねぇよ。十神剣のことが分かるのは十神剣だけだからな」


 彼は優しく笑った。


「なんで俺、って。思うこと、いっぱいある、と思う。みんな大なり小なりそういうの抱えてんだ。そういうの、同じ立場で話せるのは、この世でたったのこの十人だけだろ」


 だからといって分かり合えるとは思わないのがエルナーズだ。


 バハルが離れた。


「俺も自分の荷物まとめて城に運んでもらえるようにしとかないとなー」

「バハルも城来る?」

「この状態でタウリスほっぽって実家帰るとか繊細で責任感の強い俺には無理でしょ」

「そーね、東方の黄将軍でも俺よりは頼りになるからね、ありがたいわね」


 荷馬車に積んだ荷物へと手を伸ばした。

 他の空軍幹部たちの荷物と混ざっていて自分の荷物が分からなくなっていた。封を開ければすぐに分かると思うが、こんな青空の下で荷物を広げたくない。何とかして自分の荷物だけより分けたかった。


 ふと、焦げ臭さを感じた。誰かの荷物の臭いだろうか。自分の服は香を焚き込めておいたはずだ。


 手を伸ばした。

 その時だった。


「え」


 荷物の中で火花が散ったような気がした。

 焦げ臭い。焼ける臭いだ。

 荷物の包み紙に火がついた。あっと言う間に広がって革まで燃え始めた。


 エルナーズはとっさに対応できなかった。


「エル!!」


 熱い――そう認識した次の瞬間には、熱風がエルナーズを包んでいた。

 体が吹き飛ばされて宙に浮いた。

 目の前が真っ白になった。

 大きな音がした。


 その先の記憶はエルナーズにはない。




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