第16話 総督ウマルの思い描いた未来

 ウマルは通信兵から受け取った紙片を読んで溜息をついた。帝都から伝書鳩で届けられた最新情報だったが、そこにウマルが見聞きしたい話題はなかった。


『下がってよろしい』


 サータム語で命じる。通信兵が軽く礼をしてから部屋を出ていく。


 窓から遠く川の方を見やる。奇跡の川ザーヤンド――エスファーナを流れる、砂漠に端を発し砂漠に消える不思議な川だ。けれどこの川は確実にこの巨大な都エスファーナを潤している。


 ザーヤンドはこの国の王族に似ている、とウマルは思う。


 アルヤ民族は長い歴史をもつ。アルヤ人たち自身はアルヤ二千年の歴史と言うが、実際この世に文字というものが誕生した頃からザーヤンドのほとりにはアルヤ人の祖先にあたる人々が定住していたらしく、文明の痕跡はいくつも残されていた。


 だが今の王家は二百年ほど前に現れた出自不明の蒼い髪の青年が興したものだ。その青年の前半生はようとして知れない。死亡した経緯も明らかにはされていない。いつの間にか現れ、いつの間にか没した、魔法のような王なのだ。


 アルヤ人たちはこの青年を熱狂的に支持している。

 サータム帝国からの独立を果たしてアルヤ民族の国家であるアルヤ王国を復活させた王だったからだ。


 アルヤ人たちは信じている。蒼い髪の王子が王になれば必ずサータム人を駆逐して誇り高き悠久のアルヤ王国を取り戻させてくれる――彼らはそう頑なに信じている。


 妄信は人から正常な判断能力を奪う。


 アルヤほど大規模な国ならある程度の中央集権は必要だろう。しかし一極に集中しすぎればいつか均衡を崩して破綻する。けれどアルヤ人たちは気づくまい。それが正義であり真実なのだと信じて疑わないからだ。


 それではまずい。

 ましてそれが大陸の和を害するならなおさらだ。


 アルヤ人はひらかれなければならない。そしてその導き手は隣人として長らく競い合い争い合ってきたサータム帝国でなければならない。アルヤ人はその長い歴史の中で侮ってきたサータム人を受け入れることによってまことの平和を得るだろう。そして両者はとこしえに手を取り合い東大陸西方の覇を分かち合うのだ。


 それを解しない人間は砂漠の砂の数ほどいる。当のアルヤ人たちしかり、東大陸東方の覇者である大華たいか帝国や北方の新興国であるノーヴァヤ・ロジーナ帝国しかり、そして――サータム本国の主戦派しかり、だ。


 ウマルの手元にある紙片は、サータム本国の世論がアルヤの完全なる武力制圧に傾いていることを報じていた。そして、十年計画で新アルヤ王国を育てようとしているウマルの気の長さに他ならぬ皇帝が難色を示し始めたことも併せて記されていた。


 ウマルは一人自室を出た。

 双子に会いに行こうと思った。


 アルヤの双子の王子たちは希望だ。

 アルヤ国にとってだけの希望ではない。東大陸の希望だ。


 経済的に豊かであり地理的にも有利で文化的にも影響力の強いアルヤが、新しい開明的な指導者を得て違う道を歩み始めた時、世界はきっと変わるだろう。


 けれど今は早い。二人はほんの九歳だ。しかも、ソウェイルは気が弱過ぎて判断力に欠けるし、フェイフューは気が強過ぎて己を過信するきらいがある。とは言え二人ともまだまだ矯正が利く年齢だ。未来は明るい。


 回廊を歩いた。宮殿の中を流れる小川が目に心地良い。エスファーナの風は程良く湿っていて涼やかだ。


 正直なことを言えば、ウマルは王になれない方を本国へ逃がせないか考え始めていた。

 どちらでもよい。ウマルとしてはもはやどちらが王になってもよいのだ。

 ただ、あぶれた片割れを死なせてしまうのが惜しい。ソウェイルは本国に住むアルヤ系サータム人たちの団結の象徴となるだろうし、フェイフューは出自に関係なく己の力で自分の道を切り開いていくことだろう。

 どうにかできないものだろうか。

 これだから甘いと言われてしまうのだろう。


 二人の顔を見よう。二人とも本質的にはいい子だ。二人を眺めて心を和ませるのだ。


 どちらでもよい。大陸の平和に必要なのは王になってからの話だ。どちらが王になったとしても――


 足音が聞こえてきた。


 嫌な気配を感じて立ち止まった。

 殺気だ。


 腰の短剣ジャンビーヤに手をやりながら振り向いた。


 その時だった。


 独特の色をした刃がひらめいた。


 声を発する間もなかった。

 腹部に衝撃が走った。


 目を見開いて腹部を見た。

 腹に刃がめり込み、赤い液体が白い貫頭衣カンドゥーラに滲み出していた。


 目の前が歪んだ。


 こんなことをしている場合ではないのだ。アルヤ人とサータム人は相争っている場合ではない。大陸の和のために手を取り合わなければならない。


 それなのに、なぜ、伝わらないのだろう。


「どうして、君が――」


 刃が引き抜かれた。そして袈裟懸けに胸を斬られた。


 前に倒れた。


 背中にまた刃が突き立てられたのを感じた。重い衝撃が全身を貫く。


 手を伸ばした。

 すぐそこにアルヤ民族とサータム民族の希望があるはずだった。


 サータムの神が望まないのか、それともアルヤの神が望まないのか、ウマルには分からなかった。


 今のウマルにも確かに言えることがあるとしたら、ただ、一つだけ――


「まだ――」


 物事を前に進めるには早過ぎる。


 しかし、世界は闇に閉ざされた。




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