第11話 サヴァシュVSユングヴィ
「むり」
ソウェイルが地面に突っ伏した。ユングヴィは「あ、ああー」と嘆きの声を上げた。これでは服の前半分が土だらけだ。今はユングヴィがソウェイルの服を洗濯しているわけではないのだが、ソウェイルが服を汚すとどうしてもそんなことを考えてしまう。
「つかれた」
サヴァシュが一人腕組みをして「じゃあやめるか」と問い掛けた。ソウェイルは顔を伏せたまま芯のない声で「やめたくないけどやめたい」などと答えた。
「おれ、こういうの、向いてないのかもしれない」
「そうかもな」
「なんでサヴァシュはすぐそう言うんだ、ちょっとぐらいソウェイルもやればできるとか言ってくれてもいいのに」
「言ったらできるのか?」
「むり……」
「やめてしまえ」
「やめないけど今日はもうむり……」
ソウェイルのすぐ傍にしゃがみ込んだ。
膝を曲げ腿を伸ばした時にかすかな痛みを感じたが、気がつかなかったふりをした。
ソウェイルの前で余計なことを言ってはならない。ソウェイルは時々妙に察しがいいのだ。教育によくないと思われることは少しでも見聞きさせないようにしなければならない。
こんな風に気を使わなければならないのはそれもこれもすべてサヴァシュのせいである。その辺の土をつかんでサヴァシュに投げつけたくなるのをこらえる。
「もういいよ、今日は。続きは明日にしようか」
ソウェイルが顔を持ち上げる。蒼い瞳と目が合う。
「おれ、毎日そう言っている気がする」
「だいじょーぶ! どうせサヴァシュは毎日ヒマだから!」
「お前が言うのか。まあヒマだが」
「そうじゃなくて。おれ、毎日同じこと言ってて、ぜんぜん前に進んでなくないか?」
そう思えただけ進歩だと言いたかったが、それでは暗に何にも進んでいないと言っているようなものではと思ったのでやめた。
代わりにソウェイルの頭を撫でた。ソウェイルがまた顔を伏せ頭を左右に振る。
「ほら、起きて! こういうのはあんまり深く考えちゃだめだよ、また明日また明日!」
「ユングヴィもうどっか行ってくれ」
「え、なんで? 私何かおかしいこと言った?」
強引に起こそうと腕をつかんだ。予想外に強い力で抵抗された。ソウェイルがここまで意固地になることはそうない。剣術の稽古によほどのこだわりがあるらしい。しかし空回っている。ソウェイルの小さな体には日が高くなるまで運動するだけの力がない。
空を見上げた。まだ午前中だ。焦ることはない。
「――いいな。私も何かしたくなってきた」
ソウェイルの傍らに放り出されている木刀を拾った。短剣より長く神剣より短い木刀は軽くユングヴィの手にも馴染んだ。
立ち上がり、木刀の切っ先をサヴァシュへ向ける。腕を組んだままソウェイルを見下ろしていたサヴァシュが、ユングヴィの方を見る。
「ちょっとサヴァシュ先生、私の相手もしてよ」
サヴァシュに「動けるのか」と訊かれた。反射的に「どういう意味だ」と答えてしまった。頬が熱くなるのを感じる。闘争心が余計に燃え上がる。
「なめんな。私だって赤軍兵士だもん、ちょっとやそっとでどうにかなるほどやわじゃないんだよ」
「ちょっとやそっとだったのか?」
「私がいいって言ったらいいの。お手合わせ願います」
サヴァシュが溜息をつきながら木刀を構えた。いつもの構え方だ。向かって斜めになるように持っている。左脚を一歩引き、体もユングヴィと斜めに向かい合わせる。
ユングヴィは両手で体幹の真正面に木刀を構えた。両足を肩幅に開いてまっすぐサヴァシュと向き合った。
だが、まっすぐ突っ込むつもりはない。
一度、まぶたを下ろした。大きく息を吐いた。
ユングヴィには分かっていた。
自分とサヴァシュの場合、身長差はさほどでもないのに、筋肉量がまったく違う。何も考えずにごり押しをすれば腕力で負けてしまうだろう。
策はないわけでもない。ここ数日サヴァシュの動きを見ていて特徴はつかんだつもりだ。
息を、吸った。
まずは下から切り上げるつもりで木刀を振った。
サヴァシュはそんなユングヴィに合わせるかのように真反対である斜め上から木刀を振り下ろした。
刃と刃が重なり合う。
重い。まともにやり合ったら弾き飛ばされる。
右手を離した。
今度はサヴァシュが斜め下から木刀を振り上げる。急いで両手で構え直してサヴァシュの刃を受け止める。
ぶつかった次の時には、サヴァシュの刃はユングヴィの刃から離れていた。
ユングヴィは違和感を覚えた。
けれどその違和感の正体をつかむ前にサヴァシュが横から次を打ち込んできた。
木刀で受け止めつつ、ユングヴィは考えた。
サヴァシュの動きは一振り一振りが大きい。馬上から一撃で敵を叩き落とすことに長けているためだ。相手を力ずくでぶちのめそうとしている。
しかしユングヴィの手首がいかれてしまうことはなさそうだ。
ユングヴィが受け止めた途端サヴァシュの木刀の重みが消えた。風が止まった。銀細工は一度だけしゃらんと鳴って黙った。
先ほどの違和感の正体はこれだ。
寸止めだ。サヴァシュはわざと力を込めて手の動きを止めているのだ。
ユングヴィに怪我をさせないためだ。
余計に腹が立つ。
小さく振りかぶってサヴァシュの顔を狙った。サヴァシュはいとも簡単に顔を傾けてそれを避けた。
反対側から同じ要領で切り裂こうとする。木刀の切っ先で阻止される。またもや刃が重なり合う。
サヴァシュの手は、動かない。ユングヴィの動きまで止められてしまう。
銀細工が声を上げない。
ユングヴィは決心した。
思い切って木刀を大きく左に振った。
サヴァシュは動じなかった。目でユングヴィの木刀の動きを追っただけで一見何の対応もしていないかのように見えた。ただ手元で木刀を構え直しただけだ。
全力をもって木刀を横に薙いだ。
途中で両手を離した。
遠心力で木刀が吹っ飛んだ。サヴァシュの側頭部に向かって一直線に宙を進んでいった。
銀細工が、しゃん、と大きな声を上げた。
サヴァシュの意識がユングヴィの投げた木刀に注がれた。
サヴァシュが全身でかわしているうちにユングヴィは自分の
サヴァシュの得意分野に持ち込ませてはだめだ。自分の得意分野にサヴァシュを巻き込むのだ。
サヴァシュの顔面へ突き刺すつもりで小さな刃を投げる。サヴァシュはやはり身を引いてかわしたが意識はすべて刃に持っていかれたと見た。
間髪入れずに左手で同じように刃を投げる。サヴァシュが木刀を持ち上げる。木刀の身に刃が突き刺さる。さすがの動体視力で見極められてしまったが真の狙いはそこではないのでユングヴィも動じない。
銀細工が、がしゃ、と今までには聞いたことのないような音を立てた。
今だ。
腰を落として姿勢を低くした。膝を突き崩すつもりで蹴りを繰り出した。
膝の関節に入った。
サヴァシュが体勢を崩した。左手で木刀を地面に突き立てた。銀細工がじゃらじゃらと騒いだ。
勢いを殺してはならない。
地に片手をつき回旋する要領でもう片方の足を振った。今度は高く持ち上げてサヴァシュの右肩を狙った。
サヴァシュが胸を庇うように右腕を持ち上げて衝突を防ごうとする。
サヴァシュの腕にユングヴィの足がめり込む。
表情が歪む。
サヴァシュが全身を引いた。しゃらら、という忙しない音がした。
「ちょっと待て、俺がするって言ったのは剣術の稽古だ」
こんなに動揺したサヴァシュの声を聞くのはどれくらいぶりだろう。それこそ初めてではないのか。
サヴァシュのすぐ右側に跳び込んだ。地面に両手をついて体を縦に回転させサヴァシュの背後へ移動した。
すぐさま大地を踏み締めて立ちサヴァシュの後頭部に掌底を叩き込もうとした。
サヴァシュはすぐに振り向き自分の顎を両手で庇った。
だがユングヴィの掌底はサヴァシュを突き飛ばした。後ろによろめいた。
「テメエ」
サヴァシュが腕を伸ばしてきた。
服をつかまれないよう一歩下がった。捕まってしまったらあっと言う間に押さえ込まれるだろう。それは何としてでも避けねばなるまい。
息を吐く。そして吸う。意識して呼吸をしなければならない。息を止めた状態で長時間動くことはできない。
動くのだ。動きで翻弄するのだ。
十神剣で一番瞬発力があるのは自分だ。
横に走った。回廊の太い柱へ向かった。
柱を蹴った。
柱を地面に見立てて、地面と体を水平にして駆け上がった。
体の周囲で風が渦巻く。空気の重みを感じる。大地がユングヴィを自分の方へ引き寄せようとしている。その力がまた気持ちいい。
今、世界にあらがっている。
背丈ほども上った辺りで柱を勢いよく蹴った。
体が宙に浮き上がった。
自然の摂理は人間に飛ぶことを許さない。地に落ちる。
自分は今からその摂理を利用する。
体を横にした。右半身を下にした。
そして右肘を曲げて突き出した。
サヴァシュへ向かって墜落する。
押し潰してやる。
銀細工が、しゃらん、と一度だけ鳴った。
ユングヴィは目を丸くした。
サヴァシュが一歩分前に出た。
ユングヴィの肘は、サヴァシュの顔のすぐ横、肩の上の空気を叩いた。ユングヴィの上腕がサヴァシュの肩についた。
サヴァシュはそのまま後ろに倒れた。
わざとだ。彼は受け身をとったのだ。
ユングヴィはサヴァシュを下敷きにした状態で地面に倒れ込んだ。
サヴァシュがユングヴィの体重のすべてを受け止めた。
「いってぇ……」
大きな手で、肩を抱きかかえられていた。
抱え込まれてしまった。
捕まった。終わりだ。
悔しい。
その場で上半身を起こした。サヴァシュの腹の上で馬乗りになった。
サヴァシュの胸倉をつかんで強引に上へ引き上げた。
サヴァシュも上半身を起こした。嫌そうな顔で「重い」と呟いた。
「手加減しただろ」
「した」
あまりにも素直だったので、右手を離して握り拳を作り振り上げた。サヴァシュはその手をつかんで止めた。
「なんで!?」
「子供の目の前で親をぶちのめすのは俺の主義に反する」
振り向いた。
すぐそこでソウェイルが目をまん丸にして自分たちを見ていた。
それではソウェイルがいなかったら自分をぶちのめしていたのか、と言おうとしてやめた。それこそソウェイルのいる前で言うべき台詞ではないと思ったのだ。必要以上にソウェイルを怖がらせたくない。
「余裕だね」
「いや、でも、びっくりした。白状すると、見くびってた。お前の瞬発力がものすごいのは認める。あと、昨日も思ったけど、股関節柔らかいな」
「昨日も思ったけどっていうのすごい余計じゃない?」
「楽しそうですね!」
今までにはまったくなかった声が割って入ってきた。
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