第9話 初花《はつはな》

「えっと、どうしよう、どうしたらいい?」

「黙ってろ」

「ごめん、なんか、ほんと私何にもできないね、一から十までサヴァシュに任せっぱなしだね」

「別にいい」

「ね、何したらいいかな、うまくできないかもしれないけど」

「だから、何も」

「でも落ち着かないよ、すごい緊張してる、自分が自分じゃないみたい」

「いいから黙れ」

「無理、喋ってないと死にそう、心臓が爆発する」

「ユングヴィ」

「ん、ん……っ、あの、」

「何も言うな」

「ごめ、無理だよ、無理、私、」

「じゃあやめるか?」

「……やめない」

「撤回するなら今のうちだぞ」

「しない。する」

「ここから先は何を言われてもやめないからな」

「うん。いいよ。だいじょうぶ。何か言っても無視してね。何か言うかもしれないけど、自分でも自分が何言ってるかよく分かんないし気にしないで」

「黙って目をつぶってろ」

「そうする。……あ、でもちょっと待って、一個だけ聞いて」

「何だよ」

「窓。窓、閉めて。窓掛けひいて。お願い。お願いだよ。からだを見られたくないんだよ。お願い」

「俺は見たい」

「やだ、やめて、お願い見ないで、お願い、だめ、ごめんなさい、ごめんなさ――」












 頭を撫でられている。


 こんな風に甘やかされたのはいつくらいぶりだろう。記憶にない。親にもしてもらったことはない気がする。自分がソウェイルの頭を撫でることはあるが自分が撫でられる側にまわったのは初めてかもしれない。


 とても心地良い。


 ずっとこのまままどろんでいたいと思った。何もかもを忘れて眠っていたい。気だるい感覚に包まれて安らいでいたい。


 不意に手が離れ傍にあった体温が消えた。

 寒さを感じてまぶたを持ち上げた。


 薄暗かった部屋が突然明るくなった。

 何が起こったのだろう。


 体を起こした。

 脚の付け根に痛みがある。皮膚が伸び切って薄くなってしまったかのような、こすれて熱をもった時のような痛みだった。腿がだるい。いつもと違う。


 何事だ。


 目線を持ち上げると、上半身裸のサヴァシュが窓掛けを引っ張って窓を開けていた。


 朝が来た。


 最初のうち、ユングヴィは彼を黙って眺めていた。頭が働いていなかった。彼の様子から何かものを考えるということができなかった。ただ、外が明るくなっていることだけを感じていた。


 外が明るくなった。


 部屋の中も明るい。


 ユングヴィは蒼ざめた。急いで掛け布団を引き上げた。頭からかぶってうつむいた。


 見られた。


 左肩には大きな刃物傷と縫合した際の糸の痕が残っていた。むかでが這っているような傷痕だ。

 右の二の腕には矢を抜くために自分で切り裂いた痕が残っていた。いつの間にか塞がった部分がひきつれ、いびつな形で癒着してしまっている。

 左脚には訓練中に火薬が爆発してできた火傷が残っていた。赤黒くなってなかなか元に戻らない。

 細かな傷は他にもいくらでもある。数え切れない。


 醜い。女のからだではない。


「見ないでって言ったのに……!」


 そうでなくとも、たくましい腕や腹には筋肉の線が入っていて柔らかさはない。手は日に焼けていて皮膚は硬く厚い。


 寝台が軋んだ。


 顔を上げると、彼がすぐそこにいた。


「なんでだ」


 喉から声を絞り出す。


「こんなの女の子のからだじゃないよ……! ほんと、こんなぼろぼろで、みっともない! 可愛くない」

「そうか?」

「今までのひとたちとはぜんぜん違うでしょ?」

「そうだな」


 胸の奥が一瞬冷えた。

 一瞬だけだった。


「しまっていていいと思った」

「……、でも、」

「傷の一つや二つしょうがないだろ。お前が必死で戦ってきた証拠だ」


 だがそう言う彼のからだには大きな傷が見当たらない。それが強さなのだ。自分は弱いからこんなことになったのだ。


「俺はいい女だと思ってる」


 顎をつかまれた。むりやり持ち上げさせられた。

 唇に唇が触れた。

 ただ、それだけの、優しい口づけだった。


煮物ホレシュ、うまかった」


 囁かれる。


「また来てもいいか?」


 ユングヴィは、口づけのせいで真っ白になった頭で、何も考えずに頷いた。


 呆然としているユングヴィをそのままにして、彼は寝台から離れた。

 床に放ったままの服を拾ってひとつずつ身につけ始めた。たくましい背中を、刺繍の入った黒い生地の布が覆っていく。

 しゃらん、しゃらん、と、銀細工が鳴る。


 最後に一度振り向いて、彼が「またな」と言った。ユングヴィは「また」と呟いて彼を見送った。


 戸が閉まった途端だった。


 視界が歪んだ。涙が溢れて止まらなくなった。


 掛け布団に顔を押しつけた。


 動いた際にまた痛んだがそれほど気になるものでもなかった。想像していたような痛みとは違う。激しく出血してもっと引き千切れたような痛みを感じるのかと思っていたがそんなことはなかった。むしろ――

 最初から最後まで優しかった、と思う。


 初めてがサヴァシュでよかった。





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