第8話 女としての価値
「ソウェイル大丈夫かなあ」
「大丈夫だろうが大丈夫じゃなかろうができることはもうない」
サヴァシュに断言された。ユングヴィは「うう」と唸った。
彼の言うとおりだ。ユングヴィはソウェイルが笑顔を見せるまでずっと抱き締めてあやしていてやりたかったが、他でもなくソウェイル自身が嫌がったのだ。
ウマルが去ってしばらく経ってからようやくテイムルが現れた。事のあらましをウマルから聞いたらしい。
ユングヴィはテイムルの胸倉をつかんでさんざん文句をつけたが、そんなユングヴィをソウェイルが止めた。顔面蒼白で黙りこくっているテイムルの手を取り、テイムルと宮殿の自分の部屋に帰ると言い出した。
ユングヴィはソウェイルと一緒にいたかった。強張った表情のままのソウェイルを一人にしたくなかった。けれどソウェイルが首を縦に振らない。テイムルの方が気を遣ってユングヴィも連れて帰るか問うたが、ソウェイルは断固としていいと言い張った。
ユングヴィには最近のソウェイルが分からない。九歳というのはそんなものだろうか。宮殿に返して以来雰囲気が少し変わったように感じるのは、ユングヴィの気のせいだろうか。
「帰って着替えて寝ろ」
「まだ昼だよ……」
しかし――自分の恰好を見下ろす。血みどろだ。確かに、早く帰って着替えた方がいいかもしれない。
「あー、なんか、仕事行く気なくなっちゃったなあ。帰ったらこのまま違うことしたい。寝ないけど」
「おー、好きにしろ」
服の腹をつまんで溜息をつく。
サヴァシュの言うとおりだ。いい加減、切り替えなければならない。
「サヴァシュ、このあとヒマだよね」
「決めつけやがって」
「このまま二人で遊びに行かない?」
「お前と二人でか」
「うん。やだ?」
「何だ、唐突に」
サヴァシュと正面から向き合う。
彼は怪訝な顔でユングヴィを見ていた。そんなに急だっただろうか。そうかもしれない。今まで彼と一対一で何かをしたことはなかった。これからはもう少し彼に優しくしてやってもいいだろう。
「私の中ではぜんぜん唐突じゃないんだ。本当はずっと前からいろいろ考えてたんだ、もっと早くちゃんと言えてたらよかったんだけど……ごめん」
なんだかんだ言って自分もソウェイルもこの男に生かされているのだ。
「今日もそうだし、三年前もそうだった。私はサヴァシュが戦ってくれているおかげで何とかやっていけてるんだよ。だから、サヴァシュに、ちゃんとお礼したくて……」
そこで「自覚はあったのか」と言われてしまった。腹は立つが我慢だ。
「さっきウマルの話を聞いていて思ったんだけどさ、私らあんまりサヴァシュのありがたみ感じてないよね。実際はサヴァシュがいてくれなかったらあの時もその時も大変なことになってたなってこといっぱいあると思うんだ。でもさ、ほら、サヴァシュ普段の行ないが悪いから!」
「そういうことを目の前で言われる辺り俺らしいなと思っちまっただろうが」
「うまく言えないけど……、もうちょっと、近づきたい。私が一番お世話になってるもんね、私ぐらいはさ、何か、こう、サヴァシュに恩返しできるようになりたい」
黙っていなくなられるのは、もう、嫌だった。自分がサヴァシュの動向を気にしているということは、分かっておいてほしかった。
サヴァシュは味方になってくれると信じたいし、サヴァシュの味方になってあげたいと思う。
「何か、私にできることはないかな」
「お前にできること?」
「そう、一緒に出掛けたりとか――どこか美味しいお店案内しようか、私ベルカナと食べ歩いてるしそういうことは得意だよ」
「お前より俺の方がだいぶ長くエスファーナで将軍やってるけどな」
「そうか、そうだね、そう言えば。じゃあ、そうだ、私が何か作ろうか? 私こう見えて料理得意なんだよ! サヴァシュ寮で一人暮らしでしょ」
「普段は市場で適当に済ませる」
「
「ああ、今からだと遅いな」
「あ、ああー……じゃあ、夕飯にするとか……?」
サヴァシュが黙った。考え込んでいるようだった。浮かばないのだろうか。ユングヴィは肩を落とした。
「えーっと……、何がいい……? 私ができることなら何でもするよ……」
「何でも、か」
「うん。何か、ないかなあ? 私だけがサヴァシュにしてあげられること」
彼は「なくもない」と呟いた。「なになに」と食らいついた。
「何でもすると言ったな?」
「言ったよ」
次の時、ユングヴィは目を丸くした。
「ヤらせてくれ」
サヴァシュをまじまじと眺めてしまった。
何を言われたのか分からないほど無知ではなかった。けれど自分がそんなことの対象になるとは思ったことがなかった。こんなに急に自分の身近な話題になるとはまったく想像していなかった。
彼は無表情であった。いつもと何にも変わらない。慣れたことなのだろうか。
どういう反応をするのが正解なのだろう。
沈黙したままのユングヴィから目を逸らして、サヴァシュが「冗談だ」と言った。
「忘れろ。特に何もしなくていい」
だが、サヴァシュはその行為をユングヴィだけがサヴァシュにできることとして挙げたのだ。
冷静に考えれば、十神剣には女性が自分を含めて三人しかいない。まだ九歳のカノは論外だし、ベルカナは経験は豊富そうでもサヴァシュの相手をまともにするとは思えなかった。エルナーズやラームテインのような綺麗どころはいるがいつだったか美少年は好みでないと言っていた。消去法でいけば十神剣には自分しか残らない。
消去法でも、サヴァシュの中では自分が女性として数えられている。
唾を飲み、拳を握り締めた。
「いいよ」
サヴァシュがふたたびユングヴィを見た。
「しよう」
どんな理由であっても、女として見られることは嬉しい。この機会を逃したら二度と誰にも女性として扱ってもらえないかもしれない。
「お前、自分が今何言ってるか分かってるのか」
「分かってるよ、そこまでバカじゃないよ。したことないから、ほんと、知識だけだけど」
「やっぱり処女なのか」
結婚するまでは、とか、本気で好きになった男性と、とか、夢がないわけではなかった。けれどそんな甘いことは言っていられない。美人でもない、鍛えられて固い筋肉の、醜い傷痕だらけの肌をした自分が、そういう対象になる、ということはそうそうないことなのだ。相手をしてもらえるだけ感謝をした方がいい。
未婚の娘が性交渉をもつなど普通のことではない。父親や男きょうだいの名誉を著しく傷つける行為だ。ふしだらな娘として石を投げられるかもしれない。生まれ故郷にいたら火をつけられるかもしれない行ないだ。
だが今のユングヴィにはそういう家族はいない。ユングヴィがどこで何をしても――男に遊ばれて捨てられたところで、もともと花嫁という商品になれない自分には関係がない。
自分は女として売り物にならない存在なのだ。
「処女、あげるよ」
「もらう」
「軽いな」
「お前にとっては軽いものじゃないということは分かっている」
「それでいいよ」
恥ずかしくなって視線を逸らした。
「それだけでいいよ。それくらい、サヴァシュに何かしたい、って思ってることが、伝われば。いや、何かしたいって言ったって、本当に、何もできないと思うけど。むしろ、そんな私でもよければ。どうぞ」
しばらくの間二人とも黙った。
ややして、サヴァシュが言った。
「夕方、お前の家に行く」
拳を握る力が強くなった。
「ホレシュ、だったか。食うことにする。作って待ってろ。俺、アルヤ人の家庭料理を食うの、初めてだ」
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