第7話 チュルカの戦士の魂
ややして、ウマルが口を開いた。
「これは私の指示ではない。私の意に反して行なわれたことだ」
「これ、というのは?」
「ソウェイルの暗殺を命じたことは一度たりともない。むしろ私はソウェイルとフェイフューを守るために本国へはたらきかけている人間だ。このような愚かで野蛮な真似はけして許さない」
たたみかけるように「誓って言う」と断言する。
「考えてみたまえ。私の目指すところはアルヤ人民が神として
少し間を置いてからサヴァシュが「それもそうだな」と呟く。ウマルが「そうだろう」と頷く。
「じゃあ誰の差し金だと?」
「調査させておくれ」
「あんたにか」
「繰り返すが、これは私にとっても不本意な事件だ。このようなことを見過ごすわけにはいかない」
彼はそこでひとつ溜息をついた。
「何も利だけの話だけではない。これは私自身の威信をかけた話でもあるのだ」
「と、いうと?」
「私は神に誓った、ソウェイルとフェイフューが成人していずれが王となるか自ら剣をとって戦う日が来るまで待つ、と。二人の成長を見守ることは今や私の使命なのだ、それを妨害せんとする者がある、何としてでも除かねばならない。他ならぬ、私がないがしろにされているのだ」
そこまで聞いて、サヴァシュは腕を下ろした。息を吐いて一人腕組みをし、「そうか」と零した。
「そこまで言うなら、な」
ユングヴィは「ちょっとサヴァシュ」とサヴァシュの腕をつかんだ。
「なんでそこで許すの」
「許したわけじゃない、ただ調べ終えるのを待ってやろうと思っただけだ。ここまで言うんなら絶対徹底的に調べ上げる。こんなにこけにされて黙っていられる奴はいないからな」
「そんな、それじゃ意地の問題みたいじゃないか」
「意地の問題だ」
サヴァシュはウマルに「そうだろう?」と問い掛けた。ウマルは声を上げて笑ってから「そのとおりだ」と答えた。
「私は私の意地をかけてこの件を償わせなければなるまい」
「その言葉、信じるぞ」
「君には感謝する」
ウマルとサヴァシュの緊張は解けてしまったようだ。二人の間でユングヴィには理解できない合意があったらしい。納得がいかなかったが、影響は受けて戦う気は失せてきた。
「サータム帝国は一枚岩ではない――そうとアルヤ属州側のひとびとに知られてしまうのは悔しいが、今はそう思っていただくほかない。アルヤ属州のことは私に一任されたのにそれを快く思っていない輩がいる。何人か心当たりがある、その辺に当たらせてほしい」
ユングヴィはふと「サータム人同士でも仲が悪いのはいるんだな」と呟いてしまった。ウマルはそれを律儀に拾ってまた大きく頷いた。
「皆が太陽の下で一致団結しているアルヤ民族とは事情が異なるのだよ」
そう聞くと、ユングヴィも少し気持ちが鎮まるのを感じる。まとまりのあるアルヤ民族が誇らしいと思う。
不意にウマルが床に膝をついた。急なことだったので驚いた。
ウマルの目は、ユングヴィの後ろ――ソウェイルを見ていた。
「やあ、ソウェイル。大丈夫だったかい」
振り向いた。ソウェイルを見た。
ソウェイルがユングヴィの後ろに身を隠した。
ウマルは苦笑した。
「嫌われてしまったのかね。残念だ」
彼は「だがおじさんは君の味方だ」と、囁くように言う。ソウェイルはなおも答えない。
少しの間待ってから、ウマルは立ち上がった。
「それにしても、サヴァシュ、少し意外だ」
サヴァシュが「何がだ」と応じる。
「君が太陽のために戦うとはね。君はアルヤ民族の太陽を信仰しているわけではない、アルヤ王に忠誠を誓っているわけではないと聞いていた」
彼はすぐさま「そのとおりだ」と答えた。
「王子とか太陽とか、俺には関係ない」
「ほう」
「俺はチュルカの戦士の魂以外の何物にも従わない。アルヤ人だろうがサータム人だろうが俺にはどうでもいいことだ。だが九歳の子供が大人に囲まれて嬲り殺されるのを黙って見過ごすのはチュルカの戦士の魂に反する」
ウマルが「いい、実にいい男だ」と目を細めた。
「実のところ君には共感を覚える」
「何だ気色悪い。おっさんにそんなことを言われても俺はこれっぽっちも嬉しくない」
「サータム人も元を辿れば遊牧民だ、らくだを駆って砂漠を渡り歩く。私自身も元は軍人でね、祖先に倣って戦士をやっているつもりであった」
「それこそ俺には関係ないな」
「そうつれないことは言わないでおくれ」
そして朗らかに笑った。
「君とは一度一対一で深い話をさせていただきたいと思っていた。今度食事でもどうだい」
「言いたいことがあるなら今ここで言え」
「いいのかね」
ウマルの目が、一瞬、ユングヴィを見た。
「他の将軍に聞かせる話ではない。君個人と話がしたい」
サヴァシュははっきりと「断る」と答えた。
「他の誰かに聞かれたくないような内緒話は好きじゃない。こそこそするのは俺の性分に合わない」
「そうか」
「もう一度言う。今ここで言え。今ここで言えないことなら二度と俺の前で話そうとするな」
「分かった」
ウマルが一歩、サヴァシュに近づいた。サヴァシュはやはり、動かなかった。
「君を引き抜きたい。サータム帝国に来ないか」
ユングヴィは驚いてサヴァシュの顔を見た。
サヴァシュはまっすぐにウマルの顔を見つめていた。
「アルヤ最強程度でとどまっていていいのかい? 大陸最強を目指さないか。帝国はそんな君にそれなりの地位と舞台を用意することができる。帝国であれば君も存分に力を発揮できるだろう」
サヴァシュの顔からは表情が読み取れなかった。何を考えているのだろう。分からない。
「君は非常に優秀な戦士だ、このまま埋もれてしまうのは惜しい。こちら側に来たまえ」
ウマルが
「帝国軍にはチュルカ人も大勢いる、役職を得て活躍している者も数え切れないほどだ、アルヤ軍の黒軍の比ではない。それに皆出自にかかわらず平等な報酬を得ている、チュルカ人だからと言ってアルヤ人の風下に置かれることはないのだ」
「帝国に、か」
サヴァシュが呟く。ユングヴィの背筋が凍りつく。
「君はもっと評価されるべきだ。サータム帝国に来て正当な評価を受けたまえ、帝国は君に破格の待遇を用意する、帝国は実績も才能もある君にいくらでも投資をする」
少しのあいだ、間があった。
それが、とても、怖かった。
「……考えておく」
ウマルがひげの下で唇の端を持ち上げて頷いた。
「よろしく頼むよ」
嫌だった。サヴァシュにはアルヤ王国の将軍でいてほしかった。
けれどそれを口にする勇気はユングヴィにはない。
サヴァシュはアルヤ人ではない。今なお心はチュルカ平原にある。しかも今のアルヤ国はサータムの属国で戦争する機会はなさそうだ。ここよりもっと活躍できる場があるのだと考えたらそちらに動いてしまわないだろうか。
そうなった時ユングヴィは引き留めるすべを知らない。ユングヴィも彼のことをよく知っているわけではなかった。
ウマルが「ではね」と言って一歩下がった。
「さっそく調査に移ることにしよう。時間が惜しい。申し訳ないがここで失礼する。片づけは配下の者たちにさせるので気にしなくていい」
次の時、サータム語で周囲の護衛たちに何かを告げた。おそらく片づけを命じたのだろう、護衛たちが動き出して転がっている死体に手を伸ばした。
「いい返事を期待している」
その背中を、サヴァシュが見送る。
さらにそのサヴァシュの背中を見ていたユングヴィは、次の行動に迷った。サヴァシュに何か言おうと思ったが何も浮かばなかった。こういう時はいったいどうしたらいいのだろう。
そんなユングヴィの背後から、蒼い影が飛び出してきた。
ソウェイルの手が、今度はサヴァシュの背中をつかんだ。
サヴァシュが振り向く。
特別怖い顔をしているわけではない。いつもどおりの顔でソウェイルを見下ろしている。
ユングヴィはそれに安堵した。
「サヴァシュ、帝国に行っちゃうのか?」
ソウェイルの声は小さかったし震えていた。聞き取れぬほどではないが痛々しい。聞いているのもつらくなる。けれど黙れと言うわけにもいかない。様子を見守る。
サヴァシュがソウェイルに向き直った。
「まだ決めたわけじゃない、考えるとしか言っていない」
「いやだ」
ソウェイルが必死の様子で訴える。
「おじさん、地位を用意するとか、正当な評価がどうとか、言ってた。おれ、むずかしいことはよくわからないけど、帝国に行ったらお金が出るっていうことだよな。サヴァシュはそっちの方がいい?」
ソウェイルがサヴァシュにしがみつく。
「ソウェイル」
「サヴァシュは自分がチュルカ人だからこの国ではアルヤ人より下に置かれてるんだと思っている?」
サヴァシュが眉根を寄せる。口を開けて何かを言い掛ける。
「おれ、ちゃんとした王さまになるから。サヴァシュがアルヤ人にならなくても、チュルカ人のままでも気持ちよく戦える国の王さまになるから。そうしたら、サヴァシュはこの国にいてくれる?」
サヴァシュの大きな手が、蒼い髪を撫でた。
「……考えておいてやる」
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