第15話 将軍が誕生する瞬間

 それを最後に、神剣は、もう、何も言わなくなった。満足したのだろうか。


「おめでとー」


 ソウェイルが手を叩いた。


「よかった。紫が最近ずっとそわそわしてたの、これで収まる」


 後ろからユングヴィの声がした。


「神剣を抜いたの」


 声を辿って振り向くと、ユングヴィも目を丸くしていた。


「おめでとうございます! 紫将軍のたんじょうですね!」


 ユングヴィのさらにその後ろを追い掛けてきていたフェイフューが嬉しそうな顔をしていた。


「紫将軍……」


 目を落とす。剣の刃を見つめる。妖しい輝きを放つ紫の刃に吸い込まれそうになる。

 自分は、神剣を、抜いたのだ。


「僕が……将軍……?」


 それは、アルヤ王国を守る軍神のことで、この国における最高の神官のことだ。

 自分が軍神――実感がまったく湧かない。

 けれど手元にある剣は確かに刃を見せている。紫色だ。常識で考えられない、紫水晶アメジストでできているかのような刃だ。


「神剣の声を聞いてたんだね」


 ユングヴィが駆け寄ってくる。


「懐かしい……! 今自分の時のことを思い出したよ、もう五年も前のことだからぜんぜん忘れてた。きっと地下道でも呼ぶ声が聞こえてたんだね。もっと早く気づいてあげればよかった、ごめんね」


 ユングヴィの手が伸びた。ラームテインの手をつかんだ。その体温に触れた途端ラームテインは目が覚めた気がした。


「私に弟が増えたんだ。嬉しい!」

「おとうと?」

「十神剣はみんな兄弟なんだよ。私たちは十人兄弟なんだ。私は頼りないお姉ちゃんかもだけど、仲良くしてくれたらとっても嬉しい!」


 また新たな声が割って入ってきた。


「何事だ騒々しい」


 後方、自分たちも入ってきた出入り口の方に目を向けると、二人の男が入ってきているところだった。


 一人はアルヤ国の武官の衣装を着て蒼い大剣を腰にいた青年だ。蒼い神剣ということは、この青年が蒼将軍ナーヒドだろう。目元が涼しげで思っていたより好青年然としている。


 もう一人はサータム人の民族衣装であるクーフィーヤをかぶった中年の男だ。興味深そうな目でこちらを眺めてあごひげを撫でている。蒼宮殿を白いクーフィーヤで闊歩している――この男が総督ウマルだ。


「またユングヴィか! この神聖な神剣の間で騒ぐな!」

「ナーヒド!」


 怒鳴られても気にせず、ユングヴィが大きな明るい声で告げた。


「この子神剣を抜いたんだけど!」

「……はあ?」


 ナーヒドが視線を落とす。

 ラームテインの手元の紫に輝く刃を見る。

 再度「はあ!?」と叫んだ。


「ちょっと待て、この子はフェイフュー殿下がおっしゃっていた例の酒姫サーキイではないのか」


 フェイフューが下から「そうです!」と大声で主張する。

 ナーヒドが戸惑った様子でラームテインを眺める。ラームテインは慌てて神剣を鞘に納めた。


「ラームテインと申します」

「俺はナーヒドという。中央守護隊蒼軍の隊長、蒼将軍をしている者だ」


 歩み寄ってきて「驚いた」と呟く。


「こんなことがあるものなのか。俺は生まれた時から神剣の声を聞いていたからこうして突然次の将軍が生まれるとどんな反応をしたらいいのか分からんな」


 ユングヴィが声を引っ繰り返して「えっ、生まれた時から?」と言った。ナーヒドが「俺は二世将軍だぞ」と眉間に皺を寄せた。


「うっそ、神剣の声ってある日突然頭にぎゃーっと入ってくるものなんじゃないの?」

「聖なる御剣みつるぎにこう言ってはなんだが、赤い神剣はお前同様品がないのかもしらんな。俺にとっての神剣は父であり兄であったが、お前の神剣はそうではないと見たぞ。だからお前のような無教養な女を選んだのかもしれん」

「なんでナーヒドはすぐそういうこと言うのかなあ」


 ラームテインを見つめて、「なぜ急にこんなことに」と問うてくる。ユングヴィが「私にもよく分かんなくて」と答える。


「ソウェイルがいきなり――ソウェイル?」


 ユングヴィとナーヒドの視線がソウェイルの方に動いた。

 ソウェイルはちょうど祭壇から飛び降りて絨毯に着地したところだった。

 蒼い瞳で二人を見上げた。


「ていうか、みんなには、今、神剣の声が聞こえないのか?」


 形の良い小さな唇を尖らせる。


「赤い剣も蒼い剣も今いっしょうけんめい二人に話しかけてるのに」

「えっ、今も!?」

「自分にはまったく――」


 しょげた様子で「二人とも聞こえないんだ……」と呟く。


「将軍になると聞こえなくなるんだよ」

「ひょっとしておれだけに聞こえるのかな。かなしい」


 白い指先でラームテインの神剣のつかを撫でた。


「紫の剣も、ラームをすごく気に入った、って。可愛いって。ずっと一緒にやっていけそうで嬉しいって言ってる――のに、わからない……?」


 そこで「ほう」と感嘆の息を漏らしたのはウマルだ。


「このようなことがあるものなのだね。アルヤ人は不思議がいっぱいだ。それもこれもすべて『蒼き太陽』のお導き、ということなのかな?」


 目を細めて微笑む。


「ウマル総督」

「いやあ、残念だ。せっかくのアルヤ産の美少年が、これではますます手を出しにくくなる」


 フェイフューが駆け出てきた。ラームテインの前でウマルに相対する形で仁王立ちになった。そんなフェイフューを見て、ウマルは声を上げて笑った。


「冗談だ、冗談」


 そうして、ナーヒドの肩を叩いた。ナーヒドが極限まで嫌そうな顔をした。


「実はだね、彼に引き取ってもらえないか相談していたところなのだ」


 フェイフューが「どういうことです」と問い掛ける。ウマルが「いやね」と説明する。


「いくら総督といえどそんなにものすごい権限があるわけではないのだよ。美少年を囲ったと知れてアルヤ人たちの恨みを買うのは本意ではないし、最悪本国から召還命令が下るかもしれない」

「それで、ラームをナーヒドに引きわたす、と?」

「聞けば彼は独り身でフェイフューがここに移ってから屋敷が寂しいと言うからね」


 ナーヒドがすかさず「そこまでは言っていない」と口を挟んだ。ウマルは無視した。


「アルヤ人はアルヤ人同士の方が安心だろう? 十四歳の可愛い子ちゃんを泣かせて楽しむ趣味は私にはないのだ」


 フェイフューが「ナーヒドが酒姫サーキイを置くのですか」と訊ねると、ナーヒドは「まさか」と答えた。


「だがうちが広いのは本当のことにござれば、書生の一人や二人いてもよいかと存じた」


 フェイフューが笑みを浮かべたところで、「だが」と続ける。


「紫将軍となれば話は別。紫軍の宿舎に新しい部屋を設けて、それなりの待遇で迎えなければならぬ」

「紫軍の宿舎……?」


 扉の外を指差した。


「紫軍も、蒼宮殿の敷地内の」


 ユングヴィが「アルヤ軍で一番お金かかってる建物」と付け足した。ナーヒドがユングヴィに「下品な言い方をするな!」と怒鳴った。


 紫軍の宿舎に新しい部屋を設ける――それなりの待遇で迎える――蒼宮殿の敷地内、ということは、


「僕は、もう、酒姫サーキイはしなくてもいい、ということでしょうか」


 ユングヴィとナーヒドの声が重なった。


「当たり前だ」


 ウマルがまた声を上げて笑う。


「おめでとう」


 視界がぼやけるのを感じた。


「今は祝いの言葉を述べさせていただこう。未来ある少年の前途が明るいものであることは良いことだ、今宵は祝杯を挙げようではないか。もちろん君が酒を注ぐことはない、君が酒を注がれる側となるのだ」

「僕……、」

「いやあ、仕方がないね。十神剣が十人揃うのは我が帝国にとって脅威だが、君たちにとっては喜ばしい話だろう。私も今ばかりはともに喜ぼう。君たちアルヤの神のなされる御業みわざに敬意を表してともに葡萄酒を味わおう」


 ユングヴィがはしゃいで手を叩いた。


「ようこそ蒼宮殿へ! これからはどうぞよろしくね」




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