第14話 紫の剣は太陽に彼の猫を連れてこさせる

 ところが、


「……うれしいのですが」


 束の間の喜びであった。

 次に、フェイフューはラームテインの意に反することを言った。


「ぼくのためにと言ってくださるのならば、時には、この国のために――ひいてはこのお方のために、がんばっていただくこともあろうかと思います」


 フェイフューの手が離れた。

 フェイフューが後ろを振り向いた。


 ラームテインは初めて気づいた。


 フェイフューの背後に、何か人ならざる者が歩み寄ってきていた。


 大きな蒼い瞳はフェイフューと同じ色だがそこには感情が映っておらず、人形の瞳のような硝子ガラス玉に見えた。

 深い二重まぶたも薄い唇もまるで誰かが理想を像に彫って造ったかのようだ。整い過ぎている。美しさが禍々しい。

 何より、蒼く輝く髪――空よりも深い蒼い色の髪は、地上の万物を照らす太陽の光そのものだ。


 思わず息を呑んだ。


 ニマーの言うとおりだ。これは、この目で見れば一目で分かる。

 伝説の『蒼き太陽』だ。生きた伝説がここにいる。


 大きな目が瞬いた。瞬きを必要としているところを見たことで初めて人間なのだと認識した。


「紹介します」


 フェイフューが何でもないことのように言った。


「ぼくの兄、ソウェイル第一王子殿下です」


 『蒼き太陽』が目の前にいる。

 ラームテインは動けなかった。

 生きた神話がここにある。


 ソウェイルの蒼い瞳がラームテインを見た。目が合ったような気がした。


 けれど、次の時だ。


 ソウェイルは黙ってフェイフューに身を寄せた。


「こら、ソウェイル」


 どこからともなくユングヴィが出てきて、ソウェイルの細い手首をつかむ。おそれ多いことだ。そんな簡単に触れてもいいのかとラームテインは震えた。


「人見知りするんじゃない。ちゃんとご挨拶して」


 人見知りと言われて驚いた。『蒼き太陽』がそんな子供らしいことをするのか。


 落ち着け、と自分に言い聞かせた。相手は初対面の人間に自ら名乗ることもできないような子供だ。


 ソウェイルが唇を尖らせる。

 まだ、子供なのだ。


 ラームテインは顔を伏せて唾を飲み下した。


 厄介なことになった。


 どう考えても利発で意志の強いフェイフューの方が王の器だろう。民を率い国を治める務めに適うのはフェイフューの方に違いない。

 だがアルヤ人にとっての太陽は理屈ではない。神である太陽に必要なものは聖性だ。その点において蒼い髪と瞳のソウェイルは圧倒的に有利だ。見るだけで民の心を揺さぶる。


 自分はフェイフューの臣下になろうとしている。フェイフューがどんな子か知れば自分以外にもそうしたいと望む者が出てくるだろう。しかし何も知らないアルヤ人はすべからくソウェイルに膝をつくはずだ。


 このまま二人が成長したら、この国は乱れるかもしれない。


 ソウェイルがフェイフューからその身を離した。大きな瞳がラームテインを見た。小さな口を開こうとした。


 『蒼き太陽』が声を発する――声を掛けられる。


 ラームテインが覚悟を決めた、その、瞬間だった。

 地下水路カナートで感じたあの耳鳴りがふたたび襲いかかってきた。


 顔をしかめこめかみを押さえた。フェイフューが心配げな顔で「ラーム?」と声を掛けてきた。


 ソウェイルが手を伸ばした。


 耳鳴りが酷くなる。

 頭が痛い。


 ソウェイルの手が、ラームテインの服の袖をつかんだ。


 同時に声が聞こえた。


 ――おいで。


 ソウェイルが、大きく目を見開いた。


「……、このひとだ」


 その唇から言葉が漏れ出る。

 途端あれほど強かった耳鳴りが治まる。まるで奇跡のように辺りが静かになる。


「待ってた。ずっと、あんたのことを待ってた」


 袖を引かれた。「来てくれ」と言われた。


「呼んでる。早く行ってあげないと」


 ユングヴィが「ソウェイル?」と問い掛ける。ソウェイルはそれには答えない。ただラームテインだけをまっすぐ見ている。


 この耳鳴りが、声が、きっとソウェイルにも聞こえている。その蒼い瞳はすべてを見通している。


「行こ。こっち」


 ソウェイルが駆け出した。ユングヴィとフェイフューがそれぞれ「ソウェイル!?」「兄さま!?」と大きな声を出したが、ソウェイルは振り向かなかった。


 ラームテインは後に続いた。行かなければならないと感じていた。

 『蒼き太陽』はきっとすべてを知っているのだ。




 辿り着いた先は蒼宮殿の南の棟の中央にある大講堂の脇の小部屋だった。大講堂にはニマーに連れられて何度か来たことがあったが、その隣にある部屋に入れたのはこれが初めてだった。


 静謐な部屋の中、ソウェイルは正面の壁に向かってまっすぐ走っていった。


 正面に祭壇がしつらえられていた。

 そしてその上、壁に取り付けられた金具の上に、一本だけ、剣が安置されていた。

 紫の鞘とつかをもつ剣だ。鞘に無数の紫水晶アメジストに似た輝石を埋め込まれており、全体的に妖しい輝きを放っている。見ていると吸い込まれそうだ。


 ラームテインはまた声を聞いた。


 ――さあ僕を手に取りなさい、僕のラームテイン。


 自分を呼んでいるのはこの剣だ。


 ソウェイルが祭壇に手をかけ、無遠慮によじ登り始めた。後ろについてきたユングヴィが「こら!」と怒鳴ったが、ソウェイルは意に掛けず祭壇の上に立ち上がって剣に手を伸ばした。


 ソウェイルの手が、剣をつかんだ。

 そして振り向き、ラームテインの前に突き出した。


「呼んでる」


 蒼い瞳がラームテインを見つめる。


「神剣があんたを呼んでる」


 紫の神剣だ。

 長らく空位であった、参謀部隊の長、アルヤ王国の知と智の最高峰である紫将軍のための剣だ。

 その剣を、『蒼き太陽』が自分に、差し出している。


「早く抜いてやって。楽にしてやって」


 ソウェイルが「ずっと待ってた」と言う。


「紫が、十六年間待ってた、って。次のあるじとして、あんたを待ってた、って言ってる」


 そして、迷いなく呼んだ。


「ラームテイン」


 自らも名乗らなかった、フェイフューも呼ばなかった、自分の正式な名前を、ソウェイルは口にした。


「神剣が、ラームテインを、待ってる」


 神の御業みわざなのだ。

 逆らえない。


 震える手を伸ばした。

 紫の鞘をつかんだ。

 武芸の類には一切携わってこなかった。けれどラームテインにはどうしたらこの剣を抜けるのか見えた。


 剣を水平に掲げた。不思議と重くなかった。

 柄をつかんだ。水平に引いた。

 鞘から現れた刃が、日の光を弾いて紫色に輝いた。


 ――初めまして、僕のラームテイン。





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