第13話 臣従の誓い
「全部、全部、フェイフュー殿下の筋書きどおり」
ユングヴィが松明を握り締めて頷く。
「誰にも、それこそ白軍にもバレないように、ラームを拉致してくる。これは、十神剣では、私にしかできないこと。殿下は、それを、ご承知の上で、私にご相談くださったんだ」
そして、「ずるいよなあ」と、苦笑する。
「あのお方は誰に何をさせれば物事がうまく運ぶのか全部ご存知なんだ。私に何ができるのかも、私に何をどう言えば私を使えるのかも。策士ってやつだね、おとなしそうな顔してよくやるよ」
「フェイフュー殿下が? ご自身で?」
「そう。びっくりするでしょ、御年九つの王子様がさ。ユングヴィにしかお願いできないことなのでお願いしたいです、ってさ、本当にそれだけだったんだけど、ね。それだけで私が飛び上がるくらい喜ぶってことを見抜いていらっしゃったんだ」
自分が九歳の時はどんな子供だっただろうと考える。つくづく末恐ろしい王子だ。人の使い方というものを分かっている。
ラームテインは唇を引き結んだ。
フェイフューこそ統治者になるべきだ。
民のためを思い民の意思を動かし自ら思考し行動する、あの利発で聡明な王子こそ、自分たちの上に立つべき人格の持ち主に違いない。九歳にしてここまでやってのけるほどの才覚があるのだ、成人したあかつきには今のアルヤ国に漂う閉塞感を打破してくれるのではないか。
たった九歳の王子にそこまで期待するのは酷かもしれない。けれどもしフェイフューがその気になってくれるなら、今回の恩をいつか彼の政治のために働くことで返す日も来るだろう。
明るく無邪気な笑顔を思い出した。
あの笑顔こそまさしく太陽だ。
『蒼き太陽』が何だ。
アルヤ王国に必要な太陽はもはや神ではない、その力量をもってしてあまねくアルヤの民を照らす存在でなければならない。そうでなければサータム帝国には勝てないだろう。アルヤ王国が輝きを取り戻すためには、形式ばかりではない、もっと現実的に自分たちを導いてくれる確かな光が要るのだ。
「他に何か質問があれば遠慮なく言ってね。私に答えられる範囲のことだったら説明するよ」
「あ。ではその……、念のため、一つだけ確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「ユングヴィは、女性、です……よね?」
「あァ!? 私が男に見えるって!?」
「ごめんなさい何でもないです忘れてください」
あともう少しで我らが蒼宮殿だ。
それが――次に角を曲がった時だった。
突然、だった。
ラームテインは耳鳴りのようなものを感じた。
耳元で誰かに囁かれた気がした。
――おいで。
立ち止まったラームテインに気づいて、先を行っていたユングヴィが振り向く。
「ラーム?」
誰かが呼んでいる気がする。
――早くおいで。
耳を押さえる。けれどまだ何かが聞こえる。何が聞こえるのかは分からない。水の音でもユングヴィの声でもない、自分の頭の中に直接語りかけてくる何かが聞こえる。
――あともう少しだよ、僕のラームテイン。
「どうかした?」
頭を振る。辺りを見回す。
音が、止んだ。
「誰か……、誰か、います?」
後を引く頭痛に似た感覚に顔をしかめながらユングヴィに訊ねた。ユングヴィが松明で辺りを照らしつつ「誰も」と答えた。
「誰か近くにいたら私がすぐに分かると思うけど。隠れてる人間の気配って独特だからさ」
「隠れては……、いない、ようですが」
自分の存在を隠すつもりなどない。あの声は真正面から自分に呼び掛けている。
「誰かが、呼んでいる――ような、気が」
しかしラームテインがそうユングヴィに言う頃には聞こえていたはずの声が止んでいた。辺りからは水の流れる音しか聞こえない。
「あれ……? 何だったんだろう」
ユングヴィが「疲れてるのかな」と首を傾げた。
「そう……、かもしれません、なんだかちょっと頭がぼんやりして……」
「いろいろあったからしょうがないよ。蒼宮殿に行ったらちょっと休ませてもらおうね」
「はい……」
「それとも今少し休んでから行く?」
「あ、いえ、そこまででは」
「そっか。まあ、あともうちょっとだし、大丈夫――だといいな。でもあんまり無理はしないようにね、何かあったらすぐに言ってよ」
ユングヴィがふたたび歩き出した。ラームテインは今までと変わらずその後に続いた。
――あともう少しで会える。
蒼宮殿には無数の小川が流れている。
いくらエスファーナの郊外には川が流れているとは言え、アルヤ国は基本的に乾燥した高原であり、生活用水は地下水に頼っている。
そんな中、蒼宮殿に流れる水は全部かけ流しらしい。
宮殿の贅を凝らしたつくりに、ラームテインは感嘆の息を漏らした。
宮殿の中央、すべての小川の源である巨大な人工の池の中に、天まで噴き上がるかのような大きさの噴水が九つ設置されている。そして、その中央の噴水の傍で二人の子供が水遊びをしている。
「フェイフュー殿下!」
ユングヴィが大声で呼んだ。
噴水で遊んでいた子供たちが動きを止めた。
ややして、片方が水
ラームテインは目を細めた。
太陽の下で黄金に輝く髪、意志の強そうな蒼い瞳、これから甘く成長していくであろう整った鼻や口元も、何もかもが最後に別れた時のままだ。
「ラーム!」
フェイフューが手を伸ばした。
しかしなぜか次の時すぐさま自ら手を引っ込めた。
「すみません、水遊びをしていたので、ぬれていました」
構わなかった。
こちらから両腕を伸ばした。
フェイフューのまだ小さく華奢な手を両手で握り締めた。
そしてその場にひざまずいた。
「お久しゅうございます、殿下」
「お久しぶりです、ラーム」
子供らしく弾む声が愛しい。
「ぶじで何よりです」
フェイフューの手が動いた。ラームテインの手を強く握り返してきた。
「はい、それもこれもすべて殿下のおかげにございます」
言いながら顔を上げた。フェイフューと目が合った。フェイフューは満面の笑みを浮かべていた。
「ユングヴィ将軍からお聞きしました、殿下が僕のために策を練ってくださったと」
「サクというほどのものではありません! ぼくには何の力もないので、ラームを直接助けることができなかったのです。でも、どうしても、帝国に行ってほしくなかったから、何としてでも止めないと、と思って。どうやったらこっそり助けられるか、いっしょうけんめい考えました」
フェイフューの微笑みは力強い。
「ラームほど優秀な方を失うのはアルヤ民族にとって大きなソンシツです。ラームがいてくださればアルヤ民族の未来が明るいです」
熱いものが込み上げてくる。唇を引き結び奥歯を噛み締めて堪える。
この王子のために身命を捧げようと心に誓った。この王子こそが自分の唯一の主君であり、自分はこの王子に仕えるためここまでやってきたのだ。
この恩義に報いるため自分はアルヤ国に残った。この先もこの王子がある限り自分はこの国のために身を砕くことになるだろう。この先表向きは誰の下に行かされることになろうとも、自分の心は死ぬまでこの王子の臣下だ。
「これからもたくさんお話をしてくれませんか?」
「殿下……、」
「もうはなさないです。ラームのご自分をたのむ心に反しない限りラームにはぼくのそばにいてもらいます。これは、いやと言ってもだめですよ」
「承知致しました。このラーム、この身のすべてを殿下の御為に捧げましょう」
もう片方の手も伸びてくる。ラームテインの手を上から包み込む。
「うれしいです!」
すべての手が固く結ばれる。
触れ合えた。
これでもう離れられない。
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