第12話 謎の戦乙女で神秘の女忍者?

 自分の身の上に何が起こったのか分からない。

 呆然と立ちすくんだままのラームテインを放置した状態で、彼女――ユングヴィは粛々と作業を開始した。

 壁に設置されていた松明を手に取る。もう片方の手を帯にくくりつけた小袋に突っ込む。小袋の中から火打石が出てくる。

「持ってて」

 ラームテインにむりやり松明を持たせて、火打石同士を打ち付け合う。火花が散る。

 松明に火がついた。辺りが一気に明るくなった。

 汚れた縄が一本、空から垂れているのに気づいた。

 ユングヴィが縄を引っ張った。頭上で大きな重いものの引きずられる音がした。

 顔を上げる。

 地上に通ずる穴が少しずつ閉まっていく。どうやら縄はあのふたに結びつけられているらしい。ややして空からの光が完全に消えて手元の松明だけが頼りになった。

 ユングヴィは手に持っていたターバンを自分の頭に巻き付け直した。今度は緩く、かつ顔が出るように巻いた。揺らぐ松明の火の中、ターバンからはみ出したユングヴィの赤く短い髪の毛先が輝いた。

 最後、背に負っていた棒状のものを取り外し、体の前に持ってきて、布を外した。

 赤いつか、赤い鞘、その鞘に描かれた蒼い太陽と金箔の日輪――赤い神剣――赤将軍の証だ。

 神剣に布を巻き直す。これもターバン同様柄や鞘の一部を出して巻く。神剣がまるでおんぶ紐に抱かれた赤子のような恰好になる。神剣だと分かる状態で背中に負い直す。

 本物だ。本物の、伝説の軍神の一人、王の手足として都の裏側を闊歩する闇の部隊赤軍の長、赤将軍ユングヴィなのだ。

「これでよし」

 「ありがとー!」と微笑み、松明に手を伸ばした。

「じゃ、行こうか」

 松明を手渡しつつ、ラームテインは勇気を出して「お待ちください」と言った。

「ユングヴィ将軍、でいらっしゃいますか?」

 ユングヴィが「あっはい」と間の抜けた声で答える。

「私が赤将軍ユングヴィですけど」

 本物の、軍神だ。

「けど、そんな、かしまらなくてもいいよ。私、そんな、偉いもんじゃないし。蒼宮殿の地下とかエスファーナの裏路地とかをうろうろしてるだけのどこにでもいるおねーさんだから」

 お姉さんなのか。

 さすがのラームテインにも言えない。

 赤将軍ユングヴィと言えば、謎に包まれた戦乙女で、エスファーナの闇夜を暗躍する神秘の女忍者で、何にでも化けられる美女、という噂がまことしやかに流れていた。

 身長はラームテインよりずっと高く、短い赤毛は傷んでいて、女性だと言われれば女性に見えるような、男性と言われれば男性に見えてしまうような、中性的な顔立ちをしている。

 ラームテインは考えなかったことにした。

「気軽にユングヴィって呼びなよ。私もラームって呼ばせてもらうね」

 「歩きながらお喋りしようか」――そう言ってユングヴィが歩き出した。

 ユングヴィの進行方向を松明が照らし出す。

 そこは地下水路カナートに通じる地下道だった。

 入るのは初めてだったが、知識としては知っている。

 エスファーナは周囲を乾燥した砂漠に囲まれており、生活用水のほとんどを地中深くから汲み上げた地下水でまかなっている。その汲み上げられた地下水を各町に行き渡らせるため掘られたのが、この、地下を蜘蛛の巣状に張り巡らされている地下水路カナートだ。

 自分たちが今いるところは通路として使われているらしく水はない。だが漂う空気は湿っていて、遠くからは水の流れる音が聞こえる。

「何ヵ所か蒼宮殿につながってるトコがあるんだ。案内するよ」

 ユングヴィが「おいでおいで」と言いながら前へ進む。ラームテインはおそるおそる後を追い掛けた。

「将軍は――」

「ユングヴィでいいってば」

「ユングヴィは、地下にお詳しいんですか?」

「うん。私、バカだけど、将軍で一番エスファーナに詳しいと思う。地下でも地上でも何かあったらどこへだって向かうよ」

 松明に照らされる笑顔は人懐こそうだ。

「だから、フェイフュー殿下は私にご依頼くださったんだ」

 言われてから思い出した。ユングヴィは自分をフェイフューの依頼で迎えに来たと言っていた。

「そうだ、フェイフュー殿下のご下命だったんですか? フェイフュー殿下が僕を?」

「そう。ラームを蒼宮殿に連れてくるように、って」

 やがて突き当たりに至った。道理で水の音が大きくなったと思ったら、目の前に川が現れた。

 ユングヴィは通路を左に曲がった。ラームテインには東西南北の見当もつかなくなったが、ユングヴィの足取りには迷いがない。

「殿下、何が何でもラームがサータムに売られるのを阻止したいって、どうしたらいいのかずっと考えていらっしゃったらしい」

 足元からは湿った地面を踏む音がする。けれど足を取られるほどでもない。水の流れはさほど激しくもない。いずれも会話の妨げにはならない。

「でも、いくら王子様でも表立ってラーム一人のために動いたら国が乱れるから、って。何とかこっそり手を回したいっておっしゃって、私にご相談くださったんだよ」

「ですが、ユングヴィも将軍ではありませんか。我々一般民衆にとっては、あなたがたは軍神です。このアルヤにおいては公権力に当たりませんか?」

「って思うでしょ? そこが赤軍の強みなんだよ」

 「私が名乗るまでにどこかで私が赤将軍ユングヴィだって気づいた?」と問われた。首を横に振った。ユングヴィが「でっしょー?」と声を跳ね上げた。

「街中で裏工作をするのがお仕事だからさ、赤軍兵士は赤軍兵士だと名乗らないんだ。私たちは私たちが軍人だってこともバレちゃいけない。だから、大抵の兵士はふだんから一般人に紛れてて、三人に一人くらいは盗賊や乞食のふりをしてるよ。もちろん私も」

 世間一般に流布する赤将軍ユングヴィと実際の彼女がかけ離れている理由を考える。もしかして、わざと世間に現実と乖離した赤将軍ユングヴィ像を与えているのだろうか。市民に本物のユングヴィがすぐ傍にいることを悟られないように工作した結果なのか。

 「ラームがデヘカーン家の子だってことを突き止めたのはベルカナだけどね」と、前置きしてから説明する。

「赤軍の何人かに協力してもらってデヘカーン家を張った。今日サータム人たちが近づいたっていう情報をつかんでからは私が自分で。ただうまく逃げられる地点に来るまで黙ってつけてたから、その間怖い思いをさせてたらごめん」

「そう言えば、あのサータム人商人の顔を知っている、と……」

「あれは適当。人間の想像力ってすごいよね、ああいう風にテメーで考えろって言うと心当たりのある奴はだいたいああやって挙動不審になるんだよ。あのひと、私のことどこの人間だと思ったんだろうね?」

 ユングヴィは笑いながら「ぜひとも逃げ帰って怪しい奴に獲物を横取りされたって騒いでほしいね!」と手を振った。

「悪い奴らに転売されたラームがサータムのウマル総督へ献上される。総督はラームがもともとはどこから売られてきたのか知らない、盗賊からの保護という名目で賄賂のラームを受け取るだけ」

 ラームテインは目を丸くした。

「僕はこれからウマル総督の下へ行くことになるんですか?」

「形の上ではね。でも、蒼宮殿に駆け込めればこっちのもんだよ、蒼宮殿に住み込みなら四六時中フェイフュー殿下や私たちと一緒になるんだからさ。少なくともウマル総督がエスファーナにいる限り帝国に行くことはないしね」

 初めて、肩から力を抜いた。

「ラームは悪い奴にさらわれてウマル総督のところに送り込まれることになった。ウマル総督もラームもどこのどいつの仕業かは知らない。――っていうのを、徹底してくれる?」

「もちろんです……!」

 これでサータム帝国に奴隷として売られる心配はなくなった。

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