第11話 路地裏の英雄《ヒーロー》

 腕をつかまれた。

 衝撃で体が前に傾く。刃先に喉が触れかける。血の気が引く。

 ほんの少しでも動いたら切れる。

 動けない。

 護衛の男たちがサータム語で叫んだ。商人が「貴様何者だ!?」とアルヤ語で言い直した。

 ラームテインに刃物を突きつけている人物は何も答えなかった。

 背後のことなのでラームテインには相手が自分より大きいのか小さいのかすら分からない。分かるのはただ強い力で後ろに引かれていることだけだ。

 引きずられるまま一歩二歩と下がる。

 さらに狭い小路こみちへ引きずり込まれた。

 護衛の者たちが追い掛けてくる。

 不意に小路の奥へと突き飛ばされた。背中が壁にぶつかった。

 痛みをこらえながら壁を見た。

 袋小路だ。行き止まりだ。どこへも行けない。

 正面を見ると先ほど自分へ刃物を突きつけてきた人物が立っていた。

 ラームテインより頭半分ほど大きいが、成人男性としては中肉中背といったところだろうか、体躯に特徴はなかった。服装もよくあるアルヤの赤い胴着ベストに白茶けた筒袴だ。ただし、頭部に巻いたターバンで顔を隠していて、背には大きな棒状の何かを背負っている。

 護衛の一人目が短剣ジャンビーヤを抜いて跳びかかってきた。その人が上体を屈めみぞおちに肩をぶつけると一人目が後ろの二人目にぶつかって倒れた。

 二人目が一人目を踏み越えて迫ってくる。その人が二人目の短剣ジャンビーヤを持つ手首を握り締めて引く。その引く力に逆らえず二人目は体を引きずられて一人目を勢いよく踏みつけてしまった。一人目が意識を失った。

 引いた二人目の腹にその人が拳を叩き込んだ。その際もう片方の手は二人目の手をけして離さなかった。自然腹に拳がめり込んでいった。

 投げ捨てるように後ろの壁へと叩きつけた。

 二人目は結局ラームテインのすぐ傍で昏倒した。ラームテインは思わず小さな悲鳴を上げてしまった。

 その人が地面に転がっていた一人目の手首を踏むと、一人目の手に握られていた短剣ジャンビーヤが跳ね上がった。

 爪先で器用に短剣ジャンビーヤを宙へ放り投げる。空中でをつかむ。

 手に入れた短剣ジャンビーヤを目の前にいた三人目に向かって放り投げた。

 三人目が向かって左に避けた。

 そこを、左足の蹴りで迎えた。

 三人目の体が向かって右の壁に勢いよく叩きつけられた。

 最後にとどめと言わんばかりに三人目の脇腹に肘を叩き込んだ。

 四人目の肩にはすでに先ほど投げた短剣ジャンビーヤが突き刺さっていた。

 その人は、三人目の腕を手すり代わりにつかんだ状態で両足を揃えて跳ね上がると、四人目の肩に突き刺さっている短剣ジャンビーヤを踏みつけるようにして蹴った。見ているだけでも激痛が走ったのが伝わってきた。

 絶叫して倒れたところを、背中側からつかみかかる。腕で首を締め上げる。

 四人目も泡を噴いて白目を剥き、沈黙した。

 サータム商人はひとを呼ぼうとしたのか外の通りに向かって走り出していた。それをその人は後ろからつかんだ。勢いよく引くとそのまま地面に転がった。

 サータム商人が短剣ジャンビーヤを抜こうとしたがそうはさせない。背に負っていた太い棒のようなもので短剣ジャンビーヤを叩き落とす。サータム商人が打たれた手を押さえ地面にうずくまった。

 速かった。すべてが一瞬のことだった。

 サータム商人の手を踏みつけつつ、謎の人物が言った。

「諦めな。どうせ大きな声では言えない荷物なんだろ。大人しくよこしな」

 ターバン越しでも何と言ったかは聞き取れた。声はさほど低くなかった。体躯といい声といい、実はまだ少年なのかもしれない。

「貴様、どこの手のものだ。私の商品に手を出してタダで済むと思っているのか」

 謎の人物がサータム商人の顎を下から蹴り上げた。大きな硬い音がした。サータム商人が唸るような声を上げた。次の時顔を見せたサータム商人の口からは赤い泡が噴いていた。

「こちらはあんたを知ってるけど? 宴の席ではあれほどお頭にごまをすっていたあんたがよくも偉そうに」

 それまでの暴行にはひるまなかったサータム商人だったが、それを聞いた途端目が泳いだ。

 その隙を、狙ったらしかった。

「行くよ」

 その人はまっすぐ背後の壁の方へ向かった。

 そちらは行き止まりだ。

 そう思ったが、

「よっと」

 次の時には、転がっていた護衛の男の体を踏み台にしてその人が跳び上がっていた。

 指先が壁の上に届いた。つかんだ。

 直後もう一度壁を蹴って弾みをつけた。

 壁の上に立った。

 そうして、ラームテインに向かってその手を伸ばした。

「来なさい!」

 どうしよう。

 振り向いた。サータム商人も「だめだ! こちらに来い!」と怒鳴りながら手を伸ばしてきていた。

 頭上から声を投げかけられる。

「帝国に行くかエスファーナに残るか今すぐ決めなさい!」

 ラームテインは決心した。

 どこに行かされることになろうともきっと帝国よりはいいはずだ。サータム人の下で飼い殺されるくらいなら死んだ方がいい。

 壁の上の人物へ手を伸ばした。

 手をつかんだ。

 肌の荒い、骨張った、しかし温かい手だった。どこか頼もしく感じられた。

 強い力で上に引かれた。ラームテインも護衛の男の体を踏みつけて体を上に持ち上げた。

「こっち」

 壁の上で待っていたその人が、それこそ猫のような身のこなしで、壁の向こうへ降り立った。

 悩んでいる暇はなかった。ラームテインは高さに目がくらみつつも従うことにした。

 意を決し目を閉じて踏み出した。体が宙に浮く感覚の気持ち悪さに気を失いかけた。

 一応何とか着地した。足の裏が痛い。

 ラームテインを見ることなく、その人は地面にしゃがみ込んでいた。何かと思えば地面に丸いふたがついていた。その人がそのふたを持ち上げると、人間が二、三人はくぐれそうなほどの大きな穴が出てきた。

「こっちだよ。おいで」

 また、ためらうことなく飛び降りていった。

 覗き込むと、穴の中でその人が両腕を広げて待っている。

「飛び込むんですか」

 思わず訊ねてしまったラームテインに「ははは」と明るく笑いかける。

「受け止めてあげるよー!」

 想像だにしなかった陽気な返答に困惑する。

 後ろの壁を振り向いた。いつあのサータム商人と護衛たちが意識を取り戻して追い掛けてくるか分からないのだ。早く逃げなければならない。

 身を躍らせた。

 わずかな間のことだったが、永遠にも感じられた。

 それでも、柔らかな胸の上に自分の胸が到着すると――と思ってから、初めて違和感に気づいた。

 両手で力強く脇を支えられながら、こどものように地面へ向かって下ろされる。ゆっくりと両足が地面に辿り着く。

 今、胸が、柔らかかった。

「はい、もうだいじょうぶ。この先は迷路だからね、万が一ついてこられてもすぐにまけるから心配しないで」

 言いながら、その人は自分の顔に巻いていたターバンをほどいた。

 出てきたのは、淡白な顔立ちの、短い赤毛に黒い瞳の爽やかな青年だった。

 青年とは、何だ。

「びっくりしたよね? 何の説明もできなくてごめんね、急いでたからね。でも安心して、私は味方だからね」

 その人は――彼女は、人懐こそうな笑顔で微笑んだ。

「申し遅れました。初めまして、私はユングヴィです! フェイフュー殿下のご依頼で迎えに来ました」

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