第12話 属国になるということ

 ナーヒドとテイムルが苦虫を潰したような顔で正面を向いた。ベルカナも二人の前からナーヒドとテイムルの間へ移動した。

 ユングヴィは頭の中身がぐわんぐわんと揺れるのを感じながらナーヒドとベルカナの間に入った。


 控え室の緞帳が持ち上がった。

 サータム人の兵士たちが儀式用の槍を恭しく掲げて出てきた。


 兵士たちに守られ、砂漠に住まい駱駝らくだを駆る遊牧サータム人の民族衣装を着た――眩しいほど白い貫頭衣カンドゥーラを纏い、同じく白いクーフィーヤと呼ばれる頭巾をかぶった、浅黒い肌の男が現れた。

 口ひげと顎ひげは短く整えられている。年の頃はすでに中年のはずだが、太く濃い眉の下で輝く瞳ははつらつとして見える。

 この男こそ、サータム帝国アルヤ属州総督ウマルだ。


「控えよ!」

「頭が高い!」


 兵士たちが叫ぶ。軍楽隊の音がひと際高まる。


 テイムルが膝をついたのを皮切りに、ナーヒドとベルカナも膝を折った。ユングヴィもまた目線はまっすぐ前にやったまま三人に続いて身を屈めた。


「ウマル総督のおなり!」


 ユングヴィの緊張も高まる。自然とウマルの武装に目が行く。腰にサータム人男性特有の短剣ジャンビーヤを差しているだけの文官だが、鍛えているのかその体躯は筋骨隆々として見えた。


 一堂を見渡したのち、ウマルが片手を挙げて微笑んだ。


 次の時だ。

 緞帳の向こう側から、小さな影が出てきた。

 ウマルと揃いの白い貫頭衣カンドゥーラを着た子供だった。


 ユングヴィは自分の目を疑った。


 その蒼い瞳の色は、間違えようもない、アルヤ民族の太陽の子供のものだ。

 フェイフューが、遊牧サータム人の民族衣装を着せられている。


「殿下」


 隣でナーヒドが立ち上がろうとした。神剣を抜こうとしたのか、かすかに金属の音もした。テイムルの「だめだナーヒド」と制する声が聞こえてこなかったらナーヒドはウマルに斬りかかっていたかもしれない。


 テイムルはなぜナーヒドを止めたのだろうとユングヴィは思った。斬って捨てればいいのにと、ユングヴィは思ったのだ。


 アルヤ王国の王子がサータム人の民族衣装を着せられている。

 アルヤ王国の王子が、サータム人のものになったということだ。


「うーむ、可愛いね」


 ウマルがフェイフューに手を伸ばす。フェイフューが立ち止まる。先日会った時は素直そうな子だと思ったが、今は顔中で不快感を表現しながら首を横に振っている。きっと自分が何をさせられているのか分かっているに違いない。賢い子だ。


 ウマルはあえて一歩下がった。嫌がるフェイフューを強引に抱き寄せ、自分の前を歩かせた。

 そして、頭を撫でた。


「なかなか様になっている。君たちもそう思わないかい?」


 手が震える。

 これ以上の侮辱はない。


 ウマルが本来太陽の座るべき玉座に腰を下ろした。左手ではフェイフューの腰を抱えている。フェイフューが座ることはない。ウマルの傍らに立たされたままだ。


 ウマルが右手を挙げると、軍楽隊の音が止まった。


「今日は素晴らしい日だ」


 ウマルの朗らかな声が響いた。


「我らがサータム帝国の皇帝陛下がアルヤ王をお認めになる。アルヤ王国の再興をサータム帝国皇帝がお約束なさるのだ。これでアルヤとサータムの絆もよりいっそう固くなるだろう。神は偉大なりアッラーフ・アクバル


 吐き気がした。


 三年目にしてやっと自分たちが今置かれている立場を理解した。

 自分たちは歯向かえない。集合することすら許されない。王をいただくことも――太陽にひざまずくことも――主を選ぶことも、自分たちには許されていない。

 ユングヴィはたった今ようやく思い知った。

 暴力を受けることでもない。略奪を受けることでもない。

 こういう侮辱を受け入れなければならないことこそが、属国になるということだ。


「いやあ、良い日だ。実に良い日だね」


 ウマルの機嫌のよさそうな声を聞くたびにはらわたが煮え繰り返る。


 アルヤ人の要人たちがざわめき出した。

 サータム帝国から来た総督と兵士たちは壇の上にいる。アルヤ人の要人たちはみんな壇の下にいる。

 ここはサータム領アルヤ属州であって自分の生まれ育ったアルヤ王国ではない。


「終わったな」


 誰かがそう囁いた。その声からは諦めが感じられた。


 ウマルがフェイフューの背を撫でた。フェイフューが肩を縮め込ませた。


「どうしてそこまでがっかりしているのかね」


 大ぶりの宝石がはめ込まれた指輪の数々を見せびらかしつつ目を細める。


「アルヤ国はサータム帝国の傘下に入ったのだ。これから先はどの国がアルヤ国に攻め入っても帝国は全力でアルヤ国を守るだろう。アルヤ民族のこの小さな王子様も我々サータム人が全力で守ってさしあげる。これで安心だね、何もかもが安心だね。我々のものになった以上は、アルヤ民族は未来永劫安泰なのだ」


 この国はサータムのものなどではない。

 アルヤ国は自分たちの太陽のものだ。

 アルヤ国は自分たちの太陽の――『蒼き太陽』のものだ。


「フェイフュー殿下……っ」

「なに、心配ないさ」


 歯軋りをしたナーヒドへとウマルが手を振る。


「さすがの君たちも――将軍になってまだ三年目の若者二人と女性二人では、不安ではないかい? 何もかも私に委ねるといい」


 もう無理だ。我慢できない。

 こんな国のために――サータム人のアルヤ国のためになど戦えない。


 ユングヴィは立ち上がった。


 どよめく人々を掻き分けた。アルヤ人かサータム人かにかかわりなく目の前にいた人を軒並み押し退け突き飛ばした。人間だけでなく衝立など行く手を阻むものすべてを視界から薙ぎ倒した。

 テイムルの「ユングヴィ」と怒鳴る声も耳に届いたが無視した。

 一刻も早くこの場を脱出したい。


 ユングヴィは後悔した。


 なぜもっとよく考えなかったのだろう。

 テイムルやナーヒドやベルカナは分かっていたのだろうか。サヴァシュや東西南北の将軍たちは分かっていたのだろうか。


 敗北するということは、戦う理由を奪われるということだ。

 十四で神剣を抜いてからこちら五年間ずっとアルヤ王国の将軍として生きてきたユングヴィの生き方が否定されたのだ。


 王を失っただけではない。将軍たちを失っただけではない。

 ユングヴィの意思や希望もまた失われつつある。

 アルヤ王国が失われる、ということは、そういうことだったのだ。


 出入り口を守っていた白軍隊士たちが手を伸ばしてきた。ユングヴィは難なくかわして滑るように大講堂を出た。


 回廊の柱の間を抜け、庭の芝生を蹴り、芝生を潤すために設けられた溝の流れも飛び越えて走った。

 軍の施設を横目に蒼宮殿の敷地を突っ切った。


 このままサータム人たちの好きにさせてはいけない。

 生きる理由を失うのは自分だけではない。アルヤ人全体が王を戴く自由を認められなくなる。

 アルヤ国のみんながサータム人たちの指示どおりに生きる未来が待っている。


 サータム帝国の操り人形としてのアルヤ人――それは奴隷とどう違うのだろうか。


 ユングヴィは今までずっと奴隷とは暴力を受けて生きる存在なのだと思っていた。

 本当は違うのだ。きつい労働をさせられることだけではない、鞭で打たれることだけではない、もっと分かりにくくてややこしくてつらい状況がある。

 今の自分たちはきっと奴隷と一緒だ。


 だが、アルヤ王国が希望を取り戻す方法がないわけではない。

 自分にできることがたった一つだけある。

 人間は希望さえ失わなければ強くいられる。




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