第11話 根性だけじゃどうにもならない
そして、その日がやってきた。
蒼宮殿の大講堂を、人が埋め尽くしている。床に敷かれた国内最大のアルヤ絨毯が見えなくなるほどの大人数だ。いずれも大貴族の当主たちや王のかつての重臣たち、アルヤ軍の幹部たちである。思い思いに帽子をかぶったりターバンを巻いたりしている頭を、透かし彫りの窓から斜めに差し入る光が照らしている。
広間の中央、そこだけ避けるように空けられた隙間の真ん中で、ナーヒドとテイムルが向かい合っている。
「読むよ。一通目」
白将軍の正装――白地に金糸で太陽の紋章を刺繍した外套をまとい、白銀の神剣と短剣を腰に
「『遅刻します。どう考えても間に合わないです。言い訳はしません。本気でごめんなさい。いつか絶対挽回するので堪忍してください』。東から」
蒼将軍の正装――蒼い生地に金糸で太陽の紋章を刺繍した外套をまとい、太陽の色の神剣と短剣を腰に
「どうせ酒を飲んでだらだらしていたのだろう。一度制裁を加えてやらねばならんな」
「気持ちは分かるけどこれ以上将軍が減ったら困るのでやり過ぎないようにしてね。二通目」
テイムルが二通目を読み上げた。
「『将軍が風邪をひきました。熱が高いので途中の宿場町でしばらく休憩します』。南の副長から」
ナーヒドのこめかみに青筋が浮いた。
「体調管理くらいできんのか」
「南はまだ子供だから仕方がない。三通目」
テイムルが三通目を読み上げた。
「『北方の部族が騒がしいので様子を見てきます。終わり次第すぐに向かうので間に合うと思います』。北から」
「間に合っていないな」
「間に合っていないね」
頭にかぶっていた蒼い帽子を絨毯に叩きつけ、自らの黒髪を掻きむしった。
「まあ、落ち着いて」
「だいたい地方四部隊は将軍も四人いるのに来た手紙が三通とは――」
人々を掻き分けるようにして白軍の隊服を着た少年が二人のすぐ傍に出てくる。テイムルが「どうした?」と優しく声を掛ける。少年が文を差し出す。
「将軍宛に急ぎの文です」
ナーヒドと顔を見合わせてから受け取る。少年に「ありがとう、下がっていいよ」と告げつつ文を開く。少年が人々の間に戻っていく。
「四通目来ました。『あと二日でエスファーナに辿り着くわけがないでしょうがクソ野郎ども』。西から」
「あの小僧今度という今度こそ――」
「西の言うとおりよ」
ベルカナが声を上げた。機嫌の悪いナーヒドとテイムルの間に入りたくなくてずっと二の足を踏んでいたユングヴィの後ろから、だ。
二人の視線がこちらに向いた。
ユングヴィは喉を詰まらせた。ナーヒドとテイムルの表情は険しい。矛先が自分に向いたらどうしよう――そんな心配も束の間ベルカナが前に歩み出る。
「どういうことだベルカナ」
今日の彼女はマグナエから筒袴まで黒一色、口元を隠す襟巻だけが薄紅色という地味な装束をまとっている。普段とは打って変わって肌の露出はほぼない。腰には珍しく薄紅色の神剣が携えられている。
「それがウマルの狙いかもよ」
彼女は穏やかな声で「少しは考えなさい」と二人をたしなめた。
「フェイフュー殿下に王位継承を認められてから今日の公式発表まで一週間しかなかったじゃない。一週間って、一番近い北がぎりぎりになるような距離よ。東西が期日までに辿り着けると思う?」
三人のやり取りを無視して、ユングヴィは自分の服装を見下ろした。
ユングヴィだけは普段どおりの服装をしていた。赤軍に制服がないためだ。
市街地での潜伏を主な活動内容とする赤軍には、目をつけられそうな統一された衣装はない。
脚絆に革の
赤軍だけは、どうしても、格好がつかない。
その職務上仕方のないことだ。分かっているからこそナーヒドもテイムルも指摘しないのだろう。だが、整然と並ぶ白軍隊士たちや蒼い徽章を身につけた蒼軍幹部たち、ベルカナに付き従う桜乙女たちの揃いのマグナエを見ていると、ユングヴィは劣等感を抱いてしまうのだ。
自分が赤将軍になった以上は、自分の部隊である赤軍を何とかしたい。けれどユングヴィには赤軍の荒くれどもをまとめることができない。赤軍隊士は今この場に誰ひとりとしていなかった。
「あたし、東は本気で焦ってこっちに向かってるトコだと思うし、南は無理に馬を飛ばして途中で力尽きたんじゃないかと思うし、西は本当に一昨日報せを受けて泣く泣く諦めてるんだと思うわ。でも間に合わない」
ナーヒドとテイムルが目を丸くした。
「まさか北も帝国が足止め工作を――」
「ありえるわね」
一度深呼吸をしてから、おそるおそる三人に近づいた。そんなユングヴィに対しては三人とも何も言わなかった。
「帝国側からしたら、あたしたちが揃わないことに意味があるんでしょう」
テイムルが口元を押さえる。ナーヒドが拳を握り締める。
ベルカナに耳打ちする形で話し掛けた。
「えーっと、どういうこと? 私たちが揃わないこと?」
襟巻を緩めて、ベルカナが唇を歪めながら答えた。
「あたしたち、実態はともかくとして、一応、軍神様ということになっているじゃない。十神剣、っていう立派な肩書きがあるじゃない。太陽と民をつなぐ、仲立ちをする、っていう、御大層な務めが」
「うん、それが?」
「太陽を守護しているはずの軍神たちが、次の太陽が昇るというその日に半分もいない、って。民はいったいどう思うと思う? まったく足並みが揃わない軍神たちに対して――あたしたちは東西南北がどんな連中か知ってるからこんな風に怒るだけで済むけど――将軍になる前のことを思い出してごらんなさい」
さすがのユングヴィも眉をひそめた。
「太陽のこと、大事じゃないのかな、って、思うかな。あんまり頼りにならないな、とか」
「そういうことよ」
ユングヴィは背筋を冷たいものが駆け上がるのを感じた。
太陽が頭上高く輝いているからこそのアルヤ王国だ。太陽がないだけでこの三年間サータム帝国に誰も抗わなかったくらいなのだ。その太陽を太陽の眷族である十神剣が蔑ろにするなどあってはならないことだった。
しかも、形の上だけとはいえ、十神剣はアルヤ王国の武力をも示している。その十神剣が背けば、アルヤ王国軍は息を吹き返さない。太陽は武力を取り戻すことができない。
このままでは太陽が昇れない。アルヤ王国はよみがえらない。
ベルカナが苦笑した。
「迂闊だったわ。さすがに地理は根性だけじゃどうにもならないわよ」
ナーヒドが奥歯を噛み締めている。
「どうしてこうなることを考えずに一週間後で了承しちゃったのかしら、あたしがもう少し早く気づいてたらあんたたちどうにかしてくれた?」
テイムルが「ごめん」とこぼした。
「せっかくの次の太陽が台無しになりそうね」
始まった。
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