第9話 エスファーナの狭い裏路地で 1

 エスファーナの古い街並みは土地勘のない者に迷路と呼ばれる。


 遷都後――時のアルヤ王がエスファーナをアルヤ王国の首都と定めた直後に都市計画に則って造られた通りは将棋盤のように直線的だ。

 対して、遷都前――まだ小さな町であった頃からある通りは複雑に入り組んでいる。五差路や袋小路も多い。


 表はあんなに賑やかな中央市場も、小路こみちに入ると静かになり、さらにもう一本裏に入れば、そこはもう別世界となる。


 老人たちが地べたに将棋盤を置いて駒を並べていく。土壁から土壁へと猫が横切る。昼食が終わった午後の静寂なひと時、どこからともなく井戸端会議に興じる女たちの笑い声が響いた。


 こんな通りをそらで歩けるのはユングヴィとベルカナくらいらしい。いつかテイムルがそんなことを言っていた。貴族の大邸宅が建ち並ぶ新市街で生まれ育ったテイムルからすればここは異世界に違いない。

 将軍になる前からこの辺りをさまよっていたユングヴィからすれば、エスファーナの治安もあずかる白軍の長としてしっかりしろ、と言いたいところではあったが、同じ街だとは思えないのも本当だ。共通点は住民たちがこの都を心から愛していることだけだ。


 袋小路の奥、突き当たりの手前辺りに、その店はあった。大きく口を開けた住宅の前にござを敷いただけの簡単な喫茶店だ。

 ござの上、申し訳程度に敷かれた座布団代わりの布を下に敷いて、ベルカナが座っている。

 頭には薄紅色のマグナエをつけているが、巻くというよりは引っ掛けるように頭へのせているだけで、緩く渦巻く長い髪は外に晒されていた。臍を出した悩ましい衣装の上に透ける更紗の上着を羽織っている。ともすれば商売女に見られ白軍に取り締まられそうなものだが、ベルカナ自身はまったく気にしていない。


「ベルカナー!」


 近寄りながら手を振ると、水煙草シーシャをふかしていたベルカナが顔を上げ、「さすがね」と微笑んだ。


「会議には遅れてもお茶会には遅れないユングヴィ」

「そのネタまだ引っ張る?」


 ベルカナの前に腰を下ろした。


 ベルカナが「男たちはまいた?」と訊ねてきたので、片目を閉じて「ばっちり」と答えた。


「今日はありがとー! ベルカナおいしいお店いっぱい知ってるから嬉しい! こんな穴場そうそうないよね」


 ひげを生やした初老の男が無言で刺繍の施された布を持ってくる。この店の主だろうか、愛想はまったくない。

 布を受け取って尻の下に敷いてから、「お茶と焼き菓子の盛り合わせ」と頼んだ。ベルカナも「あたしもお茶のおかわり」と注文する。男は軽く頭を下げてから店の奥に戻った。


「で、今日はどうしたの?」


 ベルカナは「どうもしないけど」と答えた。


「これからフェイフュー殿下の件でちょっとばたばたしそうでしょ。テイムルやナーヒドがかりかりし出す前にひと息入れたかったの」

「確かに」


 落ち着かないのはテイムルやナーヒドだけではない。自分もだ。まだソウェイルをどうすべきか悩んでいる。

 だからこそ今日はベルカナの突然の誘いを受けた。宮殿の外に出て誰かソウェイル以外の人間と話をして気分転換したかったのだ。


「そうでなくとも。あんたは放っといたら赤軍赤軍赤軍になっちゃって、十神剣には構ってくれないじゃない。あたしとは定期的に女子会しましょ」


 ベルカナもユングヴィ自身も女子という雰囲気ではない。だがベルカナを前にして口にできるほどの度胸はないのでこらえる。


「私とベルカナがこうして二人きりで遊んでたらベルカナに男ができたって噂になったりしてね。私、顔は一般人にはあんまり知られてないみたいだからさ」

「それこそ相手はユングヴィだと言えば済む話よ」


 ベルカナが「赤い剣を背負った赤毛のコなんて国内のどこを探してもユングヴィしかいないもの」と目を細める。ユングヴィは自分の赤い頭を掻き、それはそれで自分も意識してマグナエをつけた方がいいかもしれない、と思った。赤軍の性質上面が割れてしまうのもいいことではない。

 ちまたは女将軍という甘い言葉が見せる幻のせいでユングヴィを相当美化しているらしい。ユングヴィは時々それに助けられていると思わなくもない。都の闇で戦う赤軍は噂以上にも噂未満にもなってはいけないのだ。


「あたしより、ユングヴィの方はどうなの? あたし以外に逢い引きする相手はいないの」


 ユングヴィは「いるわけないでしょ」と即答した。ベルカナが「あらそう?」と唇を尖らせた。


「誰か紹介してよ。ベルカナ様ご推薦の男ならハズレなさそう」


 そんなユングヴィの上っ面だけの言葉に、「嬉しいこと言ってくれるじゃない」と返す。


「でもダメね、大事な十神剣の妹を託せる男ってなるとなかなか浮かばないわ。十神剣と吊り合うというと――そうね、蒼将軍家に嫁いじゃうのはどうかしら? 家の格は国内最高、年齢差もそこそこあってちょうどい――」

「ない。十神剣の男で一番ない。サヴァシュ未満、サヴァシュのがまだマシ」

「自分のいないところでこんな風に言われてるだなんてあのコたちもゆめにも思ってないでしょうね」


 先ほどの店主が盆に茶の入った器を二つと山盛りの焼き菓子を持ってきた。ベルカナとユングヴィの間に並べる。

 ユングヴィは、小麦と椰子ココナッツの乳の香ばしい匂いを放つ菓子の数々を見て、少しソウェイルに持って帰れないだろうか、などと考えた。今も一人で留守番をさせてしまっている。土産を持って帰れば多少は慰められるだろう。


 菓子を一つつまんで口の中に放り込んでから、「まず十神剣の中でっていうのがないよ」と告げた。


「あらそう? 男衆の全員が全員だめかしら。選びたい放題じゃない」

「十神剣の今の面子がどうこうっていうんじゃなくてさ。十神剣同士で恋愛とか結婚とか、どうなの?」


 ユングヴィは初めての女性赤将軍だ。赤将軍どころか、将軍として名前が残っている女性は歴史的に見ると桜将軍しかいない。しかしその桜将軍もまた結婚したという記録はないらしい。ベルカナも独身だ。過去には数々の浮き名を流してはきたようだが、今は桜乙女と呼ばれる桜軍の隊員たちの他に家族をもたない。


「桜将軍がやらないことを、私が、って思うとさあ。仕事にもいろいろ支障をきたしそう、具体的にどうって言われると思い浮かばないけど」


 ベルカナが茶で唇を湿らせた。


「前例は、なければ作るものよ。もうすでに桜軍以外で初の女将軍ってだけで異例中の異例でしょ」

「まあ、そうだけど」

「ユングヴィにはね、過去の将軍が誰もやらなかったことぜーんぶやってほしいの。この先将軍になる女の子たちがユングヴィに続けるようにね」


 苦笑して「すごい圧力」と呟いたところで、「ありのままでいいのよ」と言われた。そう言われても自分が女性らしい振る舞いをした記憶はない。しかも街を歩けば男性に間違われる容姿だ。

 半分は赤軍の荒くれどもに馴染むためわざとやっているとはいえ、ユングヴィにはもはや女性として生きられる自信がなかった。それで後々の女将軍たちの手本になれる気はしない。


「懐かしいわね。あたしも若い頃はいろいろとあらぬ噂を流されたものだわ。火のないところに煙は立たぬって言うじゃない、実際あたしも遊んで歩いてたから釈明はできなかったけど」

「さすがベルカナ」

「特に南北とはいろんな話を出されたものよ。何のことはない南北が仲良しこよしであたしは二人の飲み会に同席してただけだったんだけどね」


 そこで、ユングヴィは唇を引き結んだ。

 南――南方守護隊のだいだい軍将軍は、三年前に戦死している。




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