第8話 フェイフューの行動力

「ベルカナ!」


 夜も更けてきた頃の桜軍の宿舎に太陽の光が燈った。煌々こうこうと辺りを照らす燈し火を弾いて金の髪がまばゆく輝いた。


 ベルカナは素肌の上に上着だけをまとった状態で太陽の光を出迎えた。


「すみません、もうねるところでしたよね」


 乱れた長い髪を手櫛で掻き上げつつ、ベルカナが「いーええ」と微笑む。


「どうなすったんですの? フェイフュー殿下。ナーヒドにいじめられまして?」


 フェイフューが勢いよく首を横に振った。

 その表情はいつになく曇っている。いつもは自信に満ちてはつらつとした笑顔だというのに、今日に限っては今にも泣き出しそうな顔だ。


 フェイフューを連れてきたナーヒドが、薄着のベルカナから目を背けながら「その、すまなかった」と呟くように言った。


「もう寝間着――か?」


 何でもないことのようにベルカナがにこりと微笑む。


「あたしいつも布団に入る時は薔薇水しか身につけない主義なの。でもいいわよ気にしなくて。それにすっぴんも綺麗でしょ?」

「布団に入っていたのか……」

「今夜は一人でね」

「今夜は、とは……」


 一瞬顔をしかめたが、「いや、その、そうではなくて、だな」と彼らしくもなくベルカナを気遣った発言をする。


「布団に入っていたということは、もう寝るつもりだったのだろう」

「まあね。でも、あたしも一応腐っても将軍だもの。昔の最高指導者のご子息様がこぉんなに悲しそうなお顔をしているってのにお相手しないわけいかないでしょ。そうでなくても、人間として、九歳の子を泣かせそうっていうのは胸が痛むじゃない?」


 ナーヒドの「サヴァシュに聞かせてやりたい」と嘆く声とフェイフューの「ナーヒドは悪くないです」と訴える声が重なった。


「でも、でも、ぼくはいやなのです。ぼくのわがままかもしれませんが、絶対にいやなのです」


 ベルカナはその場で膝を折り、フェイフューの顔を間近で覗き込んだ。


「何がですの?」


 フェイフューがいきなり手を伸ばしてベルカナの手首をつかんだ。ベルカナはフェイフューの激しい反応に戸惑ったのか一瞬笑みを消したが、次の時にはフェイフューに向かって腕を伸ばした。抱き締めようとしたのだ。しかしそれはフェイフュー自身が身をよじって逃れた。フェイフューの手がベルカナから離れた。


 眉間にしわを寄せ、真剣そのものの顔でベルカナを見つめる。ともすれば睨んでいるかのような強い目線にベルカナもたじろいだ様子だ。


「兄さまは生きています!」


 怒鳴るように力強い声で言う。


「ぼくは兄さまが生きておいでだと信じているのです! だから、兄さまから王位をサンダツしなければならないなど、そんなの、ぼくはいやなのです」

「殿下は難しい言葉をご存知ですのね、えらいえらい」

「ベルカナ、お願いです」


 夜の空に「兄さまをさがしてください」と言う涙声が響いた。


「ベルカナは何でも知っているのでしょう? ねえ、ベルカナ、兄さまを知りませんか? ベルカナならば兄さまを見つけられませんか」


 ベルカナは溜息をついた。そしてそのままの体勢でナーヒドを見上げた。目と目が合う。またもやすぐにナーヒドの方から視線を逸らした。


「あんた殿下に何をお教えしたの?」

「すまん。俺では、どうしたものか、こう……、うまく、お話しすることができず。器用なベルカナならば何とかなるのではないかと思ってしまった」

「あんたのことだから頭ごなしにソウェイル殿下はお亡くなりになったんだから諦めろって申し上げたんでしょ」


 ナーヒドが押し黙った。ベルカナがまた深く息を吐いた。


「いや……、俺には行方が分からないから――」

「あたしには分かるかもしれない、って? いい度胸じゃない」


 そこで、フェイフューが弾かれたように顔を上げて「ナーヒドを怒らないでください」と言った。ベルカナが「怒ってなどおりませんよ」と囁く。フェイフューが首を横に振る。


「ナーヒドもテイムルもふだんからベルカナは何でも知っていると言っているのです。だから、ぼくが、ベルカナに、直接会ってお願いしようと思って、ナーヒドに連れてきてもらいました」

「あらら。ずいぶん頼りにされていること」

「その……、すまん」


 ふたたびそう言ってこうべを深く垂れたナーヒドに対して、ベルカナは目を細めた。


「ま、結婚するあてもないあんたが一人でできる育児なんてたかが知れてるわよ。むしろよく持ちこたえてるわね」


 今度ばかりはナーヒドは言い返さなかった。フェイフューの方が不思議そうな目で「ベルカナはケッコンしているのですか」と訊ねてきたが、ベルカナは「女にはいろいろあるのですよ」と意味深長に微笑んでごまかした。


「いいでしょう。そのご依頼、承りますわ」


 フェイフューが表情を明るくした。


「さがしてくれるのです?」

「ええ。すぐにお連れすることは叶わないかもしれませんが、フェイフュー殿下がソウェイル殿下にお会いできるよう力添えさせていただきます」

「とても心強いです!」


 おそるおそるといった調子でナーヒドが「大丈夫か」と声をかけてくる。


「テイムルが丸三年かけて捜したのに、髪の一筋も見つからなかったわけだが」


 ベルカナは「おバカ」と返した。


「相手は『蒼き太陽』よ? 髪の一筋こそ見せたくないに決まってるじゃないの。例えにしてももっとあるでしょ」

「それは、そうだが……」

「テイムルはぬるい。あたしに言わせてもらえばあんなのは捜したうちには入らないわ」


 戸惑った顔をするナーヒドに対しても不敵な笑みを見せる。


「心当たりがないわけじゃないの」

「何だと? そうならばなぜそれを皆の前で言わない?」

「女にはいろいろあるのよ」

「どういう――」


 溜息をつきながら「まあ待ってなさい」と言ってナーヒドを黙らせた。


「いずれにせよそろそろ潮時だと思ってたところなの。あんまり気乗りはしないんだけど、ね」



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