第7話 ユングヴィには話が難しすぎる

「ただいま」


 戸を開けた途端蒼い影が体当たりしてきた。


「おかえりなさいっ」


 腕の中に勢いよく飛び込んできた子を見下ろす。

 ソウェイルがユングヴィの胸にこめかみを押しつけている。蒼い頭が動くたび目を細めて喜んでいるのが分かる。


「……ただいま、ソウェイル……」


 もう一度、今度はソウェイルの耳元で囁いてから、ユングヴィも強く抱き締め返した。


 ソウェイルが顎を持ち上げた。蒼い瞳と目が合った。


「ユングヴィ?」

「うん?」

「元気なくないか……? おもしろくない話だった? おれのことか?」


 ユングヴィは苦笑した。いつもこんな感じだ。ソウェイルはどんな些細な変化も見逃さない。ソウェイルに嘘を教えてうまくごまかせたためしはなかった。この子は厄介なほどひとをよく見ている。


 しかし今度ばかりは事情をうまく説明することもできそうにない。なぜならユングヴィ自身が政治の話題が苦手だからだ。

 王の権限がどうの総督の権限がどうのと言われてもユングヴィにはよく分からなかった。自分が理解していないことをひとに説明して理解してもらえるわけがない。まして相手は九歳の子供だ。


 ユングヴィに理解できたのは、来週の今頃にはフェイフューが次のアルヤ王として約束されたと公表する、ということと、何事もなければ六年後フェイフューが成人した段階でアルヤ王に即位する、ということ、この二点だけであった。


 自分がこのまま黙っていれば、フェイフューがやがて王となる。


 ソウェイルをもう一度抱き締め直した。


 ソウェイルはどう思うだろう。

 自分は死んだことになっていて、王位どころか存在していることすら認知されない。

 双子の弟のフェイフューは、その存在をおおやけに知られているだけでなく、次の太陽としてその名を挙げられている。


 双子の弟に王位を奪われる。

 路上の孤児だったユングヴィには想像もつかない事態だ。


 いっそソウェイル本人に今後どうしたいか訊いてみるのはどうか、というのも、胸中を過ぎった。だがやはり今自分たちが置かれている状況を話して聞かせてソウェイルに理解させられる自信がない。自分に学がないことをこれほど悔やんだことはない。


 フェイフューとナーヒドならばうまくやれたのだろう。


 ユングヴィは溜息をついた。


 あの二人ならそもそもここまで追い込まれることもないのだ。


「ソウェイル、ごめん」


 先の第一王妃にもひざまずいて謝りたいと思った。預けた相手が自分でなかったらと思うと胸が痛んだ。


 ソウェイルが手を緩めた。大きな二重まぶたを二度三度と瞬かせた。


「どうした……? ほんとに何か言われたのか……?」


 唇の裏側を噛む。必死になって次の言葉を探す。


「だれに言われた? ナーヒド? またナーヒドにすごい怒られた?」

「いや……、また怒られたけど、今日は、ちょっと、違う」

「イジワルされたのか」

「ナーヒドはわざとじゃないんだ。ナーヒドは、短気だしすぐ怒鳴るけど、根っからの嫌な奴ってわけじゃないんだよ。テイムルが頼りないから自分がしっかりしなきゃって思ってるだけだと思う」


 ただただ真面目なだけだろう。同僚たちが真面目にやらないから怒りをあらわにするのだ。普段から職務をまっとうしていればとやかく言わないようになるのかもしれない。だいたい正論だから腹が立つのであってナーヒドの方が間違ったことを言った記憶もない。


 いつも正しいはずのナーヒドが、蒼い髪の子を死んだことにして金の髪の子を王位につけようとしている。

 アルヤ人としてあるまじき行為だ。まして蒼い御剣みつるぎいただいている者がとる行動とは思えない。

 だが、当時六歳だった子が戦の最中に消息を絶って三年も経つ、と思えば、別の王子を立てて王家を絶やすまいとするのは、アルヤ人貴族として当然の流れかもしれない。


「じゃあ、テイムル……?」


 テイムルは何も言わなかった。太陽の守護神たる白将軍でありながら、『蒼き太陽』の味方をしなかった。彼も諦めてしまったのだろうか。


「テイムルにおれの話した?」

「してない」


 自分の声に張りがなくなっていくのを感じる。


「できなかった……」


 ソウェイルが完全に離れた。代わりにユングヴィの手をとった。


 ソウェイルに連れられるがまま居間へ入っていく。

 腰を下ろしたソウェイルに下へ引かれて、安物の絨毯の上に座り込んだ。


「なあ、ユングヴィ、どうしちゃったんだ?」


 再度、大きな瞳で顔を覗き込まれた。

 こんな瞳で見つめられては沈黙を貫ける気がしない。


 ソウェイルの頭を撫でた。


 ナーヒドも同じ気持ちなのかもしれない――そんな思いがふと浮かんだ。

 フェイフューを見ているうちにこの子のために何かをしてあげなければと思い始めたのかもしれない。蒼将軍としての本分よりフェイフューの保護者としての思いが勝ったのかもしれない。フェイフューの蒼い瞳を見ていて、この子には国内で最高の地位を与えられる可能性がある、ということに、気づいてしまったのかもしれない。


 もしもそうであったら、ユングヴィには勝てそうになかった。

 ユングヴィも同じ思いだ。ソウェイルを何とかしてやりたいという思いでいっぱいだ。


 ユングヴィとナーヒドでは土台が違う。ナーヒドは、生まれながらにして蒼将軍であることを宿命づけられ、白将軍の代わりに十神剣の代表者の顔ができるほどの自信を、そしてそれを裏打ちするだけの教養と剣の腕を身につけてきた。学もなければ腕力も技術もナーヒドに劣る自分では太刀打ちできない。


「……むり、しなくていいから」


 ソウェイルがまた、しがみつくように抱きついてきた。


「ユングヴィ、むりしないでくれ。おれ、今のままでいいんだ。ほんとにだ」


 奥歯をきつく噛み絞め、こみ上げてきた涙を飲み込んだ。


 ソウェイルには、隠し事はできない。

 できる範囲で話そう。


「ソウェイル」

「なんだ?」


 一度深呼吸をした。


「フェイフュー王子のことって、ソウェイル、覚えてる?」


 蒼い瞳が真ん丸になった。


「わすれるわけないだろ!?」


 ソウェイルの声が裏返る。まだ小さな手が痛いほどの力でユングヴィの手首を握り締める。


「おれの双子の弟……! 弟で、弟だけど、初めての友達でもあって――」


 悲痛な声で「フェイフューしかいなかったんだ」と訴える。


「父上も母上もおれをきゅうでんの部屋から出してくれなくて、ずっとずっと、フェイフューと遊んでいたんだ。フェイフューだけが遊んでくれたんだ。妹たちとはぜんぜん遊べなかったけど、フェイフューだけは――」


 失敗した、と思った。


「フェイフューは、おれにとって、たった一人の友達で、たった一人の弟なんだ……生まれる前からずっと一緒の……たった一人だけの……」


 そうであればなおのこと、


「……会いたい……?」


 自分だけがソウェイルを独占している今の状況が、ソウェイルをより過酷な環境に閉じ込めているように思えて、


「でも……、」


 ソウェイルが声を震わせた。

 大きな蒼い瞳から、透明な雫がしたたり落ちた。


「ここを出ていかなきゃいけなくなっちゃわないか……?」


 ユングヴィも泣きたかった。

 自分はソウェイルにこの上ない我慢を強いている。生まれる前から一緒だった片割れに会いたいとすら言わせてやれない。

 どうするのが正解なのかますます分からなくなった。


 ソウェイルが自分の頬をぬぐった。


「ユングヴィ、フェイフューに会ったのか?」


 今のユングヴィにはソウェイルの涙を拭ってやることも叶わない。


「お会いした」

「元気だった?」

「お元気そうだった」


 ソウェイルよりも体格がいいくらい、とは、口が割けても言えない。


「フェイフュー、」


 ソウェイルが、涙で歪んだ顔のまま笑った。


「おれのこと、わすれてなかった?」

「ちっとも」


 この双子は、こんなにも、深く思い合っている。


「フェイフュー殿下は……、ソウェイルが、いるから、って」


 二人を引き裂いているのは、他でもない、自分だ。


「ソウェイルは絶対生きてこの世のどこかにいるはずだから、ソウェイルの居場所をとったりしたらだめだ、って。ずっと、おっしゃってたよ」


 ソウェイルが絨毯に突っ伏した。




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