第6話 第二王子フェイフュー

 フェイフューがその年に見合わぬ落ち着いた声音で言う。

「会議が長引いているようでしたので、ぼくは家に帰った方がいいかと思ったのです。どうですか」

 ナーヒドが珍しくしおらしい声音で「かたじけない」と謝罪した。

「お待たせしてしまった。お疲れか」

「いいえ、そうではありません」

 首を横に振ってから、フェイフューはナーヒドの手首へ小さな手を置いた。これではまるでフェイフューがナーヒドをなだめているかのようだ。

「ぼくのわがままでナーヒドについてきてしまったのです。十神剣のことは十神剣のこと、ぼくが介入するのはよろしくなかったかな、と考えていました」

「滅相もござらぬ!」

 結局、ナーヒドはフェイフューにひざまずいた。

「我々が至らぬばかりに、なかなかひとが集まらず、この有り様」

 ユングヴィは驚いた。北の山脈の尾根よりも高い自尊心をもつナーヒドが、蒼い瞳の子にこうべを垂れている。フェイフューはナーヒドにここまでさせられる力をもっているのか。

 しかし、すぐさま、そこまで驚くことでもないか、と思い直した。

 早くに母を亡くし兄弟もいないナーヒドにとってのフェイフューは、亡き主君の息子であると同時に、父の命と引き換えに生き長らえた存在でもあり、今や唯一の家族でもある。

 フェイフューのりりしい顔立ちを眺める。

 助命は何とか認められたが、王族の身分は剥奪され、蒼宮殿から追い出された。そうして行き場がなくなったフェイフューをナーヒドが自宅に引き取った。

 ナーヒドはけじめだの分をわきまえるだのといった言葉が大好きだ。将軍と王子の立場の上下差をはっきりとさせたがる。だが、ナーヒドにとってフェイフューが特別なのはきっとフェイフューの瞳が蒼いからというだけではないとユングヴィは思う。

 フェイフューがナーヒドに引き取られてから、一度だけ、ナーヒドの自宅を訪ねてフェイフューの様子を窺ったことがある。ナーヒドはふだんの彼からは想像もできないほど穏やかに振る舞っていた。フェイフューを見るその目は、将軍と王子というより、父と息子のように見えた。

 ナーヒドに共感できる日が来るとは思ってもみなかった。

「では、これから話を? ぼくはもう少し待った方がいいですか」

 ナーヒドは他四人を振り向きもせずに「ここにいらしても問題はない」と答えた。

「これから殿下のお話をするところだ」

 小首を傾げて、「それなのにぼくがいてもいいのですか」と問い掛けてくる。今度はテイムルが「おいでくださいませ」と声を掛けた。

 フェイフューが歩み寄ってくる。ナーヒドが兵士に「下がれ」と命じる。

「こんにちは、ユングヴィ、ベルカナ。お久しぶりです」

 微笑みを見せるフェイフューに、ユングヴィは何か引っ掛かるものを感じた。

 違和感の正体をつかむ前に、先ほどの位置に戻ったナーヒドの隣、ユングヴィの左側にフェイフューが腰を下ろす。

 ベルカナが「相変わらずお利口さんですわね」と微笑んだ。フェイフューが「ありがとうございます」と答えた。

「でも、ぼくももう九つですからね」

 ナーヒドが座りながら「おい、かえって失礼だぞ」とベルカナをたしなめる。ベルカナが自分の口元を押さえて「あらやだごめんなさい」と謝罪する。フェイフューが「いいえ」と首を横に振る。

「みなさんからしたらまだまだこどもかもしれませんが、ぼくも多少は大きくなりました。安心してくださいね」

「なんと聡明な。たいへん失礼致しました」

 そこでようやく、ユングヴィは気がついた。

 フェイフューの方がソウェイルより一回り大きい。ソウェイルと同い年の双子の兄弟のはずなのに、フェイフューはソウェイルよりずっと体格がいい。言うこともだいぶ違う。フェイフューはおとなびている。

 フェイフューがおとなびているのではなく、ソウェイルが幼いのだろうか。

 ナーヒドの広い邸宅の敷地内で充分に運動でき、総督の許可があれば邸宅から出ることもできるフェイフューと、ユングヴィの小屋のような家から出られず、ユングヴィ以外とは話すこともないソウェイルとでは、成長の度合いにここまで差が出るのだ。

 打ちのめされて黙りこくったユングヴィに、フェイフューが「どうかしましたか?」と声を掛けてきた。ユングヴィはただ首を横に振って「何でもないです」と言うほかなかった。

 フェイフューがこちらを向いた。

 鼻や口元、全体的な顔の輪郭にソウェイルの面影がある。瓜二つとまではいかないが、兄弟だと分かる程度には似ている。

 だからこそ、ユングヴィはフェイフューから目を逸らした。

「ごめんなさい、何でもありませんから」

 ソウェイルとフェイフューの差を広げているのは自分だ。

 まだユングヴィを眺めているフェイフューに気づいているのかいないのか、テイムルが「では本題に入ろうか」と言った。

「本題……、そうだ、フェイフュー殿下の話、って……」

「そう」

 続きは、テイムルではなく、ナーヒドが語った。勝ち誇った顔で、だ。

「とうとうウマルに認めさせたのだ。我々にとって太陽がいかに重要なものであるかを」

 嫌な予感がした。

「フェイフュー殿下が御年十五になられたあかつきには、殿下を次の太陽として――王として即位することをウマルが約束した」

 息が詰まった。

 今この世でもっとも神に近いのは――神聖な蒼い髪をしているのは――『蒼き太陽』は、ソウェイルの方だ。

「むろんすべての権限が認められるわけではない。神を名乗ることは許されず、領地も与えられない。原則として政治運営の一切をサータムの総督がり行なうことには何の変わりもない。しかし、」

 ナーヒドの声が耳を滑っていく。

「サータム帝国の属国と言えども、アルヤは王国の体裁を取り戻すことになる。フェイフュー殿下によって」

 それは、本来は、ソウェイルの務めだ。

「アルヤ王国復活への道の最初の一歩を大きく踏み出すことになる」

 「したがって」と、ナーヒドは続けた。

「我々十神剣は、来るべき日までフェイフュー殿下を全力でお守りし、太陽の再来に備えねばならない」

 そこでフェイフュー自身が口を開いた。

「ぼくはちがうと思っているのです」

 フェイフューが訴える。

「兄さまがいるのに――『蒼き太陽』であるソウェイル兄さまがいるのにぼくが王になるなど」

 ユングヴィは鼓動が早まるのを聞いた。

「ただ、もう三年も兄さまにお会いしていないので――」

「お亡くなりになったのだ」

 フェイフューの言葉を遮って、ナーヒドが断言した。

「ご遺体はまだ出ていないが、三年もの間お噂ひとつお聞きしない。諦めるべきだ」

 「もはや王子はフェイフュー殿下お一人」と言い切るナーヒドから、フェイフューは顔を背けた。

「兄さまは……、きっとどこかで生きておいでです」

 小さな声で続ける。

「けれど、今は、いらっしゃらないから。兄さまがもどられるまでは、ぼくが、代わりをしなければ。ぼくはそう思っています」

 ユングヴィには、何も言えなかった。

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