第4話 サヴァシュ先生の剣術の稽古

 本当に剣術の稽古が始まってしまった。


 ユングヴィは、宮殿の回廊の端に座り込み、ただ呆然とソウェイルとサヴァシュの様子を眺めていた。


 どこにあったのだろうか、サヴァシュは木刀を二本持ってきた。一本はソウェイル用の子供向け、もう一本は自分用の大人向けらしかった。


 短い方をソウェイルに持たせる。

 一度手本として自ら構えて見せてから、ソウェイルに「構えてみろ」と言う。

 ソウェイルが真剣な顔で真似をする。

 ソウェイルのすぐ傍に膝をつき、ソウェイルの肩をつかんで後ろに引いて、「体幹が甘いな」と呟く。


「顎を引いて背中を伸ばせ」

「うん」


 ソウェイルが素直に従う。木刀を構えたままわずかに逸らすように背筋を正す。


 見ていることの他に何にもすることがないユングヴィは、特に何ということもなく靴を脱いで小川に足を突っ込んだ。ソウェイルにもサヴァシュにも何も言われなかった。二人ともユングヴィが何をしているかに興味が湧かないほど夢中になっているらしい。ユングヴィの「わー私今すごい保護者って感じするー」という呟きは独り言になった。


 サヴァシュが木刀を構える。右手を前に突き出し、左手は逆手で柄に添えている。ユングヴィからすると斜めに見えた。違和感がある。

 けれどソウェイルは何も言わずにそれを真似た。間近で剣を持つ人を見たことのないソウェイルにはこの違和感が分からないのかもしれない。

 ユングヴィは二人があまりにも真剣なので口を出すのもやめることにした。ただ黙って見守る。


 サヴァシュが振りかぶって斜めに振り下ろした。その切っ先の動きはまっすぐで一切のぶれがない。切り裂かれた空気が風となり唸り声を上げる。サヴァシュは何気なくしたことだろうが、ユングヴィはその揺れのなさに感嘆の息を漏らした。


 ソウェイルが同じように木刀を振ろうとした。持ち上げるだけでせいいっぱいのようだった。切っ先の軌道が何とも頼りない。


「あー、だめだ」


 サヴァシュがソウェイルの木刀の先をつかむと、木刀がまったく動かなくなってしまった。ソウェイルが力を入れて下ろそうとしているのも分かるが、サヴァシュの手はびくともしないのだ。


「まずは筋肉をつけるところからだな。腕の力がなさすぎる」

「剣は教えてくれないのか?」

「教えてやる、その稽古の一環だからな、忘れるなよ。まずは体ができていないと何にもできない」


 サヴァシュがそのまま木刀を上に引き抜いた。いとも簡単に引っこ抜けてしまった。ソウェイルが眉尻を垂れて唇を尖らせる。


「握力つけろ。このままだと刃と刃がかち合った瞬間お前の剣が弾け飛ぶ」

「どうやったらつく?」

「握って、開いて」

「それだけ?」

「とりあえず一度に百回、それを三度は繰り返せ」


 手を握ったり開いたりするサヴァシュの手を見て、ソウェイルも自分の指を動かし始めた。十回もすれば「つかれた」と呟き始める。サヴァシュがソウェイルの尻を叩く。


「――殿下。ソウェイル殿下!」


 遠くからソウェイルを呼ぶ声が聞こえてきた。この声はテイムルだろう。ソウェイルが肩をすくめた。


「どうしよう、呼んでる」

「行ってこい」


 ソウェイルは一度悲しそうな目をしたが、サヴァシュが「待っていてやるから」と言うと頷いた。


「ただしテイムルに俺から剣を習い始めたなんて言うなよ」

「どうして?」


 ユングヴィは、テイムルからしたらソウェイルに武芸のような危ないことはさせたくないだろう、と言おうとしたのだが――


「アルヤ流の正統な剣術がどうこうとか言い出すからに決まってんだろ。俺が教えてやれるのはチュルカ流だけだからな」


 納得した。サヴァシュが使うチュルカ流の剣術と自分がかつて習ったアルヤ流の剣術が別ものなのだ。だから構え方も違う。違和感の正体はそれだ。


 ソウェイルはすぐに「わかった、ナイショにする」と言った。


「お前もアルヤ流がいいならある程度でテイムルかナーヒドに習い始めた方がいいぞ」

「いやだ。サヴァシュがいい」

「なら付き合ってやる」

「やった」


 ソウェイルが念押しして「約束だからな」と言うと、サヴァシュも「ああ、約束だ」と答えた。


「ありがとう!」


 ソウェイルが宮殿の内部の方へ向かって駆け出す。その背中を見守る。ユングヴィの方は見向きもしなかった。


「……ありがとう」


 だがユングヴィは嬉しかった。ソウェイルの世界がようやく良い形で外に広がり始めたのを感じていた。ソウェイルがこんな風に他人と喋るところを見ることさえユングヴィは初めてだったのだ。ソウェイルにこんな形で自己主張をする能力があると思っていなかったのである。


 立ち上がってサヴァシュにまっすぐ向き合う。


 三年前のことを思い出す。エスファーナ陥落の時のことだ。


 あの時サヴァシュは黒軍を引き連れて西部戦線を独断で離脱しエスファーナに戻ってきた。


 もしもサヴァシュがそうしなかったら、エスファーナは復興にもっと時間がかかっていることだろう。自分も生きてはいなかったかもしれない。自分がここにいなければ、ソウェイルもここにはいられなかったかもしれない。


 普段がだらしないのであまり認めたくはないが、こいつは、悪い奴ではないのだ。


「サヴァシュ、子供、好きなんだね」


 サヴァシュが「ああ」と答えた。


「ちょっと意外だけど」

「まだ嘘が下手くそなうちが好きだ」

「結構子供の面倒を見たりするの?」

「いや、平原にいる時だけだな。ここじゃそもそもカノぐらいしか知り合いの子供がいない」

「平原にいる時は子供と遊んだりするんだ?」

「ああ、甥と姪がやたらいる」


 次の時、ユングヴィは眉間に皺を寄せた。


「俺自身もう二十七だし、いい加減ガキの一人や二人いてもいいのにな。俺の子供って今どこにどれくらいいるんだろうな」

「ちょっと待って何それどういう意味? サヴァシュって独身じゃない?」

「さんざん種まきしてきたんだからそろそろ隠し子が出てきてもおかしくないと思うんだが、誰にも何にも言われない。アルヤ女は俺なんかと子育てしたくないとみた」


 前言撤回だ。やはり悪い奴だ。


「サイテー!!」


 結局「やっぱりソウェイルに近づかないでくれる!?」と怒鳴ると、サヴァシュが「なんでだよ、ソウェイルは男だろ」と答えた。ユングヴィは「そういう問題じゃない!」と叫んでサヴァシュから距離を取った。




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