第3章:紅蓮の女獅子と無双の黒馬

第1話 黒将軍サヴァシュ

 テイムルからソウェイルがいなくなったと聞いてユングヴィは血の気が引いたが、捜し始めてすぐ、蒼宮殿の裏庭の一つ、一日中日の当たらない日陰で見つけた。思わず、「テイムルは何やってるんだ」と独り言を言ってしまった。

 ソウェイルを蒼宮殿に返してからというもの、ユングヴィは独り言が増えた。反応して顔を上げたソウェイルと目が合い、気をつけなければと自分で自分をたしなめる。


「ソーウェーイルっ」


 元気がないのは一目で分かった。膝を抱えて幼い眉根を寄せている。せっかく目が合ったというのに、次の時にはユングヴィから目を逸らして小川に目を落としてしまった。


 ソウェイルの隣に腰を下ろす。肩に肩を寄せる。


「どーしたのっ。何かあったの? 何でも聞いてあげるから話してごらん。きっとすっきりするよ」


 ソウェイルがふたたび顔を上げた。しかしまたすぐに視線を落としてしまう。


「……ソウェイル……?」


 顔を覗き込もうとする。ソウェイルが抱えた膝に顔を押しつける。


「どうしたの……?」


 ややして、小さな声が漏れてきた。


「みんなキライだ」

「え?」

「みんなおれの頭ばっかりじろじろ見て。キライだ」


 ユングヴィは、唇を引き結んでから、大きく息を吸って吐いた。


「みんな、って?」

「みんなはみんな。とくにテイムル」


 仕方がない、という言葉を呑み込んだ。ソウェイルの蒼い髪は目立ち過ぎる。その蒼い色は自分たちアルヤ人にとっては神聖なものであり誰もが崇めるものだ。


 特にテイムル、という理由も、ユングヴィには痛いほど分かった。

 テイムルは白軍、つまり近衛隊の隊長として育てられた人間だ。テイムルにとったら、王となるべき王子、まして聖なる『蒼き太陽』といったら、命に代えてでも守るべき存在だった。

 ユングヴィは何度かテイムルがソウェイルを過保護にしているところを見ていた。テイムルはソウェイルが自分の足で歩くことすら嫌がる。


「あとナーヒドとかラームとか」


 誰も彼も、学校に通ったことのないユングヴィとは違って、礼儀作法のような教育を徹底的に受けてきている連中だ。彼らはアルヤ人として『蒼き太陽』に最大級の礼を払っているだけなのだ。


「……さいきん。かみのけが、のびて、きたから。またユングヴィに切ってもらおう、と思って」


 ソウェイルがまだどこか舌足らずな口調で言う。


「って、テイムルに言ったら、すごく怒られた」

「怒られた? 何て言って?」

「『しんせいな蒼いかみにハサミを入れるとはなにごとか』だと」


 自分の意思で髪の長さを整えることすら許されない。


「しょーじき、ウマルおじさんだけなんだ」


 頭を殴られたような衝撃を受けた。


「みんなみんな、フェイフューのことは、気軽に『でんか』って呼ぶのに。おれに気軽に話しかけてくれるのはおじさんだけだ」


 もしもその場に居合わせたら、ソウェイルに無礼をはたらいたと見て、ウマルを斬って捨てようと思ったかもしれない。けれど他ならぬソウェイルがそれを望んでいる。耐えなければならない。場合によっては感謝すらしなければならないかもしれない。相手はサータム人だというのに、だ。アルヤ王国を不当に占拠している憎い相手だというのに、だ。


 ソウェイルは、今、蒼宮殿で独りなのだ。


「ソ――」


 ユングヴィが口を開いた。


 同時に、小さな金属の音が聞こえてきた。

 しゃらん、しゃらん、と、小さくて軽い金属のこすれ合う音がする。


 顔を上げて音のする方を見た。


「ユングヴィ」


 二人の人物が近づいてきていた。


 一人は、アルヤ民族の筒袴をはきアルヤ民族の帽子をかぶった背の高い男であった。

 緑の胴着ベストみどり軍の兵士揃いのものだ。短く整えられたあごひげは清潔そうで、細められた目元にだけ小じわが刻まれていた。腰には緑の神剣が下げられている。

 愛想のよさそうな笑みを浮かべてこちらに手を振っている。


 もう一人、背は一緒にやって来た男よりは低いはずだがやたらと大きく見える男は、独特の衣装を身につけていた。黒地の分厚い布でできた上着デールには色とりどりの刺繍が施されている。腰帯ベルトは革だ。黒い筒袴は裾を絞られ革の長靴ブーツに納められている。日に焼けた肌をしていて、胸につくほど長く伸ばされた黒髪はいくつもの細かな三つ編みにされた上で一つに束ねられていた。背には黒い神剣が背負われている。


 音の源は黒い神剣を背負っている方だった。首回りや腰の革帯に巻き付けるようにしてつけられた細かな銀細工が、男が動くたびに揺れてこすれ合っている。しゃらん、しゃらん、と鳴いている。


 最初にやって来た、緑の神剣を腰に下げている方が、ソウェイルの前でおもむろにひざまずいた。


「遅くなってたいへん申し訳ございませんでした。お初にお目にかかります、北方守護隊隊長、緑将軍アフサリーにございます」


 ソウェイルが慌てた様子で立ち上がった。


 次の時だ。


 ユングヴィは眉間に皺を寄せた。

 黒い神剣を背負っている男が、突然手を伸ばしたからだ。


 彼はソウェイルの頭に手を置いた。

 そして、蒼い髪を掻き混ぜ始めた。


「何だこれ」


 ソウェイルが「ひゃあ」と小さく悲鳴を上げた。


「本当に蒼いんだな。何かの比喩かと思っていた」


 緑の神剣の男――アフサリーが、「こら」と男をたしなめた。


「やめなさい、『蒼き太陽』に対してあまりにも無礼ではありませんか」


 黒い神剣の男が口元を歪め鼻で笑った。


「髪が蒼いだけのガキじゃねーか。お前らアルヤ人は本当にこういうよく分からないものが好きだな」


 それから、直接ソウェイルに問い掛ける。


「お前、名前は?」


 ソウェイルが、自分の頭をつかんだままの大きな手に自分の小さな手を伸ばしながら、「そ、ソウェイル」とどもった。


「ソウェイルか。発音しにくい名前だ」

「伝説の英雄王、我らがアルヤ王国初代国王と同じお名前ですよ。将軍になった時勉強したでしょう」

「あー、興味ないから忘れてた」


 唖然としていたユングヴィが我に返った。


 ソウェイルの肩をつかんだ。ソウェイルを男から引き離した。男が「お」と呟いた。


「ちょっと、何考えてんの!? 相手が『蒼き太陽』だからとか何とか以前にひとの頭いきなり触るの失礼でしょ!? あとひとに名乗らせたら自分も名乗れよ!」


 彼は「それもそうだな」と笑った。


「俺はサヴァシュだ。チュルカ人軍人奴隷ゴラーム騎馬隊隊長、くろ将軍サヴァシュ。北チュルカ平原のイゼカ族の出だ」





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