第8話 運命の日の裏側、宮殿の外にて

 ニマーが宮殿でとんでもない情報を仕入れてきた。


 フェイフューが王位継承者として総督に認められるという。


 ニマーはしょっちゅう極秘情報を持って帰ってくる。帝国の高官の傍近くに控える職務の役得だと言う。よほど信頼されているのか情報が偽物だったことはない。ニマーも腐ってもアルヤ人官僚ということだ。


 翌週宮殿で謎の催事が行なわれることが決まった。招集の名目は今のところ非開示だが、文官たちは誰もがフェイフュー王子のお披露目式だと察している。


 もちろんニマーも呼ばれている。


 ラームテインもうまくニマーに取り入れば参加できるとふんでいた。


 当日になってからニマーはラームテインは連れていかないと宣言した。彼は「賢過ぎる子には可愛げがない」と言って他の酒姫サーキイを連れて出掛けたのだ。

 もちろん口先だけのことだ。ニマーは本当のことはなかなか言わない。おそらくラームテインが必要以上の情報を抱えてサータム帝国に行くのがニマーにとって都合が悪いのだろう。

 だがいずれにせよ連れていってもらえないことには変わりがない。

 ラームテインはつかみかかりたい気持ちをこらえて笑顔で見送った。


 夕暮れ時のエスファーナを、ひとりうつむきながら歩く。都会の人々は人混みに慣れていて歩みの遅いラームテインも器用に避けて行きう。


 生殺しだ。今になってようやく自分もニマーの匙加減に振り回されていたことを知る。自分もまだまだ未熟だ。


 アルヤという名の王国がふたたび成立する。

 独立国家としてではない。サータム帝国の保護国だ。自分の生まれたアルヤ王国が蘇生するわけではない。


 王を押さえられてしまった。自分たちは新たな王を立てて帝国に反旗を翻す機会も奪われてしまった。


 フェイフューの顔を思い出す。


 あのまっすぐな王子が帝国の傀儡かいらいとなってアルヤ人たちの首を締める。彼の意思に反して彼の存在がアルヤ王国にのし掛かる。

 いつしか目覚めたアルヤ人たちが帝国からの独立を求めるようになった時、何の罪もない彼もまた帝国の手先として打倒されるかもしれない。


 もっと正確で詳細な情報が欲しい。この世界が、この大陸が、アルヤという国とサータムという国の関係が、現状はどうなっていて今後はどうなろうとしているのか、俯瞰して見たい。


 サータム帝国に行った方が早いのか。


 ニマーは自分をサータムのどんな立場の者に売ったのだろう。

 より多くのことを吸収できるところに行けるだろうか。サータム帝国の宮廷には接近できるだろうか。自分を押し殺す苦痛に見合った未来が開けるのだろうか。

 できることなら一つでも多くのことを学びたい。


 そしてその学びをもってアルヤ王国に貢献したい。


 しかしそれは母国を思っての感傷ではない。


 今までは知識欲を満たしたいだけだった。学識を得て今の酒姫サーキイとしての暮らしを忘れることができればよかった。


 今は違う。


 王にさせられるフェイフューのために何かをしたい。フェイフューが国を背負って立つというならそのフェイフューの国のために何かをしたい。あの利発で聡明で素直な王子に屈辱まみれの生活を送らせたくない。


 サータム帝国に行くことを打ち明けた日以来フェイフューと会えていなかった。後悔したラームテインは翌日もそのまた翌日も毎日王立図書館に通ったが会えずじまいだ。

 もしかしたらそもそも図書館に来ていないのかもしれない。王位継承者ともなれば気軽に外出できまい。


 フェイフューは今頃何を考えているのだろう。蒼宮殿でサータム人に囲まれているのだろうか。怖い思いをさせられていないといい。


 もっといろんな話をすればよかった。こんな形で遠く隔たる日が来るとは思っていなかった。


 今になっていろいろな思いが湧き起こる。

 自分は自分で思っていたよりあの年下の友人を好いていたらしい。


 三日後にはサータム帝国へ送り出される。

 フェイフューが大人になって国のために政治をしようと思うようになる頃には、ここへ戻ってこれるだろうか。


 不意にざわめきが聞こえてきた。今歩いてきた方からだ。騒ぐ声が聞こえる。


 立ち止まって振り向いた。


 男たちが大声で怒鳴りながら通りを走ってくる。


「速報だ! 大事件だ!」


 男たちは紙を――どうやら新聞を撒いているようだ。通りを行き交っていた人々が受け取って眺めては悲鳴のような声を上げた。


 ラームテインは自ら男たちに駆け寄った。フェイフューのことだと思ったのだ。きっと蒼宮殿での催事が終わって一般民衆にも情報が公開されたのだ。


 それにしても騒ぎが大き過ぎはしないか。


 フェイフューが生き残ったこと自体は終戦直後からの周知の事実だ。彼を中心に王家を再興し王国を復活させることを望む声もあちこちから聞こえていた。


 望みが叶ったことを喜んでいるのだろうか――それにしては血相を変える人が多過ぎはしないか。ひざまずいて涙を流す者さえ現れる始末だ。


 腕を伸ばして新聞を受け取り、紙面を眺めた。


 踊る表題に目眩がした。


 ――蒼い髪の王子がふたたびこの世に姿を現す。


 失ったものだと思っていた。半分忘れてすらいた。王子とつく者はフェイフューにおいて他にいなくなったのだと、すべてのアルヤ人が信じ込んでいた。


 『蒼き太陽』だ。初代国王と同じ神聖な蒼い色を宿す王子が生きている。


 アルヤ民族は本物の太陽を取り戻した。


 ラームテインは走り出した。


 アルヤ民族とサータム帝国の関係が変わる。



「ご主人様!」


 屋敷の中はすでに騒然としていた。

 大勢の部下たちに囲まれたニマーが、いつもは見せぬ強張った表情で何事かを指示していた。

 ただならぬ空気に近づきがたいものを感じたが、今は臆している場合ではない。


「ご主人様」

「ラーム」


 案の定険しい顔で「下がっていなさい」と言われた。ラームテインは「申し訳ございません」と言いながらも下がりはしなかった。


「『蒼き太陽』がおいでになったとか。お隠れになったのではございませんでしたか」


 忌々しげに「知ってしまったか」と吐き捨ててから、結局ラームテインの方を振り向いた。


「赤将軍ユングヴィが三年前から保護していたらしい」

「ユングヴィ将軍がですか」

「今は将軍でももとはこの都の路地で寝起きしていた子供だ、我々の知らぬ抜け穴を知っていたに違いない。まして将軍ともなれば我々文官は誰一人として口出しできないからな」

「ではソウェイル王子は本物なのですね」

「本物も何も、間違えようもない! あの蒼い髪、まことに空を染める太陽のごとき色をしていた」

「ご主人様もご覧になったのですか」

「この目でしかとな」


 ニマーの「戦争になるところだった」という言葉から、ラームテインは逆に戦争にはならなかったのだと察した。

 将軍ともなれば武官たちが皆味方をするに決まっている。まして赤将軍ユングヴィは姿の見えぬ女将軍として神秘の面紗ヴェールに包まれており、信者とも言える熱心な兵士は多いと聞いていた。彼女が挙兵すると言い出せば戦争が始まってもおかしくない。

 それでもその場は収まったのなら当面は現状の維持だろう。

 『蒼き太陽』もフェイフューと双子でまだ九歳の子供だ。自分から何らかの行動をとれるとは思えない。

 もっと先を想像する。


「では今回のフェイフュー殿下の一件は? 『蒼き太陽』がいらっしゃっては王位継承の順位が変わります、白紙に戻るのでしょうか」


 ニマーが首を横に振る。


「ウマル総督は王国の復活を撤回しなかった」

「では『蒼き太陽』がご即位なさると?」

「いや、総督はお二人の王子を競い合わせるつもりらしい。どちらが王位につくかご本人たちを相争わせるとのことだ」


 息を詰まらせたラームテインへ、ニマーはさらにたたみ掛けた。


「しかもその日が来るまでウマル総督がご兄弟両方の後見をすると宣言した。今やお二人ともウマル総督の手中、帝国とのつながりはますます太くなる一方だ」


 ニマーの腕が伸びてきた。太い指がラームテインの華奢な肩に食い込んだ。


「もはやアルヤ民族へのサータム帝国の影響力は決定的になった。これからの時代は帝国が本格的にアルヤ人の保護者になるぞ……!」




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