第7話 フェイフューがいつまでもおとなしいと思うなよ

「なぜそのような仕事に身をおとす人々がいるのでしょうか。そんな汚らわしいこと、ふつうの精神ならばやらないと思うのですが」


 ナーヒドは説明を再開した。


酒姫サーキイは、その代わりと言ってはなんだが、良い家に住み良いものを食べ良いものを着て暮らしている。それに、気前の良い主人につければ――そしてその主人が特別にその者を取り立てれば、別の仕事にありつけることもある。中には主人に付き添っているうちに宮殿で政治の仕事に就く者もある。一人二人ではない、宮殿にはいつの時代も伝統的に何人かはそういう出自の者たちがいる、サータム人に占領された今の宮殿とて例外ではない」

「ナリアガリというやつですか」

「おおせのとおり。そういうことを目当てに貧しい家の子弟が自ら身売りをすることもある、一概に誰もが皆嫌々やっているとは限らない。あるいは――そう扱われることが好きな者もあるだろう、自分にはまったく想像の及ばない話だが」


 そこで、一度、「うむ」と唸った。


「自分にご説明できるのはここまでだ。酒姫サーキイについてもっとお知りになりたいのならばエルにお訊きするといい」

「エル?」


 小首を傾げる。


「エルナーズですか? 西の?」

「ああ、西方の、空将軍エルナーズにござる」

「エルは酒姫サーキイだったのです?」

「厳密には違うが、我々からしたら近いもので――その辺の違いも、エル本人からご説明させた方が良かろう。自分はどうも、そういうことにはうとい」


 フェイフューが「エルは西部にいるではありませんか、遠いです」と責める口ぶりで言う。


「呼んだら来てくれますか?」

「……まあ、来ないだろうな、あやつは」


 ナーヒドはまた眉間の皺を深めることになった。


「とにかく、将軍は将軍になるまでいろいろな経歴を送っている者があるということにござる」

「ふうん……」


 それ以上ナーヒドからの説明は期待できないと判断したのだろう、「何となくわかってきたからもういいです」とフェイフューが呟いた。ナーヒドは「左様か、よかった」と胸を撫で下ろした。


「しかし、何がどうして酒姫サーキイのことをお知りになりたいと?」

酒姫サーキイのお友達ができました」


 ナーヒドが顔をしかめた。フェイフューに「どこで」と問い掛ける。フェイフューは臆することなく「王立図書館ですよ」と答えた。


「やとい主が教養を身につけるようにと本を読ませてくださるのだと言っていました」

「大きな家の豊かな主人ならばそういうこともござろう。自分の身の周りにはべらせる最高級の嗜好品、自分の好みに育て上げようとする者もあると聞く。よほど余裕のある家の酒姫サーキイなのだろうな」

「それで、とてもたくさんの本を読んでいる、とても頭の良いひとなのです。ぼくより五つ年上だそうですが、とても丁寧な人で、ぼくにとてもいろんなことを教えてくださいま――した」


 一瞬、声が震えた。その震えはおそらく怒りからくるものだろう。


「もう会えないかもしれないです……」


 予想していたかのように、ナーヒドは穏やかに苦笑した。


「急なことでござったか」

「いえ……、ぼくには教えてくださらなかったのですが、前々から決まっていたかのような口ぶりでした」

「決まっていた――とは」

「帝国に行ってしまうのだそうです」


 途端、だった。


「はあ? 帝国だと? サータム帝国か?」


 ナーヒドが声を荒げた。


「なぜサータム帝国に? 酒姫サーキイも立派なアルヤ人だぞ。それももしかしたら将来は宮殿に勤めるかもしれぬような未来ある若者を、なぜサータム人なんぞに引き渡さねばならぬ」

「そうでしょう!?」


 フェイフューも乗りかかるように声を大きくした。


「売られてしまうのですって! くわしいことは教えてくださいませんでしたが、やとい主の都合で、帝国に行かされてしまう、と。売られると言っていたのです!」

「そのようなことがあってたまるか」


 ずっとこらえていたのだろう。小さな拳を握り締め、フェイフューはとうとう言った。


「ナーヒド、どうにかしてください! 助けてあげてください!」

「ああ、何とか――」


 そう凄んだのも一瞬だ。


「――ならぬ」


 次の時声が小さくなったのを、フェイフューは目を丸くして聞いていた。


「何ともならぬ」

「どうしてですか!?」

「きりがないからにござる」


 口を開けて聞いていることしかできない。


酒姫サーキイは上から下まで大勢いる。一人に手を出せば全員に手を出さなければならぬ。今回はたまたま相手がサータム帝国の人間のようだが、主人に他家へ売られる酒姫サーキイはおそらくいくらでもいるはずだ。その全員を突き止めて保護をするのは不可能だし、したところで次はその後どこへやるかが大きな問題になろう」

「そんな……」

「だいたい、個人の家中の事情に公権力のかたまりである将軍が介入するなど、どこからどんな反発を受けるか知れぬ。相手は酒姫サーキイに教養を求めるほどに高位の貴族なのだろう、こちらも相当周到な準備をしなければ――それこそ、官憲である白軍に立ち入り調査をさせるくらいの仕掛けが必要にござれば。しかしいずれにせよ越権行為だ。ウマルの許可も要るだろうし、白軍の長であるテイムルなどは秩序を乱すと判断すれば逆にこちらへ否定的な態度をとるかもしれぬ」


 ナーヒドは「王であれば」と言った。


「アルヤ王国国王であれば、助けることもできるのだが」


 フェイフューが「王ですか」と呟いた。


「王であれば、どのようにできますか?」

「王が一言酒姫サーキイというものを解放するとご下命になれば、この国からは酒姫サーキイというものはなくならなければならなくなる。それでもなお囲っている者があるとなったら、その者の屋敷は官憲に踏み入られても文句は言えまい。あるいは、そこまでやらずとも、王であれば、理由なく個人の屋敷に踏み込むことも可能だ。目をつけた一人を独断で宮殿に連れ帰ることもできる」

「父上がいてくだされば止められたのですか」

「あるいは、先王陛下に代わる新たな王を立てることができれば」


 そこまで言うと、フェイフューは黙り込んだ。ナーヒドはしばらくの間彼を眺めていた。彼は何も言わなかった。ただ呆然と床を見つめているだけだ。


 ナーヒドの手が、ふたたび伸びた。フェイフューの華奢な手首をつかんだ。


「殿下が王になられれば、殿下の一声ですべてが解決する」


 フェイフューが弾かれたように顔を上げた。

 この時の蒼い瞳には、先ほどあったような強い光はなかった。どこか不安げにさまようその目がナーヒドの黒い瞳を見つめ返すことはなかった。


「けれど、それは、ソウェイル兄さまの――」

「良い機会にござる。殿下、改めてウマルにお会いなされよ」

「ぼくは――」

「殿下。殿下以外にはもういらっしゃらないのだ」


 ソウェイルを否定されることは嫌だったらしい。次の時、フェイフューはナーヒドを強く睨みつけた。


「いいですよ。では仮にぼくが王になるとしましょう」

「仮に、など――」

「なるとしても、ですよ? ラームがサータム帝国に行ってしまうのには、間に合わない――のですよね、たぶん。あと半月しかないのです」

「ラーム――その酒姫サーキイの名か」

「はい、正しくはラームテインという人です。ぼくが王になると約束できればどうにかしていただけますか」

「どこの家の酒姫サーキイか分かれば、あるいは、とも思ったのだが……聞いたことがないな……」

「ナーヒドの役立たず。それでしたらやはりぼくは王になるのなどいやです」


 ナーヒドが唇を引き結んだ。


「もういいです、ぼくが自分でどうするか考えます。ぼくのお友達です、ぼくが何とかしてみせます」


 ナーヒドは自分を振り払って駆け出した小さな背中を見送った。見守るだけで結局何もできずじまいだ。




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