第7話 フェイフューがいつまでもおとなしいと思うなよ
「なぜそのような仕事に身をおとす人々がいるのでしょうか。そんな汚らわしいこと、ふつうの精神ならばやらないと思うのですが」
ナーヒドは説明を再開した。
「
「ナリアガリというやつですか」
「おおせのとおり。そういうことを目当てに貧しい家の子弟が自ら身売りをすることもある、一概に誰もが皆嫌々やっているとは限らない。あるいは――そう扱われることが好きな者もあるだろう、自分にはまったく想像の及ばない話だが」
そこで、一度、「うむ」と唸った。
「自分にご説明できるのはここまでだ。
「エル?」
小首を傾げる。
「エルナーズですか? 西の?」
「ああ、西方の、空将軍エルナーズにござる」
「エルは
「厳密には違うが、我々からしたら近いもので――その辺の違いも、エル本人からご説明させた方が良かろう。自分はどうも、そういうことには
フェイフューが「エルは西部にいるではありませんか、遠いです」と責める口ぶりで言う。
「呼んだら来てくれますか?」
「……まあ、来ないだろうな、あやつは」
ナーヒドはまた眉間の皺を深めることになった。
「とにかく、将軍は将軍になるまでいろいろな経歴を送っている者があるということにござる」
「ふうん……」
それ以上ナーヒドからの説明は期待できないと判断したのだろう、「何となくわかってきたからもういいです」とフェイフューが呟いた。ナーヒドは「左様か、よかった」と胸を撫で下ろした。
「しかし、何がどうして
「
ナーヒドが顔をしかめた。フェイフューに「どこで」と問い掛ける。フェイフューは臆することなく「王立図書館ですよ」と答えた。
「やとい主が教養を身につけるようにと本を読ませてくださるのだと言っていました」
「大きな家の豊かな主人ならばそういうこともござろう。自分の身の周りに
「それで、とてもたくさんの本を読んでいる、とても頭の良いひとなのです。ぼくより五つ年上だそうですが、とても丁寧な人で、ぼくにとてもいろんなことを教えてくださいま――した」
一瞬、声が震えた。その震えはおそらく怒りからくるものだろう。
「もう会えないかもしれないです……」
予想していたかのように、ナーヒドは穏やかに苦笑した。
「急なことでござったか」
「いえ……、ぼくには教えてくださらなかったのですが、前々から決まっていたかのような口ぶりでした」
「決まっていた――とは」
「帝国に行ってしまうのだそうです」
途端、だった。
「はあ? 帝国だと? サータム帝国か?」
ナーヒドが声を荒げた。
「なぜサータム帝国に?
「そうでしょう!?」
フェイフューも乗りかかるように声を大きくした。
「売られてしまうのですって! くわしいことは教えてくださいませんでしたが、やとい主の都合で、帝国に行かされてしまう、と。売られると言っていたのです!」
「そのようなことがあってたまるか」
ずっとこらえていたのだろう。小さな拳を握り締め、フェイフューはとうとう言った。
「ナーヒド、どうにかしてください! 助けてあげてください!」
「ああ、何とか――」
そう凄んだのも一瞬だ。
「――ならぬ」
次の時声が小さくなったのを、フェイフューは目を丸くして聞いていた。
「何ともならぬ」
「どうしてですか!?」
「きりがないからにござる」
口を開けて聞いていることしかできない。
「
「そんな……」
「だいたい、個人の家中の事情に公権力のかたまりである将軍が介入するなど、どこからどんな反発を受けるか知れぬ。相手は
ナーヒドは「王であれば」と言った。
「アルヤ王国国王であれば、助けることもできるのだが」
フェイフューが「王ですか」と呟いた。
「王であれば、どのようにできますか?」
「王が一言
「父上がいてくだされば止められたのですか」
「あるいは、先王陛下に代わる新たな王を立てることができれば」
そこまで言うと、フェイフューは黙り込んだ。ナーヒドはしばらくの間彼を眺めていた。彼は何も言わなかった。ただ呆然と床を見つめているだけだ。
ナーヒドの手が、ふたたび伸びた。フェイフューの華奢な手首をつかんだ。
「殿下が王になられれば、殿下の一声ですべてが解決する」
フェイフューが弾かれたように顔を上げた。
この時の蒼い瞳には、先ほどあったような強い光はなかった。どこか不安げにさまようその目がナーヒドの黒い瞳を見つめ返すことはなかった。
「けれど、それは、ソウェイル兄さまの――」
「良い機会にござる。殿下、改めてウマルにお会いなされよ」
「ぼくは――」
「殿下。殿下以外にはもういらっしゃらないのだ」
ソウェイルを否定されることは嫌だったらしい。次の時、フェイフューはナーヒドを強く睨みつけた。
「いいですよ。では仮にぼくが王になるとしましょう」
「仮に、など――」
「なるとしても、ですよ? ラームがサータム帝国に行ってしまうのには、間に合わない――のですよね、たぶん。あと半月しかないのです」
「ラーム――その
「はい、正しくはラームテインという人です。ぼくが王になると約束できればどうにかしていただけますか」
「どこの家の
「ナーヒドの役立たず。それでしたらやはりぼくは王になるのなどいやです」
ナーヒドが唇を引き結んだ。
「もういいです、ぼくが自分でどうするか考えます。ぼくのお友達です、ぼくが何とかしてみせます」
ナーヒドは自分を振り払って駆け出した小さな背中を見送った。見守るだけで結局何もできずじまいだ。
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