第2章:紫の猫と日輪の御子
第1話 紫の剣が好みにうるさいという話
話は三ヶ月ほどさかのぼる。
東側にある透かし彫りの窓から天上の恵みたる日の光が差し入り、幾人もの乙女たちが息を合わせ祈りを込めて織り上げた絨毯を照らし出す。絨毯に使われている糸は金、銀、白、青、碧、そして蒼――広大な宇宙とその支配者たる太陽を描いていた。アルヤ王家の印だ。
その王家を象徴するはずの宮殿を、今は異邦人が占拠している。
この国は三年前戦に敗北し王は首を刎ねられた。
王家は
たった一人だけ、人々の希望として戦火を生き延びた王子がいた。
この国の民としては珍しい、日の光を紡いだようなまばゆい金の髪の少年が、蒼い絨毯の真ん中に立っている。職人たちが精魂を傾けて組み上げた
祭壇の上の壁には、十対、合計二十の小さな金具が取り付けられている。そして、そのうち一対の上に神秘の剣が置かれている。
剣の鞘は紫に輝く塗料の塗られた鉱物でできており、
少年の――王家の唯一の生き残りである王子の傍らに立つのは、敗戦に伴い王家が廃されて以来彼の保護者となった青年だ。
青年は壇上の紫の剣同様いくつもの蒼い石の埋め込まれた鞘の大剣を腰に
「きれいですね」
王子が感嘆の息を漏らした。
「ナーヒドの蒼の神剣もテイムルの白の神剣もとてもきれいですが、この紫の神剣もすごくきれいですね。とても不思議な色です。どのような染料を使えばこんな色が出るのでしょうか」
頭の後ろで束ねた黒髪を尾のように揺らして、青年が王子を見下ろす。
「染物についての知識はござらぬゆえ確かなことは申し上げられぬが。自分が父から神剣を受け継ぐ前に聞いたところによれば、神剣とは身も鞘もすべて初代国王ソウェイル陛下がこの地に住まう女神に
王子が「ふうん」と曖昧な返事をする。
「女神さまが神剣をお持ちになって宮殿にいらしたのでしょうか。それとも、ご先祖さまがどちらかで神剣をいただいて、十本を抱えて宮殿に戻られたのでしょうか」
青年は首を横に振った。
「当時から今でいうところの十神剣に当たる十人の武人がソウェイル王のお傍に
「神剣たちより将軍たちの方が先だったのですね」
「そう……、最初は、十神剣は十人揃っていたのだ」
青年も顎を持ち上げて祭壇の上の紫の神剣を見た。
「十神剣は、十人揃ってこそ、だ。一人でも欠けていればその本来の力は発揮されぬ。紫将軍のおらぬ今の十神剣は国を守るには力不足にござる」
「ナーヒドもとても強くてかっこいいですよ」
「そうおっしゃっていただけるのはありがたいが――三年前、あの紫の
目を細めて、主を持たぬ最後の神剣を見つめる。
「紫将軍がいたならば。父君も、兄君も。守り切れたかもしれぬ」
王子が口を尖らせた。
「紫の剣はどうして主を選ばないのでしょうか。もう二十年くらいいないのでしょう?」
この魔法の剣は自ら持ち主を選ぶ。選ばれた者だけが剣を鞘から抜くことができるのだ。
神剣の主は前の主が死したのちに神剣自身が声を掛けて連れてくることになっている。前の主から次の主のあいだに開く期間は剣によってまちまちだが、大抵の剣はさほど間を置かずに次を選んでいる。
しかしこの紫の剣だけはいつまでも無言でここにいる。
「紫は
青年が呟くように答えると、王子が「えりごのみ?」と首を傾げた。
「よほど智謀に長けた者でないと受け入れられぬらしい。先の紫将軍は誰よりも博識で古今東西の戦術に明るい老獪な切れ者であったと聞く。紫の神剣はその紫将軍に匹敵するか超越できるほどの知恵者を求めているのだとか」
「神剣にも好みがあるのですね」
「蒼や白は先代の跡取り息子ならば誰でもいいようだし、東西南北も比較的扱いやすいそうだが、赤などもなかなか後継者を選びたがらず、ユングヴィが現れるまで何年か空白がござった。神剣はおそらく、それぞれの神剣、それぞれの将軍に合った資質というものを感じているのだろう。それぞれ、選ばれる理由があるのではないか」
「神剣はわがままです」
青年が珍しく相好を崩した。同僚たちが見たら驚くであろう穏やかな表情で頷いた。
「紫に合う方が現れるといいですね」
「ああ、一刻も早く。十人揃えばこそ、フェイフュー殿下のこともお守りできるのであるから」
どうやら満足したらしい、「帰りましょう」と言って王子が
「ユングヴィはすごいのですね。わがままな赤い神剣が選んだ特別な方なのですね。女性ですのにね」
「あいつも普段はああだが、きっと性別を乗り越える何かを赤の剣に感じさせたのだろうな」
「今度赤の剣もゆっくり見てみたいです。ナーヒドからお願いしてみてくれませんか?」
「今度お会いになった時に直接本人におっしゃってみればいかがか」
「どうでしょう。ぼく、ユングヴィにさけられているような気がするのです。きらわれているのかもしれません」
「ご心配召されるな。奴は穏やかで一本気な性格ゆえ、御年九つの殿下に対して無体なことをする人間ではないからして――」
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