第4話 宮殿の南東の庭には小さな家が建っていて

 二人はふだん旧蒼宮殿の敷地内で暮らしている。

 蒼宮殿本体改めアルヤ総督府は、現在、サータムから派遣された総督のための宮殿となっている。

 とはいえ、総督はかつて王の所有していた広大な私有地すべてを直轄しているわけではない。むしろ大半は一般民衆に開放されていた。蒼宮殿の敷地とされていた土地も今なお半分はアルヤ人官僚の管理下に置かれている。

 ユングヴィも、結局、軍の要人としてエスファーナ攻防戦以前のままの暮らしを続けていた。家本体も内部を片づけただけでほとんど変わっていない。

 ただ、同居者が一人増えただけだ。

 案外見つからないものだ。関係者の半分はすぐ傍を出入りしているというのに、まだ誰にも指摘されたことがない。城壁の門を守る白軍兵士たちの口が堅いおかげもあるのだろうが、彼らを束ねているはずの白将軍テイムルからも何も言われないとは――安堵を通り越してテイムルが本気で職務に取り組んでいるのか怪しんでしまうくらいだ。

「つかれた。おぶってくれ」

「何を言ってるの、この大荷物でおんぶできるわけないでしょ、見れば分かるでしょ」

 拗ねた子を引きずるようにして北東へ歩き続けていく。

 やがて宮殿を囲む城壁に辿り着いた。目指すは宮殿の南東、軍人が出入りするための門だ。

 門をくぐって内部に入ろうとした時、門番をしている白い制服の兵士が敬礼してきた。荷物を抱えているユングヴィは、会釈だけ返して「お疲れ様です」と言った。

 不意に声を掛けられた。

「ユングヴィ将軍」

「あっはい」

 立ち止まって振り向く。

「外へお出掛けだったのですか?」

 ここで足止めを食うのは嫌だった。いつ何時連れているこの子について根掘り葉掘り訊かれるのかと思うと自然と緊張した。

「そう、ですけど。今日はお休みの日なんで、食料品のまとめ買いをしに、中央市場まで」

 幸か不幸か、目的は同行者の件ではなかった。

「はあ……、ですが――」

「何か?」

「いえ、」

 ユングヴィは、血の気が引くのを感じた。

「テイムル将軍が十神剣会議を開くとおおせだったので、もう終了したのかと」

 すぐ隣で、『少女』が「かいぎ」と繰り返した。

「……あっ、そう言えば、なんか、あっ」

「ひょっとして、カイギ、すっぽかしちゃったのか?」

「すっぽかしちゃった!」

 同行者に「まずい、走ろう!」と告げるなりユングヴィは本気で駆け出した。「いーけないんだー」と呑気に歌っていた同行者が、「えっ、うそ!?」と焦って追いかけてくる。門番は苦笑しながら敬礼した。

 すっかり忘れていた。昨日の帰り際白軍の別の兵士から聞かされていたのをいまさら思い出した。早く帰りたい一心で上の空だったのだ。

「ちょっ、待って! 待ってくれユングヴィ!」

 『少女』が荒い息で追い縋ってくる。すでに息が上がっている。この子を待っていたらそれこそ日が暮れてしまう。

 宮殿の東側の庭園を駆け抜ける。

 わざと無造作に植えられた木々の間を、ユングヴィの歩幅ほどの水路が流れている。白亜の水路を流れる水は清らかだ。エスファーナの北の山中から地下水路カナートを経てここまで人工的に流しているものであり、触ると冷たくて気持ちがいい――などというのは今はどうでもいい。

 目線の先、木々の隙間に小屋のような家が見えてきた。

 ユングヴィはひとまず先に家にたどり着いた。

 すぐさま鍵を開けて中へと滑り込んだ。

 卓の上に荷物を放り出す。

 直後即座に駆け戻る。

 後ろをどうにか追ってきている『少女』を荷物ごと抱え上げた。

「速い!」

 『少女』を家の床に下ろした。

 すぐに戸を閉めた。

「もういいよ」

 ユングヴィがそう言った途端だった。

 その子は自ら『少女』のマグナエを引き剥がした。

 マグナエの下から出てきたのは、蒼い色の髪と瞳だった。

 空を染める太陽と同じ色の髪と瞳だった。

「やっとうち着いた」

 朗らかに笑う顔も大きな瞳に小さな鼻と口の少女めいた面立ちだったが、

「女の子は本当にたいへんだな。外に出る時いっつもこんなかっこうしなきゃいけないんだと思うと、おれが本当に女の子だったら絶対にいやになっている」

 衣装を脱ぎ捨てた時下から出てきたのは、男児の略装をまとった体躯だ。

「はー、つかれた」

 ユングヴィは苦笑すると、蒼い髪を掻きむしるように撫でてから言った。

「でも他に外に出してやる手段がないんだ。ごめんねソウェイル」

 ソウェイルが首を振って答える。

「いい、だいじょーぶ。おれ、ユングヴィといっしょに外に出られるというだけですごい楽しい」

 たまらなくなってソウェイルを抱き締めた。きつく締め過ぎたらしく、腕の中でソウェイルが「いたい!」ともがいた。

 三年間ずっとこんな調子だ。

 ソウェイルはユングヴィが休みの日にしか家の外に出られない。月に片手で数えられるほどしか、家の外に出すことができない。

 ソウェイルは愛玩動物ではない。しかも年々背丈が伸びてきている。九歳になって自分というものが強くなってきたのか、最近は言うことも変わってきたような気がする。

 それでも、ユングヴィが留守の間は家から一歩も出してやれない。監禁しているも同然だ。

 ソウェイルの蒼い髪はあまりにも目立ち過ぎた。すぐ人の目に留まるだろう。

 見つかった後が恐ろしい。

 相手がアルヤ人であれば庇ってくれるはずだ。『蒼き太陽』が生きて目の前にあることを喜ぶに違いない。ひざまずいてソウェイルに忠誠を誓うはずだ。

 相手がアルヤ人でなかった場合は、いったい、どうなるのだろう。アルヤ人にとっての『蒼き太陽』は自由と独立の象徴だ。サータム人たちはそんな『蒼き太陽』を邪魔だとは思わないだろうか。

 目の前に総督府がある。太陽を、この蒼い色を、神聖だとはまったく考えないサータム人たちがいる。

 ソウェイルが帝国側に引き渡されてしまった時のことを考えると、ユングヴィは背中が寒くなる。万が一そんなことになってしまった場合にも自分一人でソウェイルを守りきれるとは思えない。

「本当にごめん」

 ソウェイルがまた首を横に振り、ユングヴィの頬に髪を擦り寄せてきた。

 聖なる蒼い髪を、だ。

 いつの日のことだったか、ソウェイル自身が、こんな色の髪でなかったらよかったのにと言って短く切ってしまった髪を、だ。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ユングヴィ。おれ、毎日楽しい」

 そんなはずはない。遊びたい盛りのはずなのに、毎日自分の帰宅を待つだけの暮らしを送っている。

 ソウェイル自身も分かっているのだろう。自分の蒼い髪がどんな意味をもつのか、生まれた時から蒼宮殿が陥落した日までの六年間ずっと語り聞かされてきたのだ。

 いつでも好きな時に自分でこの家の戸を開けて出ていくことができるのに、ソウェイルは、けしてそうしようとはしない。ずっと一人でユングヴィの帰りを待ち続けている。

「何とか……、今日こそ何とか、テイムルに話してみるよ。白将軍なんだからきっと何とかしてくれると思うんだ」

 すると、ソウェイルは耳元で「むりしないでくれ」と囁いた。

「おれは今のままでじゅうぶんだ」

「ソウェイル――」

 「そんなことよりいいのか」と、ソウェイルが問い掛ける。

「十神剣カイギ」

「いくない。ぜんぜんいくないぞ。絶対またナーヒドに怒られる。絶対またナーヒドにめっちゃくちゃ怒鳴られる」

「いってらっしゃい。おれ、ちゃんとるすばんしてる」

 ユングヴィはソウェイルを離すともう一度蒼い髪を撫でた。解放されたソウェイルは、ちょっと笑ってから小さなリンゴをかじった。

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