第3話 エスファーナは世界の半分

 エスファーナ中央市場は今日も賑わいを見せていた。復興した、というよりは、まるでもともと戦などなかったかのようだ。


 幅広い目抜き通りが行きう人々で埋め尽くされている。

 あちら側からこちら側へ、こちら側からあちら側へ、思い思いの衣装を着た人々が人波に乗って自由に練り歩いている。黒い髪から金の髪、肌の色の濃い者薄い者、立て襟の襯衣シャツから一枚布を巻きつけたものまで、中央市場は買う方も売る方も多種多様な地域からはるばるやって来て集まる。


 中央市場とは三十を超える市場の集合体の通称だ。それぞれの市場は取り扱っている商品の分野ごとに独立して運営されている。絨毯市場、革製品市場、銀細工市場――いろいろな市場が集まっている中、地元の人間がもっとも足しげく通っているのはユングヴィが今いる食品市場だった。


 この市場は大昔の王がその財をありったけ注ぎ込んで整備したと言われている。

 天井があり曇り硝子ガラスの屋根が全体に覆いかぶさっているので、アルヤ高原の灼熱の太陽も真昼間でも薄まっているように感じる。人々は店舗が開いている限りいつでも安心して買い物することができた。

 店舗は通りごと同じ大きさに造られており、歩いていると似たような店がずらっと並んでいるように見えるが、客引きをする商人たちは個性的で話を聞いているだけでも面白い。

 通りを脇に入っていくと旅をする商人たちのための隊商宿につながっている。ほんの少しの金を払えば老若男女が隊商宿の中にある公衆浴場で汗を流すことができた。


 ユングヴィは、買い込んだ石焼きの薄い麺麩パンを袋ごと抱き締めつつ、大きく息を吐いた。


 学もなくアルヤから出たこともないユングヴィにはいまいち想像がつかなかったが、聞いたところによると、アルヤという国は東大陸のほぼ中央に位置しているらしい。そしてその国土の東西を横断かのするように東大陸の果てから西大陸へ通じる大通商路の中央部を抱えている。

 大陸中を練り歩く商人や旅人向けに国際市場や宿場町が自然と造られていく。通商路沿いはそこで落とされる利益で潤う。


 アルヤに数ある都市の中でも、首都エスファーナは大陸一とうたわれる規模の巨大中継貿易地点だ。役人が管理しきれない数の市場とそれを使い回せるほどの人口を有する。

 世界の半分、砂漠に咲く一輪の薔薇、百万都市エスファーナ――不毛な砂漠の広がるサータム帝国にとっては喉から手が出るほど欲しい土地だったに違いない。


 この大賑わいはもうアルヤ人だけで分け合えるものではなくなってしまった。


 自分たちが守れなかったせいだ。自分たちはアルヤ人の富をサータム人に明け渡してしまった。


 それでも、エスファーナは死なない。中央市場には今なおさまざまな国の出身者たちがひしめき合っている。


 邪魔にならないよう少しずつ歩きながら、抱えている袋の中身を見た。

 石焼き麺麩パン――買った。発酵乳ヨーグルト――買った。羊肉――買った。あとは果物で終わりだ。


 青果通りにはさまざまな果物が並んでいた。定番の西瓜や葡萄から、常に暖かいと聞く南洋の果物、舶来の品種らしく食べ方の分からないものまで売られている。色とりどりの果実が所狭しと置かれているさまは、中央市場の、あるいはエスファーナの縮図のようだった。


 馴染みの果物屋へ目をやる。


「ほれ、お嬢ちゃん。今朝のもぎたてだ、お食べ」


 恰幅の良い店主が、その太い指に見合わぬ小さな林檎を差し出していた。

 店の前に立っていた黒づくめの『少女』が素直に林檎を受け取った。


 『少女』は大きな一枚布で作られたチャードルという体の線が出ない外套に身を包んでいた。顔も下半分は黒い布で厳重に覆い隠している。あちらこちらで見掛ける砂漠ならではの女性の服装だ。背丈はまだ小柄で若干幼いくらいではあったが、さほど不自然ではなく喧騒に溶け込んでいる。


 ユングヴィは、布を緩めて林檎をかじろうとする『少女』に急いで歩み寄り、大声で「こら」とたしなめた。


「そういうことは外じゃするなって言ってあるでしょ、はしたない」


 『少女』が肩をすくめた。


 店主が野太い声で『少女』に助け船を出した。


「ちょっとぐらいいいじゃねぇか、お兄ちゃん。こーんなちっちゃいうちからこーんな厳しく布巻いて可哀想じゃねぇの」


 お兄ちゃん、という言葉が胸に突き刺さった。男だと思われているのだ。何度も通っている店の主にまでまだ男性に間違われているとはと思うと少し切なかった。


 とはいえ、自分もあえてマグナエではなくターバンを巻いている。筒袴に短い胴着ベスト、その上から羽織った外套――どこからどう見ても男の恰好だ。だがいざという時に動きやすいという理由で選んだものでユングヴィはすすんで男装しているつもりもなかった。


 通りを行き交う女性たちを見下ろす。

 ユングヴィの目線では見下ろせるほど世間の女性というものは小柄に思える。自分は平均より頭半個分以上背が高いのだ。女性らしい小柄で華奢な体格ではない。


 変装の必要がないということだ、気が楽ではないか――そう自分に言い聞かせて、ユングヴィは口を開いた。


「すみません、お代は?」

「いやいや気にしねぇでおくんなさい、そいつは小さくて売り物にならねぇんだ。小さいだけで中身は問題ねぇから、皮を剥かずにそのままかじっておくんなさい」


 店主が「うまいぞ、おうちでお食べな」と、『少女』に微笑み掛けた。『少女』が大きく頷き、明るい声で「ありがとう」と応じた。


「素直な良い子じゃねぇの」

「ありがとうございます。あ、林檎、これと別に五個ください」

「あいよ、まいど」


 袋に入れられた林檎を『少女』に手渡す。『少女』が片手に貰いものの林檎を持ったままもう片方の手で袋を受け取る。


「ほれ、仕事しろ、荷物持ち」

「きびしい『お兄ちゃん』だ……」

「ぶっ飛ばすよ」


 店主が手を振る。『少女』が手を振り返す。


「まったく、あっちふらふらこっちふらふらして! ちょっとはチャードルの意味を考えなよ」


 『少女』の林檎を握っている方の手首をつかんで引いた。

 引っ張られて痛んだのか、『少女』が小声ながらも不満であると伝わってくる調子で訴えてくる。


「これ、いつまでかぶってればいいんだ? まだぬいじゃダメ?」

「そーんな髪の色してこーんなところでチャードルを脱いだら目立っちゃって目立っちゃってしょうがないでしょうが。家まで我慢しなさい」


 家までは多少の距離を歩かねばならない。『少女』が「ちぇー」と唸るように言った。ユングヴィは「それらしくしなよ、『お嬢ちゃん』」と言って後頭部をはたいた。




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