第2話 それは日輪に似た輝きの
蒼い
右手には宮殿の中庭、今なお美しい国内最大級のアルヤ式庭園がある。
九つの噴水から東西南北に水路が流れる。水路に区切られた空間には木が植えられており葉を青々と茂らせていた。
しかし今のテイムルとナーヒドには庭園を眺める心のゆとりはない。
水と緑の楽園エスファーナはこの砂漠で最大の
早足で通り過ぎる。
かつては王とその家族である王族が暮らしていた、今は総督が一人で占有している北の区画を出て、南の区画、正堂の中央へ向かった。
正堂の正面、宮殿全体から見てももっとも南端に歩いていく。目指すは宮殿の正面玄関だ。
広大な玄関広間もまた大きな円天井で覆われている。円天井には
その照明の下に、蒼い武官の制服を着た青年たちが数人輪を描くようにして立っていた。
「――諦めるにはまだ早い」
ナーヒドが力強い声音で言う。
「この国の太陽はいずれまた昇る」
武官たちはいずれも外を向いていて互いのことは見ていない。彼らはあくまで自分たちの輪の中心に立つその存在を守るためにいて、同胞たちのことは深く信頼しているのでわざわざ見つめ合う必要はなかった。
「今日我々が何のためにわざわざウマルの下へ膝を折りにやってきたのかを思い出せ」
軍神と仰ぐ隊長が戻ってきたことに気づくと、青年たちは一斉に二人の方を向き、静かにひざまずいた。
彼らがひざまずいたことによって、彼らの中心にあったその存在が姿を現した。
その体躯は兵士たちに埋もれてしまうほど小柄――というより幼かったが、影から出た途端その存在感の大きさを玄関広間にいる全員に見せつけた。
柔らかで滑らかなまっすぐの髪は、アルヤ人では珍しい黄金をしている。太陽から放たれる光をその身に宿したかのようだ。
幼い顔いっぱいで表現した笑顔も自信に満ち溢れ堂々として見える。まるで彼こそこの国の太陽なのだと思い込ませる輝き方だ。
彼の大きな瞳がナーヒドを捉えた。
その瞳の色は神聖な蒼だ。
アルヤ民族の太陽の色だった。見る者にこの瞳の放つ光が日輪となって彼の金の髪を紡いだのかと思わせるほど、深くも淡い、しかし、揺らぎのない蒼だった。
「ナーヒド!」
兵士たちを乗り越え、彼が小走りで寄ってくる。ナーヒドもまた歩み寄る。
互いに、手を、伸ばし合う。
ナーヒドがその場に膝をついた。
小さな手がナーヒドの肩をつかみ、大きな手が日輪の御子の背へ回った。
二人が触れ合うと、日輪の御子が嬉しそうに笑った。
「お待たせ致した、フェイフュー殿下」
日輪の御子――フェイフューは、ナーヒドの首に腕を回しながら、「おかえりなさい」と言った。
蒼い瞳は、王族の証だ。
テイムルは、細く長く息を吐いた。
『蒼き太陽』ソウェイル第一王子は失ったが、太陽の血を引く者として、第二王子フェイフューが、まだ、生きてここにいる。
「ナーヒドがウマルのきげんを損ねていたらどうしましょうと、たくさんたくさん心配していました」
「なんと。そのようなこと、殿下がご心配召されることではない」
フェイフューはまた、明るい声で笑った。
「ナーヒドが守ってくれるからぼくはここにいるのですよ。あまり軽はずみなことはしないでください」
まだ九つの王子に言われて、ナーヒドが言葉を詰まらせる。テイムルが「フェイフュー殿下は何もかもお見通しだ」と苦笑する。
第二王子フェイフューはたった一人の王族の生き残りだ。
三年前のエスファーナ陥落の時――太陽の首級が挙がり誰もが絶望したその時、蒼軍と白軍が総力をかけて探し出した最後の太陽の御子だった。先王の五人いた子供たちの中でたった一人だけ救出に成功した、そして、ナーヒドの父親が自身の首と引き換えに命乞いをした、今や唯一となったアルヤ王国の王子だ。
「フェイフュー殿下」
テイムルがフェイフューに呼びかける。フェイフューが明るく「はい」と応じる。
「不自由はございませんか? ここにいて、帝国の誰かに声を掛けられたりはしませんでしたか」
「大丈夫です、蒼軍のみなさんがずっと見ていてくださいましたから」
「ここにいらっしゃるまでは? ナーヒドはうるさくありませんでしたか。今日宮殿に上がるに際していろいろ申し上げたでしょう」
フェイフューはなおも明るい声で「はい」と答えた。ナーヒドが眉間に皺を寄せた。
「でも仕方がないですね、ナーヒドの心配性が直らないですから。今のぼくの仕事はナーヒドの話を聞いて安心させることです」
テイムルが笑った。ナーヒドが「笑うところではない」と威嚇するような声を捻り出した。
フェイフューを離す。フェイフューがまっすぐ立つ。
テイムルもまたナーヒドに続いてひざまずく。
サータム人相手にと思うと屈辱的だが、アルヤ王家の蒼い瞳のフェイフューに対してなら、何のためらいもなく膝を折ることができる。
「ウマルと話をしてまいった」
フェイフューが「どうでしたか?」と問うてきた。ナーヒドは声の調子を一切落とすことなく、広間にいる誰もが聞こえるような声音で言った。
「王家の再興を約束致した」
フェイフューがその蒼い瞳に強い輝きを燈した。
しかし、
「フェイフュー殿下がご成人のあかつきには殿下がアルヤ王として即位なさることをウマルが了承致した。アルヤの民をふたたびまとめるためには、太陽は必要なものである、ということを、ウマル自身が申した」
それを聞いた途端、フェイフューの顔から笑みが失われた。
「そうですか」
声の調子も落ちた。
「ぼくが、ですか」
ナーヒドとテイムルは顔を見合わせた。
「兄さまではなく」
フェイフューが冷たい目で続ける。
「『蒼き太陽』がいらっしゃいますのに。ソウェイル兄さまがいらっしゃいますのに、ぼくが王になるなど、おかしいと思うのですが」
テイムルは足を伸ばしてフェイフューの肩をつかんだ。
「殿下……、ソウェイル殿下は、もう――」
「テイムル、白将軍のあなたがそれを言うのですか? ソウェイル兄さまはあなたの太陽なのではないですか。他のだれが何と言おうとも白将軍であるあなたがそれを言ってはなりません」
誰よりも強い語調で、しかし顔だけは年相応の聞き分けのないこどものまま、首を横に振る。
「あきらめることはありませんよ」
「ですが――」
「兄さまは生きておいでです。絶対。兄さまに何かあったら、ぼくには分かるはずですから」
その声には、一切の迷いも疑いもない。
「だってぼくらは双子の兄弟なのですからね」
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