第一部:静かなる兆《きざ》しの中で
第1章:日輪の御子と蒼き太陽
第1話 帝国の狗
旧アルヤ王国、現サータム帝国アルヤ属州の首都エスファーナが最後に戦場となった通称エスファーナの攻防戦から数えて、はや三年の歳月が流れた。
「くそッ」
「ウマルの奴、上からものを言いおって!」
一人は、アルヤ王族の象徴であった蒼い色の
「帝国の
「ナーヒド、落ち着いて」
もう一人は、全身白一色に色とりどりの刺繍のなされた衣装をまとっている。大きな瞳は年齢のわりに幼く、もう一人よりも背が低く小柄に見えてしまう辺りも相まって、ともすれば少年と勘違いされることもしばしばだ。散切り頭ははしばみ色をしている。
「声が大きいよ、周りに聞こえている」
「聞こえるように言っているのだ」
黒髪の青年――ナーヒドが、「お前は悔しくないのかテイムル」と、隣を歩くはしばみの髪の青年――テイムルに訴えた。
「我々は太陽に仕える軍神だぞ!? それが総督だか何だか知らんがサータムくんだりからのこのこやってきた男に膝をついて許しを請わねばならんこの有り様!」
「仕える、はずだった、ね。僕たちが神剣を抜いた時には太陽はもう沈んだ後だったよ」
自嘲的なテイムルの言葉に、ナーヒドは「ああ、もう」と苛立ちをあらわにした。自分の髪を掻きむしる。髪を結っている紐が緩んでずり下がる。
「もういまさらじゃないか。何度も言っているけれどね、僕はアルヤという国が残っただけよかったと思っているんだよ。税金さえ納めることができれば、民衆は帝国と同じ法の下で暮らせる。アルヤ語も王国だった頃と同じように使えるし無理な改宗もしなくて済んだ。これ以上何を望むというの」
「弱気過ぎる!」
「僕たちは負けたんだよ? 民衆も太陽も守りきれなかったんだ、この事実はどれだけ嘆いても動かしようがない」
テイムルは「アルヤの民衆を守るためには、僕たち将軍が積極的に膝を折らなければ」と呟くように言った。それはまるで自分にも言い聞かせているかのようにも響いた。
「ねえ、エスファーナの守護神、
ナーヒドは眉間の皺を深くした。
「俺はお前のそういうところが嫌なのだ」
「そういうところ? どういうところ?」
「太陽を失って一番つらいのはお前だろう、
テイムルはうつむいた。
「怒りたかったら怒れ。泣きたかったら泣け。守るべき王のない近衛隊など何のためにあるのだと、少なくともお前ら帝国の要人警護のために生きているわけではないのだと、ウマルに言ってやったらよかったのだ」
「だから、それをナーヒドが言ったらだめだよ」
テイムルの声は震えている。ナーヒドは「お前が言わないから代わりに言ってやる」と開き直った。
「戦うことより、うまくやることを考えなければ」
「そうだな。サータムの蛮族どものせいで二目と見られない姿になったエスファーナの再建に尽力しなければならん」
ナーヒドが言うほどエスファーナは破壊され尽くしたわけではない。家屋の倒壊は帝国軍が砲撃を行なった部分のみにとどまり、古くからの市場などはそのままで営業を再開している。
アルヤ属州に派遣されている総督ウマル
かの大帝国サータムがアルヤ王国を欲していたのだ、それだけアルヤ王国が豊かであったということだ――アルヤの民衆は口々にそう言っては互いを慰め合っている。
「そのためには、サータム人だって何だって、
ナーヒドは溜息をついた。
「お前、変わったな」
「変わるよ。僕はすっかり何をしたらいいのか分からなくなってしまったからね」
責めるような口ぶりで、「それこそナーヒドの言うとおりだよ」と言う。
「僕はずっと『蒼き太陽』のために死ぬんだと信じていた。それが叶わなくなった今、僕は、
アルヤには十人の将軍がいる。ひとはその十人を一まとめにして十神剣と呼ぶ。将軍が、神から授けられた聖なる
十神剣は基本的に世襲のものではない。アルヤ人であることすら必要な条件ではない。神剣が抜ける者、条件はたったそれだけだ。
しかしうち二本、蒼の剣と白の剣だけはなぜか代々特定の家の跡取りだけが抜けるようになっていた。
前者がナーヒドの家であり、後者がテイムルの家だ。
二つの家は互いに支え合い補い合って血脈を保ってきた。今の代も、ナーヒドの母親とテイムルの母親が姉妹であり、二人は従兄弟同士に当たる。
十神剣は軍神であり軍人ではない。正確には、
軍に籍を置く身となると分かっている以上は、軍神として軍人たちの規範となるべきである。
ナーヒドは中部守護隊、通称
だが、実際に二人が将軍に就任したのは、三年前、アルヤ王国敗戦の後のことである。二人の父親たちが王族に殉じてしまったためであった。
二人は、今なお、息子たちにすべてを放り出してそれぞれ本懐を遂げてしまった自分の父親たちを妬ましいと嘆いている。
「……悪かった」
素直に謝罪したナーヒドに、テイムルは「いや、いいよ」と返した。
「蒼将軍はエスファーナがある限り生き続けられるんだろう。僕は……、白将軍であるところの僕には、生きている価値はあるのかな。僕のソウェイル殿下はもうどこにもいないというのに」
「そういう言い方はやめろ。……お前が嫌な思いをするだけだろう」
「うん。そうだね。もう何十回、何百回言ったか分からないけれど――本当に、むなしくなる一方だね」
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