十年目の区切り

 買い物をしにスーパーによると、あんこでもち米を包んだ例の食べ物があった。

 ええと、今は春のお彼岸だから「ぼたもち」でいいのかな。

 私はぼたもちがあまり好きではなかった。

 もち米の食感が残ってる中にあんこを食べるというのがよくわからなくて、それならあんこを掛けた団子や餅でいいじゃないかと思ってしまうからだ。

 それに粒あんもあまり好みじゃない。

 こしあんの方が好きだ。


 それはともかく、最近は地震が多い。

 一昨日に大きな地震があり、それはあの震災ほどの規模じゃなかったにせよ、中々に大きくて働いている職場の色んな所がボロボロになってしまった。

 その復旧のために一週間は費やし、なおかつ品物の納期は待ってはくれないのでそれを守るために毎日残業や時には休出もしなければならない。

 休みや勤務時間の長さに煩くなったこのご時世に珍しく結構働いている。

 まあ、ブラックな企業なんかは年がら年中働き詰めで過労死なんてしてるんだろうけど。

 いつになったら理想的な環境で全人類が働けるのかな。

 

 十年目。

 もうそんなにも経っていたのかと思わずにはいられない。

 当時の事を思い出すにはちょうどいい時が過ぎたように思う。

 震災翌年ではまだ記憶に新しく、五年でもまだ中途半端だ。

 とはいえ、時期が近付くにつれて頻繁にテレビで特集が組まれてあの時はああだ

こうだとやってるもんだから嫌でも思い出すものだが。

 

 震災の時の大変さや何があったかなんて語りつくされているし、私は語る気にはなれない。

 それよりも、今日散歩していて空に瞬いている星空を見て思い出したのだ。

 音が消えて、地上に瞬く光が全て失せて、ただ冷たい空気の中に星空だけが輝いていた時の事を。


 月並みながら、世界が終わるとしたらたぶんこんな時なんだろう。


 もちろん、世界は終わりなどしなかった。

 何時になったら世界は終わるのか。

 自分が生きているうちには終わらないのだろうなという漠然とした意識があった。

 世界が終わる前に、自分が終わる方が間違いなく速い。

 それがいつかはわからないけれど。


 十年。

 過ぎてしまえばあっという間で、でもずっと忘れない人や、何があったかを記録で知っていても実感がない人もこれから増えるだろう。

 私はといえば、自分に出来る事をやるしかないわけで。

 せいぜい備蓄の食料や生活用品を揃えたり、水をためる為のポリタンクを買ったりとそれくらいしか出来ない。

 あまりにも大きな出来事で、色んな人の色んな経験があった。

 でも粛々と日々は進んでいく。

 

 私は今日もブラックの缶コーヒーを飲みながら歩く。

 明日には何が起こるかわからないけど、それでも生きるしかない。

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