残暑

 九月に入ったってのにクソ暑い。

 最近の異常気象はまさに異常としか言いようがないくらいで、昼間は外に出るのが本気で命の危険を感じるくらいにヤバい。

 気温は言うにおよばず、湿気が物凄くて暑いと評判の東南アジアやアフリカの人々ですらも日本は暑い、どうなってるというコメントを残すくらいだ。

 この暑さにタメを張れるのは恐らくは砂漠の国であるUAEやイランやサウジアラビアくらいだと思う。あの辺の湾岸沿岸諸国も、気温が50度を超えてなおかつ海からやってくる湿気でヤバいらしい。


 それはそうと置いといて。

 都会から田舎の実家に戻るにあたって、すっかり忘れていた事があった。

 

 駅から実家まで、めちゃくちゃ遠いって事を。


 車がなければ歩いて一時間くらいかかる距離。

 間の悪い事に、今日は平日。

 というか今くそ遅れた夏休みを取得していて、実家も帰って来いとうるさかったので帰ってくるかと思って連絡を入れていたのだが、生憎だれも迎えに来れないという事実が今日になって発覚した。

 連絡入れといてこれかよ。

 で、地元の友人にも連絡を入れてみたものの、当然彼らにも仕事があるので迎えになんか来れる訳がない。

 仕方ないからタクシーでも頼もうかと思ったが、料金調べたらめっちゃかかるってのが分かったのでどうしようかと悩んだ結果、結局歩いて帰る事にした。


 九月の中旬にもなれば少しは涼しくなると思っていたが見込みが甘かった。

 日光が遮られる曇りの日であればもう十分涼しいと感じられるくらいに空気は変わっていたのだけど、まだまだ日の力は強い。

 一時間歩くのは大丈夫かと思っていたが、もうガキの頃とは体力も耐久力も違う。

 というかここ十年でマジで気温が上がってて、最高気温が40度とかやっぱり死ぬって。

 大分歩いてきても、田んぼ以外何もないと来たもんだ。

 せめて自販機くらいどっかの道すがらにあればいいのにそれすらない。

 駅で買った水は全部飲み干してしまった。


 これから山道に入るってのに、喉がからからで体も疲れてもう一歩も歩けない。

 仕方なく、木陰に入ってスマホで連絡を取るものの、やっぱり出る者は誰もなし。

 木の下で途方に暮れてうずくまっていると、一台の軽トラックが止まった。


「おーい。何してんの? そこの人」


 その声に、俺ははっと顔を上げる。


「小鳥遊さん」


 俺の色褪せた記憶が、一気に蘇ってくる。

 

 俺の実家の隣、と言っても結構離れた場所に家があって、そこの三姉妹のうちの一人の長女。

 今は確か、年齢が30かもうちょい上かだったとは思うが……。

 その時と比べてもまだ老けてるようには見えないな。

 今の人は昔に比べたら老けこむ程の重労働はしてないからと言う話もあるが、それ以上に若い。


「あ、もしかしてトシ坊? いやーおっきくなったねえ。どしたの今日は」


 小鳥遊さんも俺に気づいたようだ。


「親が帰省しろって煩いもんで帰って来たんすよ。実家には兄貴も姉貴も居るし寂しい事なんてないだろうに、俺が帰ってこなくても何の支障もないでしょう」

「親は何時だって子供の事が心配なんだよ。わかってやりな。特に末っ子ならね」

「小鳥遊さん、お子さんもういるんすか?」

「そらぁこんな田舎にいたら、ね」


 それ以外やる事ないし、みたいな言葉が後には続きそうだった。

 そうなんだよな。

 田舎、娯楽クソ少ねえし、で、暇持て余した若い連中が何するかっていったらそらぁナニするかしかねえじゃん? って話で。

 んで、そしたらもう子供できて親になって、って事。

 俺はそういうのが嫌で親にワガママ言って大学行ったんだけども。


「軽トラのってなにしてんすか」

「軽トラのってたらやるこた一つだろ。農作業だよ。もう帰りだけどね」


 そういや頭には麦わら帽子被ってんな。あと日焼けが凄い。

 健康的な、というイメージとはもう日焼けは程遠い気がする。

 日に焼けすぎると皮膚がん? になるんだっけ。

 んなこと聞いたような気がする。


「日焼け止め塗っててもこれだからね、やんなるよ本当に。それで、今どうしたの。木陰でくたばってるように見えるけど」

「見た通りっすよ……。助けてくれませんか」

「実家まで君を持ってけばいいのか、じゃあ乗ってきな。どうせ帰り道に通るんだ」

「ついでに、飲み物持ってないすか。喉からからでヤバいんすよ」

「まだ麦茶残ってるから、乗りながら飲みな」


 のろのろと助手席に乗って、軽トラは山道を軽快に駆けてゆく。

 よく冷えた麦茶が体にしみていく。

 うまい。


「まぁトシ坊、本当になんつーか大きくなったよね。オシャレにもなって、都会の風に染まったかぁ?」

「別に……」

「私が知ってたのはちっちゃーい頃だったからね。小学校6年生くらいまでかな?」

「それ以降は姉ちゃんのほうも、高校生で寮に入るだかなんだかで家から離れてたからでしょ」

「あ、姉ちゃんって呼んでくれんの? 懐かしいねそれも」


 実際、俺と小鳥遊さんはガキだった頃よく遊んでもらっていた。

 なんで遊んでくれたのかよくわからないけども。

 

 俺は姉ちゃんのことが好きだった。

 流石にガキの頃の思い出として、今は胸にしまっているけど。


「トシ坊、私の事好きだったでしょ」


 バレてましたか。


「見てりゃわかるよ」

「今でも好きっすよ」

「そう? 嬉しいね。でもほら、今はもう流石におばさんだしさ」

「そんなの関係ないっすよ」

「……おばさんをからかうのはやめときなよ」


 そう言いながらも、小鳥遊さんの顔は少しだけ赤らんでいた。

 

 ひぐらしの鳴き声が山から響き始めていた。

 

 いつの間にか、お互いに無言になっていた。

 そして、俺の実家にトラックは辿り着く。


「着きましたね」

「うん」

「じゃあ、降りるんで。ありがとうございました」

「ねえ、トシ君」

「なんすか?」

「いつまでここに居るの?」

「そうっすね。一週間は居るんじゃないっすか。遅めの夏休みなんで」

「へえ」


 その時、小鳥遊さんが少しだけ口の端に笑みを浮かべた。


「たまにはうちにも遊びに来なよ」

「え、旦那さんとかお子さんとかいるんじゃあ?」

「いるけど、君の事は旦那も知ってるし、子ども好きでしょ?」

「ええまあ」

「だから、少しくらいいいじゃん」

「それなら、まあ」


 そう言い残して、小鳥遊さんは帰っていった。

 

 まだ妙に、俺の体は熱を持っている。

 燻っていた熾火のように。

 

 

 

 

 

 

 

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