帰って来る
私は故郷に帰って来た。
故郷の川はいつ見ても冷たく、流れはゆるやかながら澄んでおり、そのまま飲めそうなくらいの透明さを見せている。
例年であればじわじわとセミが煩く鳴いている頃合いなのだが、昨今の暑熱のせいか虫たちも昼間はどこかに潜んでしまっている。
夏の熱だけが昼夜を支配し、私たちはどこか熱のせいで上の空になっている。
夏の昼が暑いのは当たり前にしても、夜になっても暑さがひかないのは本当に参っている。
おかげさまでエアコンの稼働率は100%を示し、毎日忙しく冷風を送ってくれているこの機械には拝まずにはいられない。
ありがとう、今年もあなたのおかげで夏を越せそうです。
お盆の時期。
帰って来る人々を迎える為に、乗り物を野菜で作る。
今年はいい茄子と胡瓜が出来たからということで、簡単な馬だか牛だかを作って仏壇にお供えする。
仏壇の上には私たちが生まれる前にとうにいなくなった先祖たちの写真が並べられている。
顔も見た事もないご先祖様が居たからこそ、私たちは血を繋いできたのだなという実感がちょっとだけ生まれる。
あくまでちょっとだけ。でも、私の代でそれが途絶えるとしても恨まないで欲しい。私は子を成すにはあまりにも向いていないのだから。
陽炎が道路に揺らめいて空気が熱されている。
私はとうに帰ってこないあの人の事に想いを馳せていた。
何処に行ったのか、何時去ったのか、知らないままに私の前から消えた。
あの人と一緒に居たのはごく短い時間だったけれど、その間はどんな時よりも濃密に思えた。
それだけで私は生きている甲斐があったものだと思える。
帰って来るのか。
帰ってこないのか。
何度もやきもきしたけれども、十数年経つうちにあの人はそういう存在だったんだろうと私は自分の中で結論付けて思い出の一つにしまい込む事にした。
いい思い出。私の人生の中で唯一の。
実家の縁側から外を見る。
じりじりと照らされたアスファルトは、なんだか少し姿が不確かになっているように見えた。あまりにも熱されすぎて融けているのかもしれない。
マーブル上になった横断歩道の写真を思い出す。
ふと、ひょうと涼やかな風が吹いた。
熱波が襲う日にはおよそふさわしくないような風。
かと思えば、急激に積乱雲が空を覆っていき、あっという間に豪雨をこの地域にもたらした。
雷を伴った豪雨は冷たい空気をもたらし、エアコンなしでも肌寒いくらいの気温まで下がっていく。
火照った体を冷やすにはちょうどいいくらいの。
やがて夕立が止み、また湿気た熱気が立ち上ろうとしていた。
道路の遠くから誰かが歩いてくるのが見える。
その人は随分と老け込んでしまったけど、私を見てにっこりと笑った。
ああ、やっぱり変わらない。
ひまわりが花開いたようなあの人の笑顔は、一度見れば忘れられないほどに印象が強かった。
帰って来た。
十数年の時を経てようやく。
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