草むらの中でおれは息をひそめていた
おれの母ちゃんが死んだ。
車とかいう、おれたちよりももっとずっと速くて硬いものとぶつかったせいだ。
おれたちがまだ生まれて間もない頃に母ちゃんが居なくなるってのは、そりゃもう大変な生き方を強いられる事になるのはおれたちの仲間では誰もが知っている。
おれの兄弟は他にももうちょっと居たはずだが、おれ以外の全員がどこかで野垂れ死んだか、もっと強いヤツに喰われたかのどっちかだ。
母ちゃんの亡骸から離れなかった兄弟は後からやってきた車におなじように轢かれて、ぺっちゃんこに潰れた。俺はああなりたくないと思ったからすぐに逃げた。
ほかの兄弟も同じように思ったんだろう。
逃げたはいいけどカラスっていう、黒くて頭のいい鳥に集団で襲われて無残な姿になった兄弟も居る。
イタチに喰われてしまった奴もいる。
一緒に逃げた最後の兄弟は、体が小さく体力も無かった。
だから徐々に遅れだしていつの間にかはぐれてしまった。
きっともう生きてはいないだろう。
母ちゃんが死んでからおれはなんとか生き延びて来た。
狩りは教えてもらっていたからネズミくらいはなんとか狩れたし、その気になればゴミを漁ったりもして腹が減ったのをしのいでいた。
ほかの連中の縄張りの合間をすりぬけて、その日その日でおれは身を隠すように暮らしていた。大人って奴はガキにも容赦がない。縄張りに入り込んだ知らない顔はすぐさま排除する。少しは大人の余裕を見せてくれてもいいのにって思うけど、大人たちだって余裕がある暮らしをしている奴らは少ないのだから仕方がない。
それでも情けのある奴も居て、自分の縄張りで少しの間寝るくらいなら許してくれる年寄りには感謝している。
その年寄りもいつの間にか姿を見なくなってしまった。
いつの間にか縄張りに居座ったデブは見た目通りに欲張りで、そのくせ抜け目のないヤツで俺は嫌いだった。公園の片隅で寝る事すら許さず威嚇してくるデブに辟易して、俺はまた当てのない放浪に出る。
歩き出して日が昇って沈んでを何度繰り返したかわからない。
食べ物にはありつけず、雨水を舐めてなんとか腹の減りを抑える日々が続いた。
あてがないとは言っても、せめて喉の渇きを癒せるだけの水場が欲しいと思った。
水の匂いがするほうに歩いていくと、でっかい川が見えた。
川ならきっとメシになる生き物が居る。最低でもカエルくらいはいるはず。
おれは一種の希望を胸に抱いて、草むらの中にわけいった。
腹が減った。
入ってからもう何回太陽が昇ったかを数えるのすら億劫になった。
カエルをとっつかまえようと思っても、奴らも命の危機になれば思ったよりすばしっこくて、おれの未熟な狩りの腕では一匹も捕まえられなかった。
ちっこくて黒いヤツならなんとか食う事も出来たが、ありゃ不味くて何匹も食べる気にはならなかった。本当に腹が減ってどうしようも無い時にしか食べなかった。
あれが大人になったらカエルになるなんて信じられない。
川の近くの草むらの中で、おれは息をひそめている。
生き物が一杯いると思ったこの場所を縄張りにしている奴らも多かった。
完全におれのアテが外れてしまった。
水くらいなら飲めるがそもそもメシにありつけない事にはどうしようもない。
不味い黒いちっこい魚みたいなやつは、力の元にはなりようもない。
頭がフラフラして、足に力が入らない。
腹が、減った。
もう立って歩く事すらままならない。
草むらの中で伏せる姿勢のまま、おれはただひたすら自分がどうしてこんな目に遭っているのかを今更考えていた。
母ちゃんが生きていればもっとおれはでかく強くなれたんだろうか……?
今日は空気が一段とじめじめしていた。
空もどんよりとした暗い色で、嫌な感じだなと思っていたらついに雨が降って来た。でももうおれは動けないし、雨を避ける気にもならない。
体がじっとりと濡れていく。体の熱が奪われていくのを感じる。
だんだん頭がぼーっとしてきて、何も考えられない。
……はらへったな……。
* * *
……ここはどこだろう。
少なくとも外ではない事はわかる。
どこか、雨を避けられる屋根のある場所みたいだ。
おれの体はいつの間にか水気を拭きとられていて、おれはいったいどこで寝ているんだろう? 確かおれは草むらの中に居たはずなんだが。
なんだか寝心地のいい寝床の上に寝かせられている。
でもおれは何かの中に入れられていて、どうやらこの金属の何かからはおれの小さな体でも抜けられる隙間はなさそうだ。
「ああ、ようやく目を覚ました」
聞き慣れない音を聞いた。鳴き声とはまた違う、何かだ。
そちらの方向に視線を向ける。体はまだ動きそうにない。
そいつはおれの方をじっと見ている。
おれよりもはるかにでかいそいつ。知っている。こいつらは人間って奴らだ。
母ちゃんに教えてもらった。
人間はでかいがのろい。でも頭が遥かに良くて大人たちも捕まった奴が多いって言う事を聞いた。捕まった後どうなったかはおれは知らない。
きっと食われっちまったんじゃないかって思う。
こいつもきっとそうするつもりなんじゃないか。
おれは出来る限りの威嚇を試みた。
だが悲しいかな、子どもの威嚇なんてたかが知れている。
それでもやらなきゃやられる。虚勢だとしても戦う姿勢を示さなきゃ生きていけないんだ。
「やっと元気が出て来たかな。どれ、じゃあ」
人間は前足に何かをのっけておれに差し出した。
反射的にそれを匂ってみると、どうやら食い物のような匂いがする。
メシだ!
感じた瞬間におれの腹の虫は唸りをあげ、おれは居てもたってもいられなくなり(といっても体はまるで動かないのだが)、目の前に差し出された食い物らしきなにかを舐め取った。
うめえ!!
べろべろ舐め取ったらあっというまに無くなった。
いや、いやだが待て。こいつはおれを油断させて腹一杯になって眠った所を食うつもりに違いない。油断しちゃならねえ。
威嚇を再度試みる。
しかし人間はまたあの食い物を差し出してきた。
今度はさっきより量が多い。
それを舐め取って、威嚇して、また食い物を舐め取って。
何度繰り返したかわからないうちに、いつの間にかおれは腹いっぱいになっていた。こんなに幸せな瞬間は今まで生きて来た中で無かったくらいだ。
だが油断はするな。人間は頭が良いからおれ達に何をするかわかったもんじゃない。いつか元気になったらきっとここから抜け出してやるんだ。
今はまだ甘んじてここに居てやるだけだからな……。
* * *
ある日の雨の中、帰り道を急いでいたら黒いゴミのようなものが草むらの中に転がっていたのを私は見た。
普段なら気にもせず素通りする所なんだけど、やけに気になって草むらの中に入ってそれを確認してみたら、なんと死にかけの黒猫だった。
子猫なのは間違いないが、それにしても小さすぎる。
小さいうちに親からはぐれて彷徨っているうちに力尽きたに違いない。
幸い、私の家は猫屋敷と言われるくらい猫を飼っていた。
人に譲ったり保護活動をしたりと猫に関わる事ならなんでもやっているくらい、両親は猫好きだったが、見事に私もその血筋を受け継いでいたわけで。
拾ってから初日、病院で診てもらった後は体が動かないクセにいっちょ前に威嚇して、野良猫らしい警戒心と気迫を見せてもらった。
しかしいくら警戒しても、エサを目の前にして食らいつかない奴はほとんどいない。指に付けたペーストを差し出すと鬼のような勢いで食らいつき始めた。
無くなったら指をも舐めだす勢いで、本当にいままでロクな物を食べてこれなかったのかなと思うと涙が思わず出てきてしまった。
絶対にこいつは私が飼う、なんとしても。
そう決意してから3か月が過ぎたんです。
野良の頃の気概はどこへやら。
縦横無尽に部屋を駆け巡り、私に遊べ遊べとせがんでくる甘えんぼうな黒猫の姿がそこにはあった。
傷物にされた家具やひっくり返された物は数知れず。
時には私にも噛みついたり、思わず爪を出して引っかいたりしてくる黒猫だけど、まだまだやんちゃ盛りという事で納得している。
警戒心を露わにしていた頃からだいぶ人間の私に対してすっかり懐いており、猫飼いとしては嬉しい限りだ。
黒猫は雨の日に拾ったから
拾った時期は梅雨だから全然違うっちゃ違うけど、まあいいでしょ。雨だし。
時雨は今は何をしているかと言うと、私の膝で眠っています。
おかげで夕飯の支度もまだ出来ていないんだけど、幸せそうな寝息を立てているこのオス猫を見ている時間もまた善きかな。
でもいつのまにかこいつ結構重くなってて、太ももがしびれて来た。
早い所起きてほしいんだけどな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます