風呂の蜘蛛

 つるつるとしたユニットバスの壁にクモが居た。

 私が風呂に入ろうとフタを開けた時にどうやらフタの影に隠れていたようで、1センチにも満たないような小さなクモだった。

 アリのような姿に似ているが、私には虫の知識はないので果たしてそれがアリグモかどうかはわからない。

 湯気に反応してか私の存在に気づいたかはわからないが、慌てた様子で壁を上がろうとしている。

 しかし予想外に滑るのか、一向に壁を登っていく様子は見られない。

 デコボコも何もない、足を引っかける箇所すら見当たらない壁はクモですらも登れない物なのかと少しばかり目を疑う光景だった。

 足を何とか上に伸ばしてはつるりと滑って危うく落ちそうになっては他の足でなんとか踏みとどまり、それぞれの足を毛づくろいのように手入れしている。恐らく微妙な水滴でも付着してそれが嫌なのかもしれない。

 私は虫が身づくろいするのを見るのは割合嫌いではない。

 というかむしろ好きな部類に入る。

 トンボが猫のように複眼をうまいこと前足で掃除したり、ハエが手をこすったりする光景は見ていて何気なしに心が落ち着く。クモが足を手入れするのも微笑ましい。

 あるいは巣を張るタイプのクモが延々と巣作りしている様を拝んでもみたいが、そんな光景に出会う事があんまりないし、あったとして延々と見ていられるような時間の余裕もないのが残念ではある。多分YouTubeなんかにその手の動画は転がっているとは思うが、実際に生の目で見てみるのが大事だとも思うのだ。


 私は湯舟に浸かり、じっとクモを観察してみた。


 クモは先ほどから諦めたのかじっと動かない。

 時折それぞれの足を手入れしてはいるが、今いる位置からは下がったりも上がったりもしない。エネルギーを無駄にしない為だろうか。

 私は風呂に入った時の習慣の一つとして、漫画を読み始めた。

 長風呂したい時に本を持ち込んだりしてゆっくりと過ごすのが好きなのだ。

 

 私が本を読み終えた頃合いに、気になってクモの方を見てみた。

 やはり彼は動かない。動けないのかもしれない。

 私が体を洗ったり髪を洗ったりしている間も、水の飛沫が飛んでいるかもしれない間もやはり動かなかった。

 動けないならば自分が動かしてやるしかあるまい。

 私はクモを手に取り、窓から外に放してやった。


 上がってふと思ったのだが、今日はちょっとばかり底冷えする夜だ。

 もしかしたら暖かい風呂の中に居させてやった方が良かったのかもしれない。

 今更そんな事を思ったところで詮無い事なのだが。

 

 

 

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