桜並木の季節


 

 学校に続く坂は、桜の木が連なる道になっている。

 卒業式の時期になると桜が咲いているイメージがあるように思われるが、僕の住んでいる地方ではまだ寒さが残る為につぼみのままだったりする。

 桜が咲くにはもう少し日にちが必要だ。

 これで桜の花が開花すれば、坂道にも花弁が散って絨毯のように見えるくらいになる。

 いっぺんに咲くソメイヨシノは豪華で華々しい風景だけど、僕にとってはそれは過剰な華々しさに思える。一気にばっと咲いてしまうのは趣に欠けるような気がしてならない。そもそも、なぜソメイヨシノばかりが植えられるのだろう。

 多種多様な桜を植えれば、咲く時期も違うし咲き方も異なるしでもっと楽しめると思うんだけども。

 つぼみが膨らみかける桜の木を見ながら、僕は坂道をゆっくりと登って行った。


 中学校の卒業式だった。

 僕は在校生として、卒業生を見送っている。

 卒業生の人々はそれぞれが思い思いに壇上を見ている。

 涙を浮かべて感情を抑えきれない人もいれば、全くの無表情で気だるそうにしている人も居る。それぞれの想いがある卒業式。

 在校生としては特に何も思う事も無く、早く終わってくれないかな、その程度の感情しか心の中にはなかった。

 それよりも早く春休みをどうすごそうかということで僕の頭は一杯だった。

 長期の休みは学生ならではの特権だ。今となっては気づくのが遅かった。

 もっとも、当事者の間は全く特権に気づかないというのも当たり前なんだけども。

 それがある事がまるで当然のように思っているから。

 何時だって無くなった時にあれは得難きものだったんだって気づくんだ。


 卒業式が終わって、卒業生が見送られていく。

 在校生たちは列を成して、昇降口から校門まで歩く卒業生たちに拍手を送っている。

 その中で、ひときわ目立つ存在があった。

 

「霧原先輩……」


 先輩は女子に群がられて、制服全てのボタンをぶんどられていた。

 先輩は僕から見ても非の打ちどころがないほどの美形で、それでいて謙虚で決して自ら進んで表に出る事なく人の為に尽くすような人物だった。

 困ったような表情を浮かべながら、花束や手紙を山ほど受け取っている先輩を横目で見ていると、先輩がこちらを見て少し笑っていた。


「?」


 なんだろう、あの笑みは。

 そのまま先輩は校門の先へと消えていった。

 やがて卒業生たちの列は消え、後に残るのは在校生と先生達。

 

「はーい、じゃあ在校生たちは教室に戻って」


 先生の号令と共に、ぞろぞろと僕たちは気怠い足取りで教室に戻っていく。

 


 ホームルームも済み、僕は文芸部の部室にいた。

 資料室の隣にある空き部屋を利用している部室。

 木製の長いテーブルとパイプ椅子があるくらいで、本棚などは一切ない。

 本は家か図書室から持ってこないとない。

 部員も僕と霧原先輩、あと一人の幽霊部員くらいしかいない。

 先輩が卒業すれば僕ひとりだけになる。

 勧誘でもして文芸部を維持しないとな。といっても、文芸部を立ち上げたのは実は霧原先輩で、以前は文芸部なんて無かったらしい。

 

 僕は部活動と称してただ本を読むために文芸部室に居たのだが、なぜかそこに帰った筈の先輩もいた。

 先輩は傾きかけた日が差し込む窓際の席に座り、カバーを掛けた文庫本の文字をじっと追いかけている。


「先輩? どうしたんですか」


 僕が問いかけると先輩はゆっくりとこちらを向いた。


「やあ樋川君。すこし忘れ物をしてしまってね」


「その文庫本ですか?」


 僕が言うと、先輩は首を振って微笑む。


「いや、これは持ってきた奴」


 その後に何かを言うのかと思ったけど、先輩はまた文庫本に目を落とす。ボタンが全て取られた制服は前がはだけ、ワイシャツが見えている。

 そのまま立っているのも何なので僕も先輩の向かい側の席に陣取って、学校指定の鞄から昨日買ったばかりの本を取って開いた。

 人斬り男と人食い女。

 グロテスクなタイトルなのに、内容は意外なほどにすがすがしく爽やかな青春もの。タイトルに興味本位で惹かれて買ったけど良い買い物をした。

 二人で静かに本を読む。時計の秒針が時を刻む音だけが部屋に響く。

 やがて日も落ちて、本を読める明るさがなくなり僕が蛍光灯の電源を点けた。

 太陽の明かりと異なり、白色の輝きが部屋を照らす。

 

「……」


 もうそろそろ本を読み終える。

 外で運動部が練習している声も途切れて来て、ほとんどの生徒はもう下校している時間帯だ。

 ……僕も帰るか。

 本を閉じて、鞄に入れる。

 上着を着て立ち上がると、いつの間にか先輩が隣に立っている。

 

「? 先輩どうしたんですか?」


「いや……そろそろ帰らないかと思って、ね」


 その顔色はほのかに赤いように見えた。

 

「そうですね。一緒に帰ります?」


「うん、でもその前に話がある」


「話ですか?」


 一体何の話があるんだろう? 部長にでもなれという話だろうか。

 それにしては随分と距離が近いように思える。というか顔が近い。


「少し離れてくれませんか。近すぎます」


「ああ、ごめんよ」


 先輩は一歩後ろに下がった。

 いつもよりも冷静さが無く落ち着きが足りない。

 こんな先輩を見るのは初めてだった。


「それで、どういった話なんです? もしかして僕のことが好きだとでも?」


「……やっぱりわかった?」


「そりゃ、わかりますよ」


 いくらなんでも、ね。

 僕はラブコメ系にありがちな鈍感すぎる主人公じゃない。

 それだけシグナルを出していればわかるよ。


「僕は先輩とは付き合えませんよ」


「わかってる。言いたかっただけなんだ。どうしても、この胸の中に詰まっていた想いを吐き出したかっただけだから」


 先輩は吹っ切れたような笑いを浮かべた。

 でも、手が震えている。目の端にも涙が浮かんでいる。

 僕は先輩を見ない振りをして鞄を手に取ってドアに手を掛けたとき、先輩がぽつりとつぶやいた。


「せめて、君に制服のボタンをあげたかったな。全部女子に取られちゃったよ」


 力なく笑う先輩。


「……じゃあ、先輩の読み止しの本、僕にくれませんか」


 先輩がテーブルに置いたままの本は、さっきからちっともページが進んでいなかった。

 

「いいよ。それでよければ」


「ありがとうございます」


 僕は鞄にその本を入れる。


「……一緒に帰りますか?」


 聞いてみたけど、先輩の答えは決まっている。


「いいや。僕は用事があるからもうちょっと後で帰るよ」


「わかりました。じゃあ、先輩。またいつか」


「うん、またいつか」


 僕は文芸部の部室を後にする。嗚咽のような音が聞こえた気がする。

 速足で昇降口まで行き、スニーカーに履き替えて学校を後にする。

 部室の方を見上げると、まだ明かりは付いたままだった。

 

「……」


 不意に突風が吹き、コートの隙間から寒さが絡みついて僕の体を震わせる。

 早く帰ろう。

 引きずられる想いを振り切る為に。

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