四月についた嘘

 また僕は帰ってきた。

 10年くらい前、出て行ったはずの故郷に。

 僕が行った高校は全寮制で、その高校の生徒なら特別な事情が無い限り寮に入らなければならなかった。

 その高校を卒業後、僕は大学へ進学した。高校大学と合わせて7年間を地元から離れて過ごし、さらに教職に就いたあとに別の地で3年を過ごして、転勤の訓示が下ったかと思えばこれだ。


 元々地元自体にあまり思い入れが無く、むしろ早く出ていきたかった所なので、なんで今回ここで教鞭を振るう事になったのかを少しばかり恨んでいる。

 とはいえ、教師も所詮はサラリーマンの一種なので辞令には逆らえない。

 おとなしく首を引っ込めて過ごしていけば、ここでだってやっていけない事は無いはずだ。


 その考え自体が甘かった事を、僕は赴任当日から思い知る。

 かねてより噂では効いていたが、今時珍しいほど荒れている学校の風紀。

 流石にいつぞやの高校の様に窓ガラスが割れているとか、そういうわかりやすいものはないにせよ、平然とバイクで通学してくる生徒。その生徒たちの服装も規則違反で髪を派手に染めて居たり、制服を着崩していたり、果ては私服で学校に来たりとやりたい放題。他の教師も強くそれを指導する事も無く、生徒の好きにさせている有様だ。

 そして授業ともなれば、まず半分出てきてれば上出来。大抵の生徒は出席日数が危うくならない限りは授業をサボる。そして出てきている生徒も大半は寝ているか、スマホを弄ったりしているかで勉強なんかする様子は皆無。

 僕とて最初は注意はしたが、果たして効果は全くなく、もう注意する事すら諦めた。

 自分の未来を投げ捨てるような連中の事など知るか。

 

 今日も僕は一方的に授業を投げつけては職員室に戻る。

 一体いつまでこんな徒労を続けなければならんのか、考えるだけで頭痛がしてくる。

 職員室も活気がなく、どよんとした空気が漂っている。

 誰も彼もが僕らと同じ考えなのか、やり過ごして早く次の学校へ行きたいと言わんばかりのオーラが目の前の先生にも、隣の先生にもあふれている。

 中には体育の先生の様に、こういう学校でこそ熱意を燃やして指導に当たっている人もいるのだが大抵は空回りしている。

 僕は自分の机でから揚げ弁当を取り出して食べようとしたところで、ぽんと肩を叩かれた。


「もう、この学校にも慣れましたか?」


 振り向くと、そこには教頭先生がいる。柔和な顔立ちで、この学校では大概嫌われている教師たちの中では、なぜかとびぬけて人気がある。どういう理由なのか全くわからないが僕もその人気にあやかりたい。

 

「ええ、まあ……」


「その様子だと大変そうですね。まあ、生徒たちとは気長に付き合っていく事ですよ。彼らは大人を見抜くのが大変うまいですからね」


「そう、ですね……」


「まあ、頑張ってください。次の転勤までの辛抱です」


 教頭先生はそう言いながら去って行った。

 僕はから揚げをほおばり、ご飯を口に入れる。弁当は仕出しだけど中々うまい。

 から揚げはうまいのに、その味はどこか上滑りしていく。

 

「はあ……」





 午後の授業もなんとか終えて、僕は帰るべく職員専用の昇降口で靴を履き替えて外に出た。

 すると、目の前には煙草を吸いながらたそがれている金髪の生徒がいる。もう見るからにドヤンキーで、仕事でないなら関わり合いになりたくない手合いだ。

 注意すべきなんだろうか?

 もちろん、当然、教師としては注意すべきなんだろうけど、この学校の生徒は正直言って僕のような若造には全く手に負えない連中ばかりで尻込みする。

 しかし、ここは言うべきだ。


「おい、煙草なんか吸っちゃだめだろ」


 僕の声は情けない事に少し震えていた。

 なんだって女生徒にすら注意も出来ないのか。


「あ?」


 案の定、その生徒は僕に睨みを利かせて近づいてくる。

 こわい。やっぱり話しかけないでそのまま帰宅すべきだった。


「あぁ? 誰に口きいて……」


 そしてそのまま、その生徒は僕を見つめて固まっている。

 何だ? 何かついているのか?


「もしかして、お手洗いのおにーさん?」


「え……?」


「やっぱりお手洗いのおにーさんだよね? なんでこんなとこにいんの?」


 その金髪ドヤンキーの生徒は煙草を投げ捨て、喜色満面の笑顔で僕に抱き着いてきた。

 色々当たってる、当たってる。

 

「ちょ、いきなり抱き着くのは不味いよ」


「いーじゃん、10年前はよくこうやってたし」


 10年前、よくこうやっていた……?

 その言葉と共に、徐々に思い出されてくる記憶がひとつあった。


 僕がまだ地元で暮らしていた学生時代。

 近所に引っ越してきた一家があった。その家族の中には小さなお子さんが居て、何故か僕に懐いていた。僕も一人っ子だったし妹が出来た様な感じで、時々面倒を見たりしていた。

 その子が僕の苗字の御手洗を読めず、お手洗いのお兄さんと言っていたような記憶がある。何度言ってもお手洗いお手洗いって言っていた。


「もしかして君は、お隣の家の辺見あかりちゃん?」


「気づくのが遅いなぁ」


 そして彼女は僕から離れて笑った。

 

「10年もさ、待たせて酷いよね」


「え、何が?」


「それすらも忘れてるの? 本当にひどい男だなお手洗いさんは」


 待て待て待て、約束、何か約束しただろうか?

 僕が頭を抱えていると、彼女は頬を膨らませながら言う。


「何時か必ず、迎えに来るって約束したじゃんよ」


 迎えに来る?

 …………。


「ああ!」


 思い出した。

 確かに僕は、それを言った覚えがある。

 


 僕が中学を卒業し、いよいよ高校に入学する為に寮に向かう事になったのだが、その別れを惜しんでか、あかりがずっとしがみついて離れなかったのだ。

 僕も困ったしあかりの家族も引きはがそうとしていたが、思いの外力が強くまるでこなきじじいのように離れないあかり。

 

「いや! ぜーったいにいやーっ!!」


「困ったな……」


「あかりはおにしゃんと結婚するのーーーー!!」


 飛躍しすぎだろ。

 とはいえこのままでは僕は何時まで経っても寮に行けない。

 

「あかりちゃん、必ず君を迎えに来るから、だからその時まで待っててくれない?」


「必ず? 本当に?」


「ああ、本当に。約束するよ」


 そして僕は、キーホルダーをプレゼントした。

 イカなのかタコなのかよくわからない、プラスチック製のキーホルダーを。


「これは指輪の代わり。大事にしてね」


「うん!」


 そして僕から離れたあかりは、僕の背中が見えなくなるまでいつまでも手を振っていたと僕の母親は言っていた。

 僕と約束した日は4月1日。エイプリルフール。

 いずれは彼女もわかってくれるだろう。その日の約束は嘘だったと。

 そう思いながら、僕は電車に乗った。



 ……あれから10年。

 子供への優しい嘘をついたはずの僕が、偶然によって嘘を真にしてしまった。

 待たされた彼女の視線が、とてつもなく熱い。


「10年待たせたんだから、さ。流石に責任とってくれるよね?」


「いやいやいや、ちょっと待って。君はまだ学生だよ? まだきっと素敵な出会いがあるに違いない。結論を出すにはまだ早いよ」


「何言ってんの。私はね、この10年ずっと色々と考えてきたの。そしてもう結論は出てるの!」


 いきなり、彼女の顔が近づいたかと思うと、僕の唇に柔らかい感触があった。


「へへ。やったわ」


「ななな、なにを!?」


「とにかく、私の気持ちは全然変わらないって事。御手洗のお兄さん、これからよろしくね」


 そう言って彼女はバイクにまたがり、どこかへと去って行った。

 バイクの鍵には見覚えのある古い、ひび割れたプラスチックのキーホルダーが見えたような気がした。


 

 色々忘却の彼方へと追いやってきた記憶が今更よみがえり、そして先ほどの感触がまだ唇に残っていて、ほのかに僕の顔には熱が宿っている。

 ずっと忘れないでいた、一途な想いを僕はどうすべきなんだろう。

 答えはまだ、でない。

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